端数報告6
愛国者のゲーム
1992年の夏にT・クルーズとN・キッドマンの『遥かなる大地へ』を見た話を前に書いたけど、古い手帳を調べてみるとその翌週にハリソン・フォード主演の『パトリオット・ゲーム』をおれが見ているのがわかった。
画像:手帳のページ
と言ってこんなものを見せても、「そんなの後からいくらでも書けるだろうが。証拠になるか」と言われてしまうかもしれない。そう言われたらその通りで、言い返すことがおれにはできない。
『島田がその日に映画を見ている証拠は何もないのである』
セーチョーみたいな人間にそういうふうに書かれてしまうと、おれにはこの映画を見た証拠がないことになってしまい、だから映画を見てないことになってしまうわけである。
のちの者には前売り券をおれが持ってることもなかったことにされ、まるきり違った話に作り変えられてしまう。前回の予告で大谷というジャーナリスト野郎がそれをやっているのは見せたね。しかしまあとにかく、『パトリオット・ゲーム』というのはイギリスの皇太子がIRA(アイルランド解放戦線)のテロリストに狙われて、H・フォード演じる主役が護るという話だった。
なんだけれども、ここには星を三つつけてるがなんで三つもつけたのかな。主役が好きになれなかったし、「イギリスの皇太子なんか殺した方が世界平和のためじゃないか」と思ったような憶えもあるのに。
それがわからん。だいたいおれはその前の『レッド・オクトーバーを追え!』の時から主役のジャック・ライアンてのが気に入らなかった。ジャック・ライアンがどんなやつかと言えば、
画像:景山民夫『LIFE IS A CARNIVAL −極楽なんでも相談室−』マイク・レズニック『一角獣をさがせ!』
この二冊の本のうち左に書かれているようなやつだ。そしてイギリス人てのは、右にあるようなやつらなわけだろ。その皇太子。ズドンとやっちまった方がええのとちゃいまんのですか。
などと思ったような記憶があるんだがな。で、まあ、なんだ。その、あれだ。セーチョーの『小説帝銀事件』て本はこう、
画像:『小説帝銀事件』アンダースン アフェリエイト:小説帝銀事件
始まる。主人公で新聞社の論説委員の仁科俊太郎は仕事による旅の途中、泊り先のホテルのロビーで旧知の人物と偶然出会う。相手はかつて警視庁の官僚だったが今(59年頃ね)は民間に天下っている岡瀬隆吉という男。話しているうちアンダースンという人間の名前が出る。占領期の日本でGHQの防諜にいて、特務機関を作っていた噂があった男だ。
岡瀬「あなたは、アンダースンに会ったことがありますか?」
仁科「ありません(略)」
岡瀬「ひどい奴ですよ(略)」
言って悪口を並べ立て、
「(略)帝銀事件のときでも、警視庁にやって来て……」
しかしそこで口をつぐむ。仁科が「帝銀事件にも?」とうながすが「いや、なに……」と取り繕うようにして、
「それは何でもなかったことですが」
そうして元警察幹部は、逃げるようにその場を去っていくのであった。
――帝銀事件のときにそいつが警察に来たのか。
そう考えた仁科俊太郎は、論説委員の立場を使ってこの事件を調べ始める。と言っても社にある記録を引っ張り出して読むだけである。GHQの実験だという疑いを最初から持ってのことだが、何ひとつ確かなものは得られず終わる。
*
「知ってるか? 帰納法で得られるのは、仮説だけだって」
画像:ルパン三世PART5 アフェリエイト: ルパン三世PART5
というのは『ルパン三世PART5』第二話のルパンのセリフだが、このアニメでは隣にいる女の子は「だから検証した」と応える。少しは演繹というものを知った人間の脚本のようだ。
だから検証してみよう。これはそもそもが〈小説〉であり、描かれているのはフィクションに過ぎない。セーチョーが読者に陰謀があったように思わすために作っている話であり、アンダースンという男のモデルになる人物の噂があるのかもしれないが、それは噂があるだけである。
【陰謀があったのだ】というふうに人に思わせたい者が作った話をセーチョーが聞いて鵜呑みにし、それを元にセーチョーがこさえた。そういうものである見込みが極めて高いと言うべきものだ。
「名は言えないが元は警察官僚で今は公団の理事とかをやってるという人物が、新聞社の論説委員と旅先で会ってね――」
なんていうような都市伝説。それを小説化したものだ。
それが結論。てゆーか、どう見てもそうだろこれは。この『小説』は小説と言っても、後はひたすら主人公の仁科が記録を読むだけだ。人と話すのはこの冒頭のシーンの他には、妻と話して平沢のことを「あんな極悪人、早いとこ処刑してしまえばいいんだわ」と言われて言い返せないところがあるだけ。最後は《新聞社の論説委員会の席でも、仁科のテーマは敬遠されて断られたばかりであった。》と書かれて終わる。それが松本清張の『小説帝銀事件』である。
画像:『小説帝銀事件』主人公の妻 アフェリエイト:小説帝銀事件
「こんなものは小説じゃない」
とおそらく当時の人にも言われたのではないかと思う。岡瀬が翌日に殺されたり、仁科もクルマに轢かれかけたり、危うく毒を盛られかけて「こ、これは青酸パリダカラリーというものだ!」なんていうのが小説であってこれは小説じゃありません。主人公は事件の謎を解くだけじゃダメで、無理矢理花嫁にされようとしている女の子を緑の野に放してあげる、それができて初めてのもんです。それをなんですか一体これはと。
何もそこまで言わなくていいんじゃないかとおれも思うが、きっと言ったのがいたと思うな。セーチョーは次に『日本の黒い霧』を書くのだが、ここで前にも見せている『小説』の、
画像:『小説帝銀事件』そうかアンダースンが アフェリエイト:小説帝銀事件
このページの文をまた読んでほしい。〈アンダースン〉という名前が占領期の大きな事件でどこかに出た、と仁科の記憶で書いているのを確認できるが、そんなのほんとは存在しない架空の男に誰かがアンダースンという名前をつけただけなんじゃないのか。
「ねえ松本さん、聞きましたか。今度の事件もアンダースンが裏にいるって噂ですよ」
毎回毎回おんなじ人にそう言われてただけなんじゃないのか。
〈噂がある〉わけでなく、全部が全部そいつが作った話であって聞いて真に受けてくれるのが松本キヨハル(清張)君だけだった。他の人間はこの話の、
画像:火浦功『牛が出てきた日』
〈良一〉というキャラのように、〈エリ〉の言うことに取り合わなかった。ただそれだけのもんじゃないのか。
ほんとはどこにも出てきていない鵺(ぬえ)のような男の名前が出ていたことにするために、セーチョーが岡瀬という男をまず創り出してそいつと主役に「あなたは、アンダースンに会ったことがありますか?」「ありません」「ひどい奴ですよ」という会話をさせた。これはそれだけのもんじゃないのか。