エクスカーション 第2章 (磁気異常)
「あり得るんやないか? もしそのエクスカーションって言う現象で強い電離放射線が地表まで届いていたとしたら、それで身体の細胞に何らかの損傷が起きてもおかしくない。脳神経にだって損傷や伝達機能にエラーが起きることは考えられるだろ?」 田島は岸田に向かって自信ありげに言った。麻衣はその様子を身を固くして見守った。
「う~ん、仮にそういうことがあったとしても何故あの山に登った人間だけに起こったのかということだ。電離放射線の影響だとしたらこの辺りの人だって他の町の人にだって起こっていてもおかしくないだろ」
「それはそうやな。木下さんは2か所でオーロラのようなものを見た人がいるって言いましたが、その地域で何か人の身体に異変があったというようなことは聞かれていませんか?」
「実は私もそのことが気になって実家にあった新聞やネットで調べてみたんですがそういう情報は見つかりませんでした。小学生の件以外は・・・」
「やっぱりあの山に何かあるのかな?」 首を傾げた田島もいつの間にか腕組みをしていた。
ホテルのロビーの壁にある時計はすでに11時を回っていた。ロビーのガラス張りの向こうにある木々の間の地面には一目でそれとわかる夏の日差しが照り付けていた。岸田は麻衣に時間の都合を尋ねた。麻衣はこの後札幌にあるマンションに帰るだけで時間は全く大丈夫だと答えた。それを聞いた岸田は気遣いを緩め、「7月3日と4日、樽前山、オーロラ・・・」 とつぶやくと続けた。
「田島、おまえスマホだったよな? 7月3日を検索してみてくれないか?」
田島は言われるとおりすぐにスマホを取り出して検索を始めると、2人の前の麻衣もデイバッグからスマホを取り出した。
「2019年7月3日・・・ へえ~こんなんがある。暦に『危 (あやぶ) すべての事に危惧する日です。旅行はとくに大凶とされています』 やと。まさにあの二人がそうだな・・・ 。それに、月齢0.3に・・・」 田島が月齢を読んだ時、麻衣はハッとして自分のスマホの上の指を素早く動かした。
「新月です。7月3日は新月だったんですね。正中時間が11時49分になっています」
「正中時間というのは?」 田島が聞きなおした。
「太陽の正中と一緒です。月が一番高いところに来る時間です。ですので、地球と月と太陽が一直線に並んで地球に働く引力が一番強くなっている状態です」
「新月の時が一番引力が強いんですね」
「はい、それも正中時ですから月の引力が最大で、それに太陽の引力も合わさりますから最強になった時間です」
「海では大潮の日ですね?」
「そうです。でも海だけじゃないんです。地球そのものも引き伸ばされます」 麻衣がそう言うと、2人は驚きの声を上げた。
「ええっ、地球ということは地面がということですか?」
「はい、引力で地球自体が引き延ばされるんです。最大時はおよそ30センチぐらい地面が引っ張られて高くなります。地球潮汐というんですが、潮の満ち引きと同じように地球自体も伸びたり縮んだりしています。厳密に言いますと月や太陽の引力だけでなく地球自体の自転の遠心力も合わさった結果ですが」
「地球潮汐ですか? 初めて聞く言葉です。月や太陽の引力ってすごいんですね。」岸田がそう言うとすかさず田島が言った。
「電離放射線と引力が重なったということだな。2人は確か午前に樽前山に登ったんだよな。次の日の小学生も午前から昼過ぎだった。小学生の登った4日もほぼ新月でしょう?」
田島の問いに麻衣は答えた。「はい、新月です。正中時間は12時50分ですね」
「条件が重なったな!」 田島はそう言うと麻衣にさらに質問した。
「その地球潮汐が最大になると山の上ではどんなことが起こり得ますか? 樽前山の場合?」
「・・・」 麻衣はスマホから視線を外ししばらく無言で考え込んだ後答えた。
「あそこは火山です。もし噴火していたらということですけど、噴火によって電子が多量に噴出する可能性はあります。マントル内のマグマは地上の物質よりも電子が一つ多い還元された状態になっているんですが、これが地上に出てきて地上の酸化物質に触れると酸化されて多量の電子が放出されます。ですが、あの山の溶岩ドームでは噴気が上がっているとはいえ、電子が・・・」
「月の引力が最大になった時に地殻が引っ張られて内部の電子が多量に出るってことは考えられないですか?」 麻衣が話し終えるのを待たずに田島は問った。
「そこまではわかりません」田島の期待に応えられないことに残念に感じながら麻衣は答えた。
「電離放射線、引力、電子の複合要素と感覚異常か・・・」 今度は岸田が大きく息を吐きながらつぶやいた。
「それやな。電磁波、最大引力、火山の電子、見事に条件がそろった。偶然に条件がそろったことで人間の神経系にバグを起こした。その機序はよくわからんが、これは充分にあり得ることだと思う」 田島は自信ありげに言った。
「そうだな、考えられないことはない」 岸田はまだ懐疑を残していたものと考えられるものが見事にそろったことで田島の確信を認めないわけにはいかなかった。
「お二人の患者さんや小学生の症状のことはあまりよくわかりませんが、私も7月3日と4日の条件の重なりは何かしら人間の身体に影響があってもおかしくないと感じます」 麻衣のこの言に何故か岸田の迷いのようなものがすっかりと取れた。しかし、岸田にも田島にも、その先のことが明確になることはなかった。原因と考えられるものが物理学的な要素の複合的な重なりだということに至ったものの、これを患者の治療にどう結び付ければよいのか、またこの推論をどこに、どのように伝えるべきなのか。3人はしばし沈黙した。
沈黙を破って口を開いたのは田島だった。
「この先のことは時間をかけてじっくりと考えることにするしかないな、岸田」
「ああ」 岸田も頷くしかなかった。
岸田の反応を確認した田島は話を切り替えようと麻衣に話しかけた。
「あの溶岩ドームの黒いのは磁鉄鉱だと先ほど言われましたが、鉄分が多いと黒くなるんですか?」
「はい。私は道内の火山の石、火成岩を中心に研究しています。その成分、組織、粘性、密度などを調べて比較しながら研究しているんですが、昨日言いましたようにあのドームは複輝石安山岩という石で出来ています。あの黒い色は鉄分が多いからです。火成岩の色はその成分によって変わるのですが、一般的には鉄が多くてケイ素が少ないと黒っぽくて、ケイ素が多いと白っぽくなります。名称で言えば玄武岩や安山岩は黒っぽく、花崗岩などは白です。結晶分化と言ってマントルから上がってきたマグマが冷えていくたびに融点が高いものから順に石の成分となる鉱物が結晶となって出て行くんですが、逆にマグマの中のケイ素の割合が大きくなるので白くなっていきます。あっ、すみません。わかりにくいですよね・・・」
「いえいえ、だいたいは理解できてます。それにしても異様ですよね、あのドーム。山全体の色や形からの雰囲気と全く違う異質なものに見えて全く異様な光景でした。形としてはずいぶん違いますが2001年宇宙の旅のモノリスを思い出しました」 田島はここでも好きなSFの話題に結び付けた。
「モノリスですか?」
作品名:エクスカーション 第2章 (磁気異常) 作家名:ひろし63