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端数報告6

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ゼロ年代のマイ人間革命


 
【帝銀事件の平沢貞通を死後のリンチにかけて吊るす会】の4回目だが、平沢が本当に死んだのは1987年。その頃いつも街に流れていたのが渡辺美里の『マイ・レボリューション』。意味は〈私の革命〉である。『マトリックス』のパート3がグダグダの映画だったように、革命なんていうものはわかったつもりで何かを変えようとして始めても後が続かずメチャメチャになるのが世の常のような気がするが。
 
何事も見切り発車で始めちゃいけない。そうは言ってもおれの場合、いつもいつも見切り発車で始めながら話をどんどん大きくしてったうえにちゃんとまとめて終えてきているつもりであって帝銀事件についてもそうで、今こうして最初から書き直しているのである。前回までは1990年代、おれが20代の頃に事件をどう考えたか書いてきたが、今回からは30代のおれが次のディケイドに考えたことを書いていこう。
 
まず西暦2000か2001年。おれがこんな、
 
画像:絶対外れる馬券術表紙
https://novelist.jp/68279.html
 
短篇を書いて前におれが書いたものを読んでくれた出版社に試しに送ってみたところ、「カメラの話よりおもしろかった。新人賞に応募すればいいところにいくのでは」なんて評をもらったのでやってみたらカスリもせずに「ちっ」と思っていた頃だ。どうも予知能力で競馬を外す話なんていうだけで下読みのやつに読まれもしなかったのじゃないかという気がするのだが、とにかくおれはその頃に一冊の本を手に入れて読んだ。
 
アフェリエイト:のほほん人間革命
 
大槻ケンヂの『のほほん人間革命』。これだ。けれどもたぶん30過ぎてもこんな本ばかり読んでいるからおれはダメな人間なんだろうな。だがその中に〈遠藤誠を知れ!〉という章があり、平沢貞通の弁護団長で当時に〈死後再審運動〉なんていうのをしていた人物とオーケンが対談し、文にしたものがおさめられている。
 
オーケンと弁護士が対談。嘘のようだがこの通り、
 
画像:のほほん人間革命247ページ遠藤先生の書いた『帝銀事件と平沢貞通氏』を読みまして アフェリエイト:のほほん人間革命
 
ほんとの話だ。妙な取り合わせだがここに書かれる『帝銀事件と平沢貞通氏』という本についてオーケンが《まあ、遠藤先生からいただいたんで読んだわけですが》と話している箇所があり、おそらくテレビの番組でスタジオの雛壇に並ぶような機会でもあって知り合い、本をもらって読んで対談ということになったのだろうと推察できる。
 
画像:のほほん人間革命248−249ページまあ、遠藤先生からいただいたんで読んだわけですが アフェリエイト:のほほん人間革命
 
こうだが、しかし読んでみて、おれは強い違和感を覚えた。例によってGHQ実験説が語られており、それに頷けぬおれには頷けぬ話なのだがしかし、それまでに読んだ以上にこの弁護士がオーケンにするGHQの陰謀話は頷けなかった。まるでオーケンが飛鳥昭雄や矢追純一のする話をマジメに聞いて「UFOはいるんですね。宇宙人は来てるんですね」と応えているかのように読める。
 
あるいはオーケンが消火器売りに消火器を買わされているものでも読まされているように感じる。対談は角川文庫版で正味33ページ。うち12ページ強が帝銀事件についてとなって、他の部分はそうでもないがその12ページは対話のすべてが何から何まで、
 
遠藤「僕は消防署の方から来たの」
大槻「消防署の人なんですね」
遠藤「そう。消火器は全部の部屋に二本ずつ置かなきゃいけないことになってんの。そういうことにちゃんとなってて決まってることなんですよ」
大槻「決まってることなんですね」
 
こんなふうに書いてあるように感じて仕方がなかった。
 
おれは思った。この弁護士は嘘をついてる。オーケンは騙されている、と。それは確信に近かったが、その一方で「はてな」と思うところもあった。この弁護士がこんな嘘をつくってことは世に言われる話と違って平沢という画家が犯人ということになるが、なんで絵描きが帝銀事件なんて犯罪をやると言うんだ?
 
そこがどうもピンと来ないし、その本からはよくわからない。これまで書いてきたように、おれは犯人を『第三の男』の〈第三の男〉のようなやつだろうと考えていたし、その考えはその本を読んでも変わらなかった。そして「画家が犯人」というのは、おれのジグゾーパズルにはピタリとはまりこんでくれない。
 
そのときはそう感じ、「なんかなあ」と思っただけで棚に上げる。それが2001年くらいで、その頃にこの、
 
アフェリエイト:高野和明13階段
 
というのが江戸川乱歩賞を獲って世の話題になる。もっとも、おれが図書館で借り出したのは2年ばかり過ぎてからだが、しかし読んで、
 
「なんだこりゃ。何もかもデタラメじゃねえか。一体なんでこんなものが」
 
と思った。しかも宮部みゆきとか大沢在昌とかの絶賛を受けて受賞したもので、下読みのやつも揃って大きな自信のうえに上にあげたらしいと知ってホトホトあきれる。こんなもんがそうなるんじゃあ、おれが何を書いたって本になるわけなんかない。
 
そう考えて絶望したところにまた、
 
アフェリエイト:マイノリティ・リポート
 
この映画を見ることになる。これも公開から2年ほどして、レンタル落ちのVHS(おれはそのときDVDプレーヤーをまだ持っていなかった)を200円ほどで買って見たのだったが、やっぱり、
 
「なんだこりゃ。何もかもデタラメじゃねえか。一体なんでこんなものが」
 
と思った。『13階段』と同じく「冤罪許すまじ」という作り手の主張が話の全体を支配しているのだが、やっぱりSF作家なんかがみんな絶賛し、「スピルバーグも大人になった」とか言ってるというのを知ってまたあきれる。
 
この2作をお偉い先生方が褒める理由が「冤罪は許してならないものというのをちゃんと描いてるから」とわかるが、おれはどちらもスジがめちゃめちゃとわかるのだから承服できない。
 
スジがちゃんとしてればいいよ。でも、してないんだものこいつらは。特に『マイノリ』。おれはディックの原作を読んでいたから尚更思った。こんなの、ディックでもないだろう。トム・クルーズの主導で作っているものだからすべてがクルーズ・コントロールされてる。「自分がこうと思うものは必ず正しい」という考えに貫かれ、それが揺らぐことがない。
 
そんなのはディックじゃないと思った。おれが原作のアイデアをもとに映画の脚本を書くならそうだな、G・グリーンがウィーンの街を歩いて話を考えたように考えてみよう。まず小説の形に書いて、ちゃんと出来てからそれを脚本に直すとしよう。主人公は「お前は殺人を犯す」と予知され迷路のような街を逃げる。出会った女に「殺しなどするわけない」と訴えるけどしかしそこで、
 
「それだったらなんで逃げたの? 逃げずにその場にいればよかったじゃないの。『殺人を犯す』と予知された時間に自分から檻に入っちゃって、『おれはこっからテコでも出ないぞ! だから殺しなどするわけないぞ!』と叫んでりゃいいじゃない。そんな人間を誰が疑う? だからそうすべきだったのよ」
作品名:端数報告6 作家名:島田信之