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『第三の男』の〈第三の男〉


 
【平沢貞通を吊るす会】の3回目だが今回は、帝銀事件と直接には関係のない話をしたい。直接関係ないけれども間接的には関係あるとおれが思う話をしたい。
 
1回目と2回目で触れた『第三の男』という映画についてだ。おれがその映画を見たのはおれがはたちのときだった。1989年。平成になって最初の年の5月連休かその前後だ。高田馬場の駅から歩いたところにある〈早稲田松竹〉という映画館で、『市民ケーン』と併映だった。
 
「名画の中の名画」と呼ばれ、「最高で完璧」とか「何度見てもおもしろい」と言う人がいるのは知ってたが、具体的にはなんにも知らない。その状態で見たのだが、正直に言って古いばかりでおもしろいと思えなかった。
 
ただ、いくつかゾクリとするところはあった。後で知ったがなんでも当時、オーストリアの首都ウィーンで実際にあった犯罪を材にしてるというのだけれど、その話が帝銀事件にどことなく似ている。
 
タララララン、ララン……というおなじみのあのテーマ曲がNHKの〈名曲アルバム〉という5分間の番組で流れたのを録画したのが手元にあるのでそこから見せよう。『第三の男』は、
 
画像:名曲アルバム第三の男
 
こんな映画だ。オーストリアは第二次大戦の前年にナチス・ドイツに併合された。ヒトラーの国の一部になっちゃったわけで、ヒトラーとともに世界に戦いを挑み、ヒトラーとともに連合軍にやっつけられた。イギリスの作家グレアム・グリーンは戦後のウィーンを舞台とする映画の脚本を書く仕事を請け負って1948年2月、つまり日本で帝銀事件があった翌月にその地へ赴く。
 
そして当時その街であった忌まわしい犯罪の話を聞き、それをもとにまず小説として物語を書いてから映画のシナリオの形にした。それが『第三の男』であり、〈まず小説として書いたもの〉を原作本として出版し、日本で訳したものの解説に、
 
画像:第三の男原作解説 アフェリエイト:グレアム・グリーン第三の男
 
こんなふうに書いてある。当時のウィーンと東京が、よく似た境遇にあったと言えるのがわかるだろうか。
 
1948年1月。帝銀事件の直前に、アメリカ陸軍の長官が「日本を共産主義に対する防壁にする」と演説する。〈ドレーパー使節団〉というのが送られてきて、日本の復興に力を入れ出す。隣の朝鮮半島では北と南に分けられた国が分けられたままそれぞれ独立しようとしていた。日本はつまり〈大韓民国〉と呼ばれることになる側の後ろ盾にされることに……。
 
という。そっくりだ。日本とオーストリア。東京とウィーンはこの当時、世界の中で同じ立場に置かれていたと言うことができよう。
 
そのとき日本の東京では『東京ブギウギ』の歌が流れ、ウィーンではアントン・カラスという男がタリラリランのコニャニャチワな曲を弾いて稼いでいたが、その一方で東京では〈帝銀事件の犯人〉という怪物が生まれ、ウィーンでも人殺しなどなんとも思わぬ悪党が似たようなことをしでかしていた。『第三の男』はそれを描いてる。犯罪は社会を映す鏡だという。現代に生きる我々は当時がどんな世であったのか肌で知ることはできない。しかし、この映画はほんの少しでも窺い知る助けになってくれるのじゃないか。
 
1989年。映画の製作から40年後にこれを見て肌に粟が立つ思いをしたおれはそう考える。だからこの映画について語るのは帝銀事件を考えるうえで意味があることだとしたい。
 
とにかくこいつは敗戦国の闇を描く。現代に近いものがあるとすれば地震や火山噴火などの被災地だろうか。そこでは〈被災地泥棒〉なんていうのが横行するのがよく知られる。
 
卑劣極まる悪党だ。大型バンにカップ麺など山と積み込んで避難者キャンプへ。「どうぞどうぞ」と配って人々を信用させる。救援隊に取り入って家屋の倒壊現場に入り、カネ目のものをゴッソリいただきバンにまた積んでハイさようなら。
 
そんなことが平気でできる人間が世にはいくらでもいるのだとか。犬や猫が寄ってくればエアガンで撃つし、毒餌を食わせてもがき苦しんで死んでくとこを笑って見物したりできる。そして去っていくときも、早くどこかで次の災害が起きてほしいなと考えている。
 
それが被災地泥棒だが、被害者となる人々は不思議とあまりそいつらを憎むことはないらしい。
 
そうは言ってももし見つけたら寄ってたかって棒で殴り、泥の中に顔突っ込ませ殺すくらいやりかねんわけだが、だからと言ってそいつらを強く憎むわけではないとか。彼らが本当に憎むのは、むしろこんなようなやつだ。
 
画像:指差す古代進 アフェリエイト:さらば宇宙戦艦ヤマト
 
はい。またまた出てきたこいつ。どこからともなくやってきて、大物ぶって自分達を集合させて、
 
   *
 
「皆さん。11番惑星で皆さんを救助し、地球へ送り届ける。それが私達の思いでした。しかし、事態は思いがけない方向へ向かってしまった。本当に、本当に申し訳ない。ここから先、ここから先、何があろうと、森一尉が地球へご一緒します。ユキ、ユキ、聞こえているか。君には、謝らなきゃならないことがたくさんある。怖かったんだ。危険な航海に巻き込んで、君を失うことを。いや、それだけじゃない。君と一緒にいると、それだけで充分で、幸せで、他のことなんかどうでもよかった。当たり前のことが当たり前にできない、今の地球に埋もれてしまいそうで、怖かったんだ。だからおれは、君から離れようとした。でも君は〈ヤマト〉に乗り込んでいた。それを知ったとき、うれしかった。理屈じゃない。ただただ、うれしかった。俺は、どうしようもない、弱くて、身勝手な人間だ。これから起こることは、君にはなんの関係もない。生きていてほしい。君を失うなんて耐えられない。どんな罪を、背負い切れない罪を背負うことになっても、俺は!」
 
アフェリエイト:宇宙戦艦ヤマト2202
 
みたいなことをべらべらと自分に酔った口調でしゃべり、それが済んだら去っていく。熱血な己の姿をマスコミのカメラに撮らせて全国に見せるのが目的で、もちろん後でなんにもしない。
 
それが入れ替わり立ち替わり。被災地の人が本当に憎むのはそんな連中だとかいう話を聞いたことありませんか。
 
それから自分達を追い立ててキャンプに連れてきた役人ども。「一時的な避難です。明日にも帰れますから少しの着替え以外持たずに――」みたいなことを言うがそれが嘘なのは最初から顔に書いてあった。そしてその後も何から何まで言うことが嘘。
 
帰ったときに物を盗まれ犬が死んでいたならばそれはそいつらのせいなのであり、だから心の底から憎むが当の〈愛の戦士たち〉は実はなんにも考えてないからそれと気づくことすらなく、いい気な顔をし続ける。カイ・シデンはそんなエリートが嫌いである。いいよな、おれ達と違うやつはよ。なんてことを人に聞こえよがしに言う。
 
『第三の男』が日本に来たとき、映画館に行列が出来た。人々はこれを最高で完璧と言い、何度見てもいいと言った。
 
作品名:端数報告6 作家名:島田信之