端数報告6
中国から来た動物は偉いか?
帝銀事件と直接関係ないけれども、城を落とすにはまず外堀を埋めねばならない。だからまだまだ〈謀略朝鮮戦争〉の話だ。
『日本の黒い霧』の文庫版に解説を書いているのが半藤一利。『小説帝銀事件』の解説は保阪正康。そのふたりがいずれも2006年に出したそれぞれの著書にこう書いている。
画像:保阪正康松本清張と昭和史・半藤一利昭和史戦後編1945-1989
半藤の方には《今になってはじめのころの戦局を見ると、北の朝鮮民主主義人民共和国が十分に準備をして攻め入ったと考えざるを得ません。》とあるが、この男にはかなり長く、世に対してセーチョ―と同じく【韓国が先】と言っていた時期があると見える。そうでなければこの書き方はしないだろう。
保坂の方も同様だが、《当時から一九九一年のソ連崩壊までは(略)韓国浸出説が有力》で、《これは思想的に論じられてきたケースといえるだろう。》とある。でもってさらに《それが日本でも受け入れられていた》と書いてるが、おれは読んで首を傾げた。
韓国浸出説が有力? それが受け入れられていた? いやそんなの、これを読むまでおれは聞いたことないぞ。おれが知らなかっただけかなあ。『黒い霧』を読むまではセーチョーがそんなことを言っていたのも知らなかったし、そんなバカげた考えがあること自体知らなかったが。
未明に敵が攻めてきたのを15分で倒して逆に攻め込んでいく。バカバカしい。有り得ない。なのにそれが思想的に論じられ、信じる者に信じられた。1991年までだって? でもそんなことおれは知らない。いや、おれが知らないことはこの世の中にいくらでもあるけど、しかしひとつ思い出すのはたとえばこんなようなことだ。前に見せた〈宮崎アニメ徹底大研究〉の座談会で、岡田斗司夫が「宮崎(駿)さんがちょっと困るなというのはね」と言って、こんな言葉を続けてるのだが。
画像:封印中国は偉い
写真撮っといてほしかったねえ。今ならみんながケータイでパチパチ撮ったに違いないのに。
それまで信じていたものに裏切られた者の思い。宮崎駿は60年代に中国を信じた。70年代に『パンダ・コパンダ』というアニメを作った。その内容は「中国は偉い! 中国から来た動物はもっと偉い!」て感じのものだった。
しかしそれが天安門事件によって、打ち砕かれてしまったときの思いは果たしていかなるものなのか――ちなみにおれはその『パンダ・コパンダ』を、1990年2月に見ている。その頃は手帳を付けていなかったので、何日かまではわからないが。
画像:宮崎アニメイベントのチラシ
『それは確実な証拠と云えない。【「セロ弾きのゴーシュ」と「柳川掘割物語」は見たが「パンダ・コパンダ」は見ていない】という仮定も成り立たぬでない。つまり島田がそのときにそのアニメを見た証拠は何もないと云えるのである。』
ああああ、やっぱりセーチョーには、そう言われてしまうのかああっ! そして後の人間に、おれが見たのは『柳川掘割物語』だということにされるのかああ。なんで。なんで。なんでだよお。こんなことがあっていいのかあ。
一体誰がそんなもんをカネを出して見るてんだよお――って、どうも話が妙なところへそれてしまったようであるが、なんだったっけ。【韓国が先】を信じた者が多くいたようでもあるが、そんなのおれは知らなかったということか。その昔――その戦争当時から宮崎駿が『パンダ・コパンダ』を作っていた70年代前半くらいまではこれが結構インテリゲンチャの間で信じられていた。でも一般の常識を持った人間からは「そんなバカなことあるわけねーだろ。これだから大学出はよ」と言って笑われていただけだった。
ということじゃないのかこれは。1975年のベトナム戦争終結頃まで、「ソ連と中国がいい国で、アメリカの方が悪い国」というイメージが結構あった。しかしガンジーの話の回で見せた画で岡田斗司夫が言ってたように1978年くらいに変わり、アメリカと中ソどちらが悪か言えないようになってきた(岡田はあの画で《中国とソビエトどっちが》と言ってるが、ほんとはこう言おうとして間違えていると思う)。おれはその頃に10歳の小学四年生くらい。
その手の話がようやくいくらかわかるようになる頃合だ。「朝鮮戦争は南北どちらが」なんてこと人が言わなくなった頃に10歳。たぶんそういうことなのだ。1991年頃までは一部に語るおっさんもいたが、あまりにもおっさんくさい話なのでおれの耳までは届いてこない。
セーチョーが死ぬのが1992年。その3年ばかり前からろくに目も見えないようになってたらしい。天安門やソ連崩壊の話もだからわからずに、最後まで【南が先】と信じてあの世に行ったのかもしれない。
それとも知って認めずに、未だに平将門の怨霊のようにこの世を漂い、「南が先だあ。帝銀はGHQの実験だあ」と唸ってその辺の不細工な男に憑りついて、脳のOSに干渉し機能を狂わせているのかもしれないが、逆にその1992年か3年に図書館で借りた本で帝銀の陰謀説をある程度知り、「いや、そんなの頷けない」と思ったのがおれである。しかし令和になる今も、顔が不細工な男達は『日本の黒い霧』を読んでこんな具合になるらしい。
画像:半藤一利・竹内修司・保阪正康・松本健一・著『占領下日本』
うーん……この竹内修司ってやつ、【朝鮮戦争は南が先】と未だに唱えてんのか? 広い世間にゃそういうやつもまだいるのかしらねえ――と、これは見てわかると思うが半藤と保坂が他ふたりの不細工と『「日本の黒い霧」の推理は正しいか』というテーマで話した塩辛談義を録したものだ。それはさぞかしおぞましい光景だったことと思うが、「『黒い霧』の推理」と言ってもそのうちひとつ、〈下山事件〉についてだけ絞って座談が交わされている。
半藤は《自殺はないんだろうね。これが自殺だったらおかしいものね。》と言っているけど、これはセーチョーを支持するものとわかるね。それに対して保坂が佐藤一(はじめ)という自殺説を唱える人物を支持するようなことを言ったり、《これは有り体に言えば〜類のものじゃないかと思う(おれに言わせりゃこれがマトモ)》と言ったりしてるところがある。
つまりセーチョーを否定してるのがわかると思うが、この四人の中でどうやら唯一セーチョーを信じ切ってはないらしい。今回の最初に見せた『松本清張と昭和史』というセーチョーを讃える本を出しときながら、それに書いているのがこう。
画像:保阪正康松本清張と昭和史「日本の黒い霧のなかでも
《(略・下山事件の)松本の替え玉説が具体性に欠けるとの印象を持っている。自殺説の側に立ちつつ、他殺説も吟味したいという立場なのである。》などと言ってる。でもってその前のページに自分が引用したセーチョーの《(略)謀略がなかったとは云えまい。》《(略)謀略でなかったとは、誰も云い切れないのである。》という論調にウンウン頷き、