エクスカーション 第2章 (磁気異常)
着座を促した北島は自分も座り、訪問のご用件は教頭から聞いていることと遠方からの足労をねぎらった。2人は慇懃な北島の対応に恐縮しながらも、さっそく要件の確認と質問を行った。また、2人の滋賀県の患者の情報も伝えた。しかし、昨日木下麻衣から得た磁場や引力が原因と考えられる情報と推論は検証もできないことであり、軽々に伝えることはよくないことだと判断し話さなかった。ただ、偶然にも小学校の課外授業前日に樽前山に登った滋賀県の2人が小学生たちと同じような感覚異常をきたしていることに何かの共通する原因がある可能性についてははっきりと述べた。訪問の目的はまさにそのことの調査であったからに他ならない。
7月4日、東西小学校6年生の62名は午前10時半から樽前山7合目の登山口から登山を開始した。滋賀県の2人の患者、岸田と田島、いずれも同じ登山口から登っている。小学生は正午ごろ山頂に登頂し、その後来た道を下り外輪山周遊の道と下山道が交わる分岐あたりで昼食の弁当を食べた。天気は晴れていたが、やや北側からの風が強かった。弁当を食べ終えると少し休憩し、その後同じ道を下山した。昼食時、子供たちの中には外輪山からすり鉢側に少し下った子もいたが、50メートルも離れていないわずかな距離内であったらしい。その後、全員事故もなく下山している。帰りのバスでも体調に不調を訴えるような子供はいなかった。異常は新聞記事のとおり翌日の朝以降に現れている。ただ、それ以後にも当初異常の訴えがなかった子供からも奇妙な症状の訴えがあったということだった。
北島里美は言った。
「当初、色が見えなくなった子供が5名、難聴が3名、匂いがわからないと言い出した子供が3名、計11名だったのですが、2~3日してから音楽の時間に色が見えると言い出した子が2人、チャイムが甘いと言う子が2人出てきました」
「音に色が見える? チャイムに味が・・・ですか?」 田島が聞き返した。
「はい、音楽に色を感じる子は、聞く曲によって色が違うようです。どうも曲調によって赤が強かったり青が強かったりするんだと言うんです。ちなみにその子たちは今まで以上に音楽の時間が楽しくなったと言っています。家庭でも音楽をよく聞くようになったようです。チャイムが甘いという子たちは、音楽のある部分に味を感じるんだと言います。特定の音階に甘さを感じるんですかね?」
北島が最後に疑問形で終えたのを受けて岸田が応えるように言った。
「シネステジアですね。そのような症状の子供もいたんですか!」
「シネス・・テジアですか?」
「はい、共感覚のことです。音楽に色を感じたり、味を感じたり、本来は違った感覚を一緒に感じてしまう知覚です。特定の文字や数字に色がついて見えたり、音や音階に色を感じたり、色が絡むものが多いのですが、中には味に形を感じると言ったものもあるようです」
「共感覚! それは聞いたことがあります。その子供たちはまさにその共感覚を感じているようです」
「間違いないですね。共感覚でしょう」
「ところで先生、共感覚っていうのはどうして起こるのですか? あの子たちのように突然感じるようになることもあるのでしょうか?」
「確定的な原因はまだわかっていないようです。いくつかの原因と考えられていることがあるようですが、その中でも脳の感覚領域間で起こる神経回路の混信によって起こると言うのが有力です」
「神経回路の混信ですか?」
「はい、例えば、脳の音を感じる部位と色を感じる部位が何らかの要因でクロスするように繋がっていて、入ってきた刺激の信号を同時に感じることで起きる、という理屈です。生まれたばかりの赤ちゃんは皆共感覚を持っていると言われています。それから考えると脳の発達過程で諸感覚ごとに整理されるはずの神経回路の一部が分離されないまま残っている状態なのかもしれません。ただ、それまでなかった共感覚が突然に現れるというようなことは聞いたことはありません」 岸田は共感覚について知っていることの要点を簡単に説明した。
「そうですか」 真剣な眼差しで岸田の話を聞いていた北島は少し力が抜ける感じで頷いた。
「今お聞きした子供さん以外はどうなんでしょう?」 今度は田島が北島に問った。
「他の子供たちは特にはっきりとした異常はないようなんですが、ああいう症状が出た子供が何人もいたものですから、僕も私もって、音が聞きづらいとか匂いが感じづらいって言いだす子供はいました。でも、その子たちは詳しく聞き取るとそうでもないようでした。心理的な感染のようなものじゃないかと捉えているんですけど。それと・・・実は、私も色が見えにくくなりました。子供たちより少し後で気づいたんですが、赤色が少し見えにくくなっています。全く感じないというわけでもないんですが、赤色の赤みがそれまでと違うんです。オレンジ色なども少し違うように感じます」
「先生も一緒に登られたんですね」
「ええ、課外授業の責任者でしたから。それにしても、滋賀県の2人もということですとやっぱりあの山を登ったことに関係しているんでしょうか? 学校でも教育委員会でもそれから保健所でも何もわからずじまいなんです」
「私たちも山と何か関係があると思って一昨日あの山にも登ってきたんですが、なんとも・・・ただ先生も含めて共通点はあの樽前山なんですよねえ・・・」 岸田は昨日の推論を喉元で抑え込み北島に答えた。
「ほんとに奇妙というか、怖さを感じるくらいの一致ですよね。思い返すと課外授業の下見で初めて登った時は、あの溶岩ドームに驚きました。威圧されるような・・・慣れるとそんなこともなくなったんですが・・・」
「実は、僕たちも昨日登ってみて溶岩ドームには驚きました。異様ですねあの光景は」
「・・・あの山に連れて行ったのが悪かったのですかねえ・・・」 北島はため息ともとれるような息を吐きながら後悔を口にした。そして、課外授業は理科の授業で学んでいた火山を実際に見て学習したいというたっての子供たちの声によって、北島が前例のない樽前山への計画を特別の許可のもと実現させたものであることも付け加えた。そうした北島の様子を察した2人は面会を切り上げる時だと判断をした。
玄関から正門に通じるポプラ並木の影は来た時よりも小さくなっていた。外はもう30度近くになっているのを二人の肌は感じ取っていた。駐車場のレンタカーに乗り込んだ二人はすぐに窓を開け冷房のつまみをひねった。岸田と田島は一応連絡先を北島里美に渡し、また、お盆過ぎに設けられている登校日の後に当方より連絡することを伝えて辞去した。子供たちの症状の変化を聞くためであった。
作品名:エクスカーション 第2章 (磁気異常) 作家名:ひろし63