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ブラックジャックに白夜露死苦


 
題名の〈白夜露死苦〉は「ホワイトナイツろしく」と読んでください。城の外堀埋めとして戦後の昭和についてこれまで語ってきたが、今回はそのまとめである。
 
〈戦後の昭和〉はしかし5つに分けて考えなければならない。敗北から朝鮮戦争勃発までの5年間と、1950年代。60、70、80年代。
 
これで5つね。帝銀事件は最初の5年のうちに起きたが、続く50年代に平沢の無実を唱える者はろくにいなかった。いてもロクなもんじゃなく、作家になる前のセーチョーみたいに世で嫌われる人間だった。平沢がどんな人間か知ってる者は皆クソミソに言っていたし、横山大観もそのひとりで、「あんな野郎を弟子にするわけないだろう」と逮捕の後で人に対して吐き捨てるように言ったらしい。事実、平沢が師事したというのはかなり怪しく、おれが「おれが会長」とひとりで言ってるみたいなもんでどうも平沢のフカシのようだ。
 
その大観が58年に死に、翌59年にセーチョーが『小説帝銀事件』を書く。その次の年が60年で、世の中は安保条約ハンターイ。
 
セーチョーが『黒い霧』を書き、帝銀事件の時に8歳で何もわからなかった子供がはたちでそれを読んだりする。頭がレボリューションを起こし、そこに巣くっている虫が「わかり始めたマーイ」と歌い出してしまう。
 
朝鮮戦争は韓国が先に攻めたというのを信じ、〈七三一〉の細菌兵器がそこで使われた話を信じ、共産圏の田んぼでは日本の倍も米が収穫できる話を信じる。ミサイルを積んだトレーラーが広場を進む映像を見ても『サンダーバード』のジェットモグラに見えるから、「あれは世界のSOSに応えるための核ミサイル。だからいい核ミサイル」と言って手を振り脚を上げ、広島から東京までの行進を始める。自分の頭で考えるのをやめるって、なんて素晴らしいんだろう。
 
60年代は共産主義が光り輝いた時代だった。ベトナムでは第二次インドシナ戦争が始まって、アメリカが介入することで〈ベトナム戦争〉と呼ばれる。ワスプは呪いの白イタチだ。頑張り屋のガンバな誰かが行ってその暴虐を止めなければならないのだ――安保反対のアンポンタンが共産主義を信じるゆえにそう叫んだが、今にこれを書いてるおれは1968年生まれなのでその時代を直(じか)に知らない。
 
そして75年頃までニュースを見ても何もわからない。共産主義の輝きは70年代になると消え失せ、アンポンタンの行動は安保に反対するよりも、自分達の中にいるいくらかものを考える頭があって「密植では米は獲れない」とか「核は全部いけない」だとか言う者を爆弾で殺し、一般市民が巻き添えで死んでも「革命のために犠牲はつきもの」と言って省(かえり)みぬものになる。自分では頑張り屋のガンバのつもりで。
 
画像ブラックジャック地下水道 アフェリエイト:ブラックジャック4
 
このマンガのようなものだが、おれは1978年に10歳になってこんなのを手に取り読むようになり始める。だから共産主義というのは、こういうもんだと思っていた。
 
〈敵〉とは自分と同じことを言いながら違うことを言うやつのことだ。
 
それを粛清することが革命であり闘争だ。正義のためには一般人を犠牲にしてかまわない。むしろ多くの一般人を犠牲にするやり方がよい。というのが共産主義で、「Don't trust over 30」と叫びながらに大人の中で最も信じていけない者が言う言葉を信じて聞く。10歳のおれが聞いても異常とわかるようなことを、大学なんかで難しいこと勉強し過ぎた者には逆にわからなくなる。
 
〈帝銀事件のGHQ陰謀説〉がそれであり、〇子ちゃん家(ち)でやはり10歳くらいのおれが本を手に取りアタマのとこだけ読んで、「すげえ」と思いながらも棚に戻した話は最初に書いた。何よりも、
 
『アメリカがこんなことをしたのだから我々は同じことをすべきなのだ。目には目を。銀行員をみんな殺せば資本主義を破壊できる。だからやろう。やってしまおう。スターリンと毛沢東、ポル・ポトと金日成がしたやり方に倣(なら)うのだ。これは革命なのだから、一般人も殺してよろしい。それが正義だ。ハンバーガーとコーラとサタデーナイトフィーバーな歌に穢(けが)れた世を焼き尽くすのだ』
 
とでもなんか言いたい感じの著者の思いがありとあらゆる行間からたちのぼってくるようだったのが気味悪かった。読みたくなかった。だから戻した。『ヤマト』の古代進みたいなやつは、歳を取ったらデスラーになりどこか異星人が住む星を見つけて滅亡させようとするに決まってる。これはそういう人間が書いたもんだというのをおれは子供心に感じたのだ。
 
それが70年代末で、オーケンが読んだ遠藤誠の本もそうだが帝銀事件の【平沢無実/GHQ陰謀説】の本なんてのは読んでおもしろいもんではない。オーケンがなんでおもしろいと思ったかと言えばオーケンの場合はオーケンだから、ロックの歌手が30歳を前にして「オレは今のままでいいのか」と考え、人間革命を試みる。そうは言ってもオーケンだから、やることと言えばサボテンのジュースを飲んでみたり、下着パブに行ってみたり、『私は宇宙人に会った』と言う人間と会ってみたり。
 
それでますます「オレは今のままでいいのか」と考えることになったりして、そんなところに普段好(この)んで読んでいる矢追純一の本とかと波長が同じで波動が違うものを読むから頭が「面白い」と錯覚してしまっただけで、ただのゲテモノ趣味じゃないかな。知らんが。とにかく遠藤誠の本は、前回にちょっと見せた通りのああいうものだ。
 
すべての文があんな調子で書かれている。赤旗左翼の人間はああであるため80年代に入るとさらに一般からの支持を失くした。ポル・ポトによるカンボジアでの虐殺や、ソルジェニーツィンの本の出版、ミハイル・バリシニコフというダンサーの活躍といったことごとも追い打ちをかけた。
 
画像:ホワイトナイツのチラシとバリシニコフのプロフィール
 
『ロッキー4』に『ホワイトナイツ/白夜』という映画をおれが見たのが1986年、高校三年の時だった。今にして思えばこのころソ連と中共は終わりの兆しが見え出しているが、赤旗左翼の人間達は感じていない。
 
日本で新たに共産主義を信じる者はもう生まれなくなるが、帝銀事件のGHQ陰謀説だけは信者を増やし続けた。ひとつには事件についての正しい知識を持つ世代が死んだり老齢になったこと。実験説がもっともらしくは聞こえること。オーケンみたいなバカが酒場で酒飲みながら、「ボクは帝銀事件てサ、GHQの実験だったと思うんだよネ」なんてカッコいい気で言うのにちょうどいいような話であること。
 
などがあるけど、しかし何より、それが冤罪の時代だったことが最大の要因だろう。80年代は帝銀事件と同じ頃に起きたいくつかの殺人事件で、犯人とされ死刑判決を受けながら無実を訴え続けた者が30年して再審無罪を勝ち取るケースがいくつも続いた時代だった。〈免田事件〉〈財田川(さいたがわ)事件〉〈松山事件〉〈島田事件〉……当時におれは裁判所から人が出てきてこんな感じに、
 
画像:究極超人あ〜る無罪 アフェリエイト:究極超人あ〜る
 
作品名:端数報告6 作家名:島田信之