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端数報告6

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重いコンダラ実験の道を


 
てわけでやっとここからほんとに帝銀事件のガセを暴いていくのだけれど、それにあたってまずはまた、本のページをカメラで撮ったものを見せよう。
 
画像:警視庁重大事件100帝銀事件 アフェリエイト:警視庁重大事件100
 
『警視庁創立140年 警視庁重大事件100 〜警察官の闘いと誇りの軌跡〜』という本からだが、題の通りに東京警視庁が出来て140年の間に起きた事件から投票で100に順位をつけたもの。帝銀事件は警察では63位、一般では23位にランクされて4ページが充てられてるが、半分近くが公判の写真と事件の経緯を表にしたものになっていて文は2ページちょいしかない。
 
だからかえってここで見せるにちょうどいいだろ。本は表紙に《協力 警視庁》と書かれ、元警察官僚で〈あさま山荘事件〉での現場の指揮を執ったことで知られる佐々淳行が監修したものとなっている。
 
が、その内容がこれだ。話自体はお決まりのものだが、監修のサッサが〈日本の黒い霧〉を信じ込んでいるとしか思えん。警視庁の協力で出ている本がこれなんじゃあGHQの陰謀が信じられるのも無理はないけど、まあとにかくひとつひとつ潰していこう。文の最初の段落に、《だが、簡単に奪える場所にあったほかの現金には、なぜか手をつけなかった》とあるのがわかりますね。
 
だから、まずはこいつからだ。帝銀事件の犯人は現金拾六萬いくらかと小切手一枚を持ち去った。だが現場にはその何倍ものカネが残されていた。そのお金があったすぐ隣の卓に、目につく形で札束が山と積まれていたのだという。これが、今に平沢の無実を信じる者の間で陰謀説の根拠とされる。
 
事件は米軍のアンドーナツが毒の実験でやったのだが、カネ目当てに見せかけるため手近にあった分だけ掴んでいったのだと。読んでおそらく頷いてしまう人間がやっぱりほとんどなんじゃないかな。
 
セーチョーとは別に事件を小説化した『毒殺 小説・帝銀事件』て本にそれが詳しくこう書かれる。
 
画像:毒殺小説帝銀事件残されたカネ
 
まず見せたページのひとつ目。現場に入った若狭という刑事が残された多くのカネを見て《もし犯人の狙いが金を奪うことなら、これらの紙幣に手をつけていないのは、どういうことを意味するのか》と考える。ちなみにこのページをめくると次に「おかしいな。これは単なる強盗殺人事件じゃなさそうだぞ」と書いてあるのだが、それは撮って見せなくてもおれが嘘を書いてるとあなたは思わないでしょう。
 
でもってその次。金額が確定したところで検証に立ち会った係官もしきりと首を捻る。ひとりが「あわてて、手近なものだけひっ掴んで逃げたのだろう」と言うけれど、《殺人時に見せた犯人の落ち着き払った態度からすると、そのときだけ狼狽えたとはとうてい思えないのである》と。
 
読んで、
 
「ウム、決まりだな。これはアンダースンによる毒の実験に間違いない」
 
ともう確信しちゃった人がほとんどではないでしょうか。
 
しかしもちろんおれは逆で、こんな説があることを何かで読んで知った最初の1秒後に「バカか」と思った人間である。理由はまあ、それを書くよりまずは下に撮ってお見せするものの文を読んでほしい。浅田次郎・著『初等ヤクザの犯罪学教室』という本に『「銀行強盗」成功のための傾向と対策』という話があってその一部だが、どうですか。
 
画像:初等ヤクザの犯罪学教室カネには重さが
 
銀行強盗。それはロマン。初等ヤクザが一度はやって成功したいと夢見るものであるのだが、しかし成功したいなら目標額をせいぜい一千万にしろとこの本は書いている。理由はカネには重さがあるのだから、と。
 
これはもちろん事を単独で行って、クルマやバイクをアシ(移動手段)として使えぬ場合の話なのだが、そうだ、よく考えてみろ。カネには重さがあるもんなんだ、アフラック。《せいぜい一千万》というのは、札束が10個ってことだ、アフラック。帝銀事件の犯人が持ち去ったのは百圓札の束が16。この本が言う〈適当〉をもう大きく越えているのがわかりますね。
 
その犯人は小型の白い布の鞄を肩に掛けていたとされる。昭和の昔にテレビが事件をドラマ化したものがあり、犯行を再現したシーンがあるのでそこからちょっとお目にかけよう。どうですか。お札の束を16も入れたら、もう一杯になりそうなもんに見えませんかね。
 
画像:ドラマ帝銀事件犯人のカバン
 
カネの他に犯人は、犯行に使ったいくつかの道具と自分が薬を飲んで見せるのに使った湯呑も同じ鞄に入れて去ったと見られている。小道具の中にはこれに見せたようなただの水を詰めていたとおぼしき半リットルほどの瓶があったとされる。それだけ入れたら鞄はもうパンパンで、鞄自体の重さを含めた目方は4キロにもなったはずとおれは思うがあなたはこの考えに間違いがあると思いますか。
 
だから犯人はもうそれ以上は小切手1枚くらいしか持っていけなかったと見るのがおれは妥当だと考えるのだが、あなたはどう思いますか。
 
「うるさい。実験だ。謀略なんだ。カネが目当てならどんだけあろうと1枚も残すはずがない。小銭1枚たりとも残すはずがない」
 
とどうしてもおっしゃる。あなたがそういう方ならば、もう何も言いますまい。しかしそうでない人もいるかもしれんのでこの通り、
 
画像:バッグと文庫本
 
おれのショルダーバッグの横に文庫本を16冊と、半リットルの瓶を置いてカメラで撮ってみることにした。ついでにおれはビール会社のキャンペーンにシールを集めて応募し当てた野球選手イチローのサイン入りトランクなんてものを持っているのだが、文庫本を入れられるだけ入れてみることにした。薄い本を選んだのだが50冊がやっとで、計ってみると重さ9キロ。バッグと合わせて13キロ。
 
結果を見ればアフラックだろう。帝銀事件を【毒の実験】と言うやつは、この程度の実験すらやってみないで【毒の実験】と言っている。帰納法に終始して、検証で確かにしようとしない。現場のカネを全部持っていこうとすれば百圓札だけでおそらくこのくらいになり、伍拾圓札や拾圓札も入れたら倍になってしまうんじゃないか。
 
小銭も入れたらどんだけになるやら――そんなの、ひとりで持っていけなくて当然なのだ。金額でなく嵩(かさ)と重さで考えるべきで、素人による単独の犯行だからそれしか持っていけなかったと見るべきじゃないすか、アフラック。それでもまだ落ち着きがありもしたから小切手1枚を加える余裕があったのだとね。
 
けれども金井貴一というやつが書いた『毒殺 小説・帝銀事件』て本の刑事は、後のページで「この犯行は決して単独のはずがない。何人もでやり、アシとしてクルマも使ったに違いない」と言い切る。なぜそう言えるかと言えばそうに違いないからだと言ってGHQの毒の実験以外説明のつけようがないからGHQによる毒の実験なのだとしていく。
 
作品名:端数報告6 作家名:島田信之