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エクスカーション 第1章 (感覚異常)

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「そうだな、俺もこのところ歩いてないし、少しは慣らしておいた方がいいかな・・・」
「土曜はどうや?」
「俺は独り身だし、問題ない。そっちこそ大丈夫なのか?」
「ああ、今週は大丈夫だ。かみさんと子供は実家や」
「天気はどうだろう?」 岸田は再び田島の横の新聞紙に目をやった。田島はすぐにその視線の動きを察知して右手を新聞紙に伸ばして一部を手にした。そして、広げながら一項目をめくり週間天気予報の欄を確認しようとした。
「うん? 10日水曜から16日火曜日・・・先週のだわ、この新聞。9日のや。何でこんな古いものがあるんや?」 田島は他の新聞紙と取り換えようとしたとき、紙面の片隅にあったある見出しが目に入り手の動きを止めさせた。田島には「何か面白い記事でもあったのか?」 と聞く岸田の声を聞こえてはいたが聞いてはいなかった。ひたすら記事の文字に目を送り、最後の列の文字を読み終えると、「岸田! これ!」 と言って紙面の記事をより見やすいように4つに折り込んで岸田の手元に突き出すように差し出した。新聞を受け取った岸田は記事を読み、喉まで出かけた驚きの声をかろうじて飲み込んだ。


―北海道の小学校で奇病流行かー
 札幌の東西小学校6年生の11人が同じ日から感覚異常を訴えていることが札幌市教育委員会より発表があった。7月5日(金)、児童5名が起床後から色が見えないと両親に訴えがあり最寄りの眼科をそれぞれ受診、また3名が同じく起床後に音が聞こえにくくなって耳鼻咽喉科に受診、残りの3名は登校後給食の匂いがしないと嗅覚の異常を訴えた。この3名はまだ受診をしていないという。
同じ日に同じような感覚障害を起こすという特異な状況に学校ならびに教育委員会は、所轄の保健所とともに原因の究明と対策の検討を始めるとのことである。保健所の担当官は、何かの感染症や集団ヒステリー的なものも視野に入れて調査したいと言っている。児童が発症する前日の4日、課外授業で支笏湖の樽前山に登ったということだが、転倒、打撲事故、有毒ガスなどの異変はなかったという。また、学校長は、児童11名含め当該学年児童の登校は通常通りとし、色や音への補助的な対応に配慮しながら授業を行っていくとしている。



  5

 早朝の近江平野は前日の火照りをようやく逃がし始めたかのように涼しさを感じさせる微風が吹いていた。しかし、そのかすかな冷涼感は日の出とともに瞬く間に元の温度に戻されるであろう。8月1日、朝日が比良の山々の上部を赤く照らすつかの間の光景を窓から眺めながら2人は高速道路を伊丹に向けて走らせていた。岸田と田島は行先を穂高の登り口である岐阜県から北海道に変更していた。登る山を樽前山と羊蹄山に変更し、帰る前に東西小学校の教員に会うことにしていたのである。朝一番の新千歳行の飛行機に乗るため早朝から伊丹空港に向かっていた。
田島は比良のモルゲンロートから目を離し岸田に話しかけた。「参加者2名のエクスカーションってとこか? まさか穂高行が北海道への調査旅行になるとはな」
「エクスカーション?」
「ああ、共同野外調査ってことや」
「ふ~ん。共同野外調査ねえ・・・。それをエクスカーション、って言うんだ? そんな言葉よく知ってたもんだな!」
「たまたまや。この間、故郷の再発見とかいうテーマのテレビ番組で、小集団で現地の歴史や文化を学ぶ体験型の見学会をやってて、そこで使ってたんで頭に残ってたんや。なんかこう、格好がええ言葉やろ」
「確かにな」
「穂高は残念だが、代わりにエクスカーション初体験や」
田島の言葉に少し投げやりなものを感じた岸田は言った。「調査の意味合いはあるけど、未踏の山2つ登るんだし、半分は登山を楽しめる」
「俺は不満を言ってるわけじゃない。むしろ逆や。あんな奇妙な一致が北海道の山にあるんだし、行かずにはおれないっていう感じかな。お前が言うようにその山に何かある、と思えるし、気持ちはなんかこう昂っている感じかな」
「ほんとか?」
「ほんまにほんま。でもな、3件の共通点が樽前山なのは確かなことだが、一体その山と感覚障害とにどんな関係があるのかな? 何かオカルト的な匂いも感じないわけじゃない」
「オカルトか? 確かに。でも、何か人体に影響を与える科学的な原因があると思う。勘のようなものだけど。俺たちが樽前山に登ったところで、それがわかるかどうかは全く自信ないけどな・・・」
「科学的な原因か・・・」 
少しの沈黙を挟んで田島は続けた。
「科学的と言えば岸田、雷雨の穂高、覚えてるか?」 田島は何かを思い出したように岸田に問った。
「うん、覚えているけど・・・。大学3年の時だったかな? 涸沢でテント泊をした夏の穂高合宿の時のことだろ」 岸田は突然の話題転換と田島の意図を測りかね、怪訝な表情で応えた。しかし、懐かしい思い出を即座にたどり、そして続けた。
「テントやら食料を詰め込んだ重いザックはつらかったなあ。肩に食い込んで。涸沢で一泊した次の日、奥穂から北穂まで縦走した時・・・2時くらいだったかな?」
「そんな時間だったかな。山頂直前でドカ~ンとお出迎えや。みんな一斉に固まったものな。ちょうど北穂に着いた時だったから助かったようなものだ」
「お前、あの時叫んだよな。小屋に走れって! すぐに土砂降りになり雷もバンバン落ちるし、俺は小屋の窓から稲光を見ながら命拾いしたと胸をなでおろしたのを忘れられん」
「で、以前、おまえその時のこと話した折、空気が変わったと言ってたやろ?」
「ああ、そんなこと話したことあったかな。それが科学的な話につながるのか?」 
岸田は怪訝に感じながらもその時のことを振り返った。
山小屋に避難した部員は1時間ばかり雷雨を小屋の窓越しに眺めていた。雷雨はその後嘘のように晴れ上がり、皆はそれまでの不安気な顔から生き返ったように明るくなり妙にはしゃぎだした。岸田も気分はかなり上がっていた。そして、小屋の外に出た時に空気がとても清々しく、さわやかな匂いを感じた。山でなくても、雨上がりは誰でもさわやかさは感じるものだが、その時のものはレベルが違った。強烈だった雷雨の後であるため心理的に空気の匂いまでそういうように感じたのかもしれないが、岸田には経験のない特別なものとして記憶に残っている。
「あの時の空気の変化には科学的な根拠がある。実際に空気の匂いが変わっていたからなんや。実際に空気の成分が変わっていたんだ」
「空気の成分?」
「そうや。オゾンのせいらしい。物理学の本に書いてあった。雷雨によって空気中のオゾンが増えてさわやかに感じる空気になるらしい。02が雷の影響で03になって、空気中の03濃度が上がるんだそうや。心理的な感覚だけじゃなくて実際に空気自体も変わったからそういうように感じたんだと思う」
「ほお~ ちゃんと科学的な根拠があったというわけか」
「そうや、あったんや。樽前山にも何かそういうものがあるのかもしれん。ただ、登ってみたところで物理学的なことが俺たちにわかるかどうかの問題があるけど」
「物理学的な原因か・・・」