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エクスカーション 第2章 (磁気異常)

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 金勝山へは玲子の住む草津市街から典型的な天井川を遡る。民家の2階を優に超える高さの川底を見下ろす堤の上に車道が敷かれてある。その堤を上流に詰めたところにある金勝山の麓に切り開かれた駐車場で2人は待ち合わせた。金勝山は湖南アルプスとも呼ばれる県南部に連なる山々を構成する花崗岩の山だ。この山の一帯ではおよそ1300年もの前から奈良の神殿や寺院建立のため材木が切り出されたのをはじめとし、以降伐採が続けられたことによって明治時代にはほぼ禿山と化していた。この地から琵琶湖に流れ下る川が天井川になったのは、裸地となったことによる川の氾濫と地域住民の土木作業の歴史である。この伐採がもたらしたもう一つのものは、風化しやすい花崗岩の性質とも相まって形成された無数の奇岩の屹立である。尾根筋にはこうした奇岩の代表格となる丸い巨石が積み重なる天狗岩がある。この山屈指の眺望が得られる休憩場所であり名所となっている。玲子はこの岩場が好きで幾度か通っている。登り口からしばらくは木々が茂る沢筋の道で、途中幾度か渡渉を繰り返しながら峠に向かう。沢筋には小規模ではあるが一枚岩の上を薄く舐めるように流れる滑沢があったり、水の流れが岩盤を滑らかな曲線に穿った自然の水路が美しい。切れ立った大きな岩盤の壁から落ちる滝の眺めも壮観である。こんな沢筋も玲子の足を何度も運ばせる要因である。
 この日もまだ午前の空気が温まらないなか木陰の沢を楽しみながら快適に峠を目指した。峠の木陰で休憩した2人は奇岩の続く尾根道を天狗岩を目指した。陽は高く木々の陰がなくなる尾根道では2人の肌を照り付けた。天狗岩で、県南部に広がる街と琵琶湖南湖、比叡山が、まだ午前の順光のなか細部までくっきりと見えていた。岩の一角にあるテラスでは座して瞑想をしている一人の男がいた。玲子は真理子に目配せをしてその様子を観察し、奇岩帯にある切れ落ちた岸壁の小さな棚で修業する姿を見ているとこの山にふさわしい光景にも見えてくるのであった。2人は風化の進む岩の隙間を通り抜け丸い岩の上に攀じ登ると北部に広がる近江平野を眺めながら昼食をとった。帰路は大半が木々の陰を歩ける摩崖仏のある森の中を下るコースを選んだ。それは夏の午後には適した下山路であった。
汗だくで縦走を終えた2人は、ふもとの駐車場に止めてあった車のところに戻った。なるべく暑さを避けるため早朝より歩いた2人が下山したのは午後の2時を少し過ぎた頃。暑さのピークを迎えようという時間帯であった。2人はそれぞれの車にエンジンをかけると冷房を入れてドアを閉め、木陰のベンチに座った。真紀子は山を歩いている最中に聞いた玲子の耳のことを問った。
「ステロイドって薬、結局飲んだの?」
「飲んでない。最初は試してみようかってお医者さん言ってたんやけど、私の症状といろんな検査結果から薬の効果は期待できなくて副作用の方が心配だということになったんだ」
「じゃ、治療は?」
「なし! お医者さんも困っているみたい」
「そうか、じゃ玲子の好きなロックも低音なしの状態のままか?」
「うん、迫力無くて味気なくて・・・やっぱロックってお腹にくるって言うか低音が命なんだなって聞こえなくなってよくわかった」
「そのうち戻るんじゃない?」
「そうやとええんやけど・・・」
「じゃ、そろそろ冷えたかな? 車の中」
2人は車に乗ると窓越しに手を挙げてあいさつを交わしそれぞれ帰宅の途についた。
 金勝の山歩きから帰った玲子は、帰宅するとすかさず浴室に向かいシャワーを浴びた。30度に調整したシャワーの水は火照った身体を心地よく冷やした。脱衣場で身体を拭き新しい下着とTシャツ、短パンに着替えた玲子は髪を乾かそうとしてドライヤーのプラグをコンセント口に差し込もうとした。しかし、玲子の手には髪から滴った水滴がプラグを持つ指先にまで流れていたのだった。

 玲子の恐怖は鼓動の落ち着きとともに薄れていった。玲子はドライヤーを使わずバスタオルで髪を念入りに拭いて脱衣場から出た。居間に入るとテレビを見ていた父親が玲子の方に振り向いて話しかけた。「山はどうだった? 暑かったろ?」
「父さん、感電しちゃった!」
「えっ」
「今、ドライヤーかけようとして、コンセントつないだ時、ビリッて!」
「大丈夫か?」
「うん、もう大丈夫みたい。私初めてやわ、感電したの。怖かった!」
「ほんまに大丈夫か?」 父の重雄は座ったまま上半身を捻じった姿勢で心配げな視線を玲子の身体の上下に往復させるのであった
「うん」
「風呂上りはコンセント触るなよ! ドライヤーは風呂に入る前にさしておいたほうがええ」
「うん、わかった」
安心した重雄は上半身をテレビの方に捻じり戻しながら、先ほど発した問いをもう一度発した。
「で、山はどうだった?」
「うん、もう汗だくでTシャツ搾れるぐらい。10時回るともう尾根道は炎天下なんやもん」
「天狗岩、人、多かったか?」
「そうでもなかったかな。真夏やし、登る人少ないみたい」
「えっ?」
「・・・えっ? って。驚くことじゃない・・・」
「聞こえるのか? 父さんの声?」
「・・・」
「玲子?」
「あっ、聞こえてる! おかしいな?」
「おかしいこととちがうやろ。元に戻ったんやから」
「うん、聞こえる、ちゃんと」 玲子は父親の声が完全に聞こえることに驚きと不思議さをも感じながら父親に見開いた眼を向けたまま立っていた。
「よかったな!」 父親がそうした麻衣に自身の安堵も込めて言った。
「ほんま、よかった。ちゃんと聞こえるわ、父さんの声・・・ちょっと音楽聞いて確かめてみる!」
玲子はそう言ってリビングの奥にある自室に入ると、本棚の一段に並べていたCDの中からツエッペリンを抜き取ってプレーヤーに入れ、「ホエン・ザ・レヴィー・ブレイク」を選曲した。曲の迫力は戻っていた。



   4

 朝10時の札幌の気温はもう25度を超えていた。近年の北海道は本州同様温暖化が進んでいるようで猛暑日となることも稀ではなくなった。期間は短いものの北海道にはないと言われていた梅雨のある年も出てきた。気候の変化は南北に長い日本のどこでも起こっているのだ。
 校舎の横にある駐車場に車を止めた2人は正面玄関に入ると、事務室につながるスライド式のガラス窓から声をかけた。日直らしき事務員の女性が席を立って窓口に近づいてきた。岸田は約束の要件を伝えると、女性は少し待つように伝えると電話で相手に来客を伝えた。玄関口にまわってきた女性は、担当はすぐに来ると言ってスリッパを揃え2人を玄関から上がるよう促した。そして、事務所の中にある応接スペースに招き入れた。
 「お待たせしました。6学年の主任をしています北島里美と申します」 2人がソファーに座って2分もしないうちにやってきた女性が立ち上がる2人に名乗った。2人もそれぞれの自己紹介をした。