端数報告6
《無罪》と書いた巻紙を広げ、待ち構えていた群衆が歓声を上げるようすを何度もニュースで見せられた。
という話もこの書き直しの最初に書いた。だからなんとかしてあの紙を、『がきデカ』のこまわり君が「死刑」と言ってる絵とスリ替えてやりたいとそのたび思った話も書いたが、それらはほんとに自白だけで〈有罪・死刑〉の判決が出て確定していながらずっと刑の執行がされなかったものと言われる。
だから帝銀の平沢も、という話が出来てその嘘が信じられることになる。平沢だけは再審の申請も通らぬままに死んだため、【国家間の首脳レベルでの密約が】なんて話がますますもっともらしく聞こえるようになる。しかしおれが見るところ、すべてがバカバカしい与太で正しいのは平塚八兵衛の捜査の方だ。
それについては本当に次回から順序立てて語っていくものとして、今は外堀埋めの仕上げ。〈戦後の昭和〉は松本清張の時代だった。昭和が終わる時まで書いて、平成になってすぐに死んだ。
たぶん最後の最後まで、〈黒い霧〉を信じていた。自分が書いたすべての事件はそのアンドーナツだとかいうのが韓国に北を先制攻撃させるための雰囲気作りを日本でやるため仕組んだ工作なのであると……。
が、バカもいいとこだ。実は『黒い霧』は発表当時からずっと、おれと同じく感じた者からあきれ顔での批判を受けて絶えることがなかったという。本が出たのは共産主義が光り輝いた時だったのに。
画像:帰納的推理
画像:辞林21背表紙
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上に撮って見せたうち、下左が『日本の黒い霧』の半藤一利による解説、右が『小説帝銀事件』の保阪正康の解説だ。『黒い霧』が雑誌連載当時から大きな批判を受けていて、セーチョーがそれに反駁(はんばく)する文を書いて本のあとがきにした。それには「自分は帰納法で書いたのだ。帰納法だぞ、帰納法。だから確かな推論と言えるというのがわからんか。わからんやつはバカだな、バカ」と書いている。でもって半藤と保坂がまた、「ですよね。帰納法、帰納法。帰納法で書いたことは絶対確かと言えるんですよね。どうしてそれがわからないバカがたくさんいるんでしょうねえ」という調子だったのがわかると思う。
が、その画の上の方に小さな文字が並んでるのも読めますね。カメラで撮るとき三省堂の〈辞林21〉という横書きの辞書を下に敷いたのだが、中にひとつ【帰納的推理】という項目があるのを見つけられるでしょうか。
こう書いてある。
《特殊な個々の前提から一般的な結論を帰納により導き出す推理。蓋然(がいぜん)的な確かさしかもたない》
と。なんだかわからんだろう(おれもだ)が、「蓋然的な確かさしかもたない」ってのは読んでわかりますね。
「知ってるか? 帰納法で得られるのは、仮説だけだって」
とルパン三世もアニメの中で言っているのを前に見せた。帰納法では確かなものは得られない。仮説しか得られない。帰納法とは演繹と逆で、【ネス湖にネッシーがいてほしい】とか【宇宙人が地球に来ていてほしい】とかいう前提があってそれに合う証拠を探し、合わないものは無視するやり方で推理する方法。証拠としては「見たと言う人がいるらしい」というのがあればそれでよく、ただそれだけで、
『しかし、このUMAが首長竜と同一である、という断定は何もない。ただ、大層よく似ていた、と云うことは出来る』
なんてことが言えてしまう。
それだけでそこに首長竜がいるということにできてしまう。セーチョーの論は確かに帰納法に終始して、論理的に検証して演繹にしようとしていない。《何んでもかでも米軍の謀略にする》予断で書いたようなものを『帰納法で書いた』と言うので帰納法に終始してると言えるんだけど、《ではないのである》と書かれてしまうとなんと言っていいのやら。たぶん、誰か似たようなトンデモ論者が誰かに『帰納法に終始してる』と書かれてるのでも批判されてると思わず読んで、
「帰納法? なんだかよくわからないけどカッコいい言葉だなあ。オレも誰かに何か言われたら使ってやろう」
とでも考えたんじゃないのか。そして半藤と保坂も意味がわからないまま、
「帰納法。帰納法ですよね。帰納法」
と頷き使ってるというわけだ。類は友を呼ぶ。陰謀論者は陰謀論者の友を呼ぶ。金日成を白イタチのノロイと戦うガンバにしたい者達が朝鮮戦争を韓国が先にやったことにしようとし、帝銀事件をそのための雰囲気作りであったことにしようとした。だから平沢は冤罪で、娑婆にいたなら人間国宝ということになるのだけれど平沢の絵なんて。
横山大観やクリムトの画集ならどこの図書館にもあるはずだし、インターネットで見れるでしょう。ちょっと見てみろ。本当に凄い画家の凄い絵は素人が見てもすげえと思う。対して平沢の絵なんてもんは、思想で論じ政治に利用するやつに「いい絵」とされているだけだ。平沢の絵を見もせずに「富士山の絵は一流」と言ったりなんかする者達に「富士山の絵は一流」と言ったりなんかされているだけ。
そんな話は後の章で述べるとして、次からほんとに『GHQ陰謀説がいかにデタラメなものか』について語っていきます。
*
――と、ここまでは例の番組表を見る前に既に書いていたものなんだけどこっから先はまた付け足し。今回ここに書いたことを含むこれまで出してきた話がおれの知るセーチョーの〈あまり世に知られていない闘い〉なのだが、NHKのその番組じゃどういうふうに描かれるのだろうか。
って、その番組がそういう話なのかどうかもまだおれにはわからんわけだが、でもあの文を読む限りでは、半藤一利のやり方で事実を作り変えたもんなんじゃねえかという気がしてんだよな。どうか知らないけどさ。
てわけでここで、『小説帝銀事件』と『日本の黒い霧』の解説をあらためて撮ったものを見せよう。こうだが、
画像:二冊の解説
右が半藤による『黒い霧』、左が保坂の『帝銀』の解説。『黒い霧』が発表当初から大きな批判を浴びたというのは述べてきたけど、《大岡》とあるのは大岡昇平。きつい批評をこれに書かれている他に、その後もずっと《低次元の謀略史観による作品》と断じる言葉を絶えず受け続けていたのがあらためて読んでわかるでしょう。
――が、おれが注目してほしいのはそれに対する半藤の姿勢だ。セーチョーに向かって《そんな意図的なものならば、読者はとうてい最後まで読み通せるはずはない》と言ったという。
ウヒャヒャヒャ、その通りやんけ。『黒い霧』を最後まで読める人間てどれくらいるんだ? 保坂の『帝銀』の解説から、『黒い霧』の最初の話が〈下山事件〉。次の話が〈「もく星号」遭難事件〉というもんなのが見てわかるでしょうが。