端数報告6
抱腹朝鮮戦争
画像:日本の黒い霧目次とうらすじ アフェリエイト:日本の黒い霧
前回の続きなのでいきなりいくが、松本清張は『日本の黒い霧』の最後に『謀略朝鮮戦争』という話を書いている。そしてそれはその戦争を、【韓国側が北朝鮮を先に攻撃した】としているものである。もちろんそれが起きたときにもこれが書かれた1960年にも世の普通の人々は「北が南に攻め込んだ」と聞いてて疑ってないのだが、それを間違いとするわけだ。知ってあなたは驚かなければならない。
「えええええっ!」
と。そして言わなければならない。
「バカな。そんなのあるわけねーだろ! そんなことを信じて言う人間が世界のどこにもいるわけねえだろ!」
と。しかし事実である。帝銀事件と関係ないが、セーチョーはそうは考えてない。その頃に起きた大きな事件のすべては韓国に北を攻め込んで勝たせるためにGHQがやった(つまりアンダースンにやらせた)事だと言うのである。帝銀事件もそのひとつということになり、だからセーチョ―の頭では関係があることになる。
「なんのこっちゃい」
とあなたは言うかもしれない。もちろん、そう言わねばならない。しかし獄中の平山を撮った新藤健一は読んで真に受けたらしく、前に見せたものの続きにセーチョーの文を引用している。下に見せるものがそれだが、日本で当時に起きた事件を朝鮮で戦争を起こすための雰囲気作りのための工作だと《私は思う。》、清張が『黒い霧』にそう書いている――とこの本に書いているのだ。このフォトジャーナリストさんが、ウムウムウムと頷きながら『黒い霧』のあとがきである『なぜ日本の黒い霧を書いたか』を読んだのが窺えますね。
画像:写真のワナ清張の黒い霧の話
雰囲気作りのための工作。
帝銀事件は雰囲気作りのための工作。そうセーチョーは言うのである。毒の実験だったのだが、それ以上に韓国に北を攻めさせるための雰囲気作りを日本でするための工作だと。
「日本で雰囲気が出来たからあの戦争は始まったのだ」とセーチョーは思ってそれを堂々と書いて世に出したのである。すげーなあ。矢追純一も中沢健(たけし)もなかなかここまでおもしろいことは言ってくれない。上坂(うえさか)すみれもこれを知ったら、「お近づきになりたい!」だとか言ってくれるのでないか。
画像:中沢健と上坂すみれ
そしてこれを新藤健一のようなのが信じて読んだのがまたすごい。戦争の後で世が混乱してるなら妙な事件も起きるだろうさ。勝手に変な雰囲気をセーチョーが感じてただけだろうが。ちょっと大きな事件が続くと「地震の前触れではないか」なんてなことを言う人間が今もいるけどそれとなんにも変わらない。雰囲気作りも結構だけど日本でやってもしょうがねーだろ。韓国でやらな意味ないんちゃうの――などとは決して考えないのだ。《あらゆる角度や視点から社会や歴史、ものごとをとらえ、見つめていく》なんてなことを書いているけど、それだったらまず初めに、セーチョーと自分の頭を疑ってみてはどうなんですか。
とおれは言いたいが、何はともあれ現物を見せよう。見なきゃ信じられないでしょう。写真は写ってなんぼのもんで、撮ったのを見せられなけりゃなんにもならない。本のページをカメラで撮るのも撮影行為に変わりはない。『黒い霧』の『謀略朝鮮戦争』は、短い前置きの後にこう始まる。でもってうんぬんかんぬん言ってその下の画。
画像:日本の黒い霧朝鮮戦争の始まり
画像:日本の黒い霧韓国が先だ アフェリエイト:日本の黒い霧
ここだけ読んでも言い草がものすごいのがおわかりになるのではあるまいか。一般的には北が南に攻め入ったと理解されているのだが、セーチョーはその逆だと言い張っている。日本海にいた何十隻という船に兵隊が乗っていて、韓国の海岸に上陸・進軍してきたことまでも【南が先】の根拠にしている。
なんで。なんで。なんでそういう理屈になるの? でもってこんなことを言うのだが。
画像:日本の黒い霧北朝鮮では アフェリエイト:日本の黒い霧
うーん、なんと言ってよいやら……ダメだ、言葉が見つからねえよ。ここまで途轍もないことを本気で書いちまってるもんを見せられたら、どうツッコンでいいかもわからん。
が、とにかくわかるだろう。朝鮮戦争は1950年6月25日未明、北朝鮮の軍隊が国境線を全域で越えて南にドドドドドと進撃してきたことに始まる。そして海からも同時に来たし、爆撃機も飛んできた。それはまさしく人と戦車の津波だった。
だったわけだがセーチョーは、それを韓国が先にやろうとしたのだが15分かそこらで撃退されてしまい、その15分後に――何しろ夏至の頃だから4時に始まって4時半くらいに――何十万て軍勢が金日成の「それ行け」という声に従い南を討ちに進み出したと言うのだ。そしてセーチョーの考えでは、銃や戦車や爆撃機を使って人を殺しているが全朝鮮の平和的統一のための闘いなのだからいい、と。
そう言っちゃっているわけなのだ。おわかりだろう、これは前にここで見せた「中共の核はいい核だ」と叫ぶ者らと同じ考え方である。
けど、そんなことあるわけねえだろ! いろんな意味であるわけねーだろ! 北朝鮮の人間は夜に寝ないとでも思ってるのか? リゲインでも飲んでいるから24時間戦えるとでも思ってるのか? 戦車に燃料や砲弾をどう補給する? 何十万て兵隊をどう食わせて休ませる? 指揮をするにもどうやって指示を隊に伝えるんだ?
そんなもんは綿密な計画なしにできるわけない! いっせーのせで侵攻する準備がなけりゃできるわけない! こんな話はシャーロック・ホームズが実在したり、地球が平らで象や亀に支えられてる話並みにバカげてる!
おれはそう思うけれども、ソ連と中国と北朝鮮を信じた昭和のインテリゲンチャはしかしそんな考えはしなかった。池上彰の『そうだったのか!朝鮮半島』という本を図書館で借りてみると、こんなことが書いてある。
画像:そうだったのか!朝鮮半島朝鮮戦争の始まり アフェリエイト:池上彰 そうだったのか!朝鮮半島
そしてまた、こんなふうにも。金日成の指導の下に、田んぼに苗を日本よりたくさん植えてやることで何倍も米を収穫できたと。そんなことがほんとにできてやってましたと。上坂すみれも大好きなコルホーズ農法というやつだな。
画像:そうだったのか!朝鮮半島主体農法 アフェリエイト:池上彰 そうだったのか!朝鮮半島
これを昭和のインテリゲンチャは、信じちゃっていたというのだ。これを信じるくらいだから、あの戦争は韓国が先にやったというのも信じた。松本清張が『黒い霧』に書いてるというのもあって信じ込んだ。そしてソ連と中国の核兵器はいい核兵器だというのに「そうか、そうなんですね」と頷き、「そんな」と言うのが集まりの中に入ってきたら寄ってたかって糾弾していた。
それが昭和のインテリゲンチャ。ベトナム戦争とその後遺症が日本に変な形であらわれたものだったというのが、おわかりいただけただろうか。チェルノブイリと天安門事件、ベルリンの壁崩壊の後にかの地を訪ねて人が見たのはこんな光景だったようだが。