端数報告6
【吊るす会】発足のお知らせ
帝銀事件についてあらためて最初から書き直してみようと思う。何しろこのブログは事件について詳しいわけでもなんでもないのに見切り発車で始めてしまっているものだから、特に最初のうちはずいぶん間違ったことを書いてしまっているし、その後もずっと泥縄を手繰るような考察で、「前にああ書いたけれどもこの本によると」とか、「ああ書いたけどあらためていま思い直すに」なんて文の連続だ。結果的にそれで良かったように思ってもいるのだが、後から読む人にはたまったもんじゃなかろう。
今はだいぶ資料も揃い、おれも詳しくなったと思う。ことによると最大の敵であったかもしれないアセトンシアンヒドリンも倒した。いま最初から、順序だてて帝銀事件を語り直すときなのじゃないか。
そう思うのだ。書こうと思っていながら脇に置いてしまい、まだ書いてないこともあるしね。しかしそれも最初から順序だててこそと思う。
てわけでまずそれにあたり、【平沢貞通を吊るす会】を立ち上げておれが会長になることにした。正式には【帝銀事件の平沢貞通を死後のリンチ(私刑)にかけて吊るす会】、縮めて【平沢を吊るす会】【吊るす会】だ。おれがひとりで「おれが会長」と言ってるだけの会であって会員はいない。
皆様、おれの【吊るす会】をどうぞよろしく。てわけで早速始めるとしよう。
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帝銀事件のあらましをおれが最初に知ったのは1970年代の末だった。場所はいとこの○子ちゃんの家だった。おれが小学5、6年で○子ちゃんがまだ幼稚園。夏休みか冬休みに家族で遊びに行ったときだ。
『機動戦士ガンダム』の本放映初回を見たのも○子ちゃんの家で○子ちゃんと一緒にだったからひょっとするとそのときだったかもしれない。1979年4月。おれが小学5年生になろうとしていた春休み――かどうかはわからんのだが、とにかくその頃に○子ちゃんの家でだ。居間に大きな本棚があり、下半分が○子ちゃんとその弟の本、上半分が大人の本を置くための棚となっている。○子ちゃんの手が届かないいちばん上の段に一冊、《帝銀事件》うんぬんと背に書かれた本があり、おれの手はそこに届いた。
事件の名だけはそれ以前から、たびたび耳にしていたと思う。しかしまったくどんな事件か知らなかった。おれは手に取り、ページを繰って読んでたまげた。すげえ、本当にこんなことが!
そう思ったが、思っただけで、そこだけ読んで棚に戻した。後の話はどうもなんだか、
画像:指差す古代進 アフェリエイト:さらば宇宙戦艦ヤマト
こいつを老けさせたようなおっさんが、
「違う! 断じて違う! 国家は母なのだ。そこで生まれた生命は、すべて平等でなければならない。それが民主主義であり、基本的人権だ。政府は間違っている。これは社会の自由と平和を消してしまうものなのだ。私達は戦う。断固として戦う!」
なんてことを何かを指差しわめきたてているものを文字に起こしたもんのように思えて近づきたくなかったのだ。とにかく、なんとかいう画家が無実なのに犯人ということになったらしいのはそれで知ったしその前からやっぱり耳にしていたように思うがその気の毒なやつはとっくに死刑になってるんだろうと考えていた。
実際に平沢が死ぬのはその数年後、1987年5月のことだがおれの記憶にはなんにもない。かなり大きく報道されたようなのだけどニュースを見た憶えはないし人が話すのを聞いたという憶えもない。
聞いたとしてもなんとも思わなかったと思う。おれはそのとき高校を出たばっかりで、自分のことで精一杯で全然それどころじゃなかった。街ではいつも渡辺美里の『マイ・レボリューション』とTMネットワークの『ゲット・ワイルド』が流れていたが、「自分を変えることさ」とか「傷ついた夢を取り戻せ」とか言われてもどうしていいかわからずもがき苦しんでいた。
結局、帝銀事件の〈平沢冤罪/GHQ実験説〉についてまともに知るのはそれから何年か経ってから。1992か93年。おれもちっとは落ち着いてきて『池袋ウエストゲートパーク』って小説の第一話の主人公くらいのところになり、図書館で本を借りては返し借りては返しするようになった。書名と著者の名は忘れたが借りて読んだ本の中に事件について10ページかそこら書いてるものがあった。
それで初めて、その最近まで平沢というのが生きていたのを知る。それまでてっきり、おれが生まれるずっと前に吊るされてると思っていた。おれが中高生の頃はニュースでやたらと裁判所から人がひとり駆け出してきて《無罪》と書いた紙を広げてかざすと待ち構えていた群衆が「ワーッ」と歓声を上げる光景が映ったもんだがそういうのに関心を持ったことも一度もなかった。見てあんまり関わりたくない感じだったし、あまりにしょっちゅう見せられるのであれをなんとかして『がきデカ』のこまわり君が「死刑」と書いてる画にでもスリ替えることはできないか、やったらあの群衆はどういうことになるのかな、なんてふうに考えていた。
まあとにかくその本だ。〈帝銀事件はGHQの実験〉という説があるのもわざわざそいつを読まなくても聞いた憶えがあったと思うが、その本で一応詳しいところを知った。と言ってもよく憶えてないが、書いてあるのは全部がその後に何度も繰り返し読むことになるお決まりの話だったと思う。その中で強い印象を受けたのは事件に使われた毒の話で、だからかろうじて憶えているが、確かそれには、
《毒はまず東大の研究室に持ち込まれ、「青酸カリ」との鑑定を受けた。しかしこれに疑問を持った捜査員が数ヵ月後に○○大学に持ち込んだところ、「青酸□□□□に間違いない」と判定される。これは戦時中に〈七三一部隊〉が開発したもので、○○大にはその試料があったため比べて確かにそうと知ることができたのだが、東大の研究員はその毒の存在を知らないために青酸カリと決めつけていたのだ》
なんて書き方がされ、さらに続けて、
《青酸□□□□は極めて特殊な青酸である。○○大は〈七三一〉と関わりを持っていたため処分を免れた試料が残っていたのだが、研究データはすべて持っていかれているため米軍以外にもはや製法を知る者はない。○○大に試料がなければそれと特定することも不可能だったわけである。これは何を意味するか。事件がGHQの実験で、〈七三一〉の元隊員にやらせたものという以外考えることができるだろうか》
なんてふうに書いてあった。おれは「ふうん」と思って読んで、なるほど、毒がそういうものなら、犯人は〈七三一〉のやつなんだろうなと考えた。
が、一方でGHQの実験てのには、「それはねえだろ」としか思わなかった。別に彼らがそんなことするわけないと思ったのでない。やるならもっとうまくやるだろうし、そもそも実験になってねえだろと思ったのだ。犯人は〈七三一〉の隊員でもあるんだろうが、カネ目当ての単独犯。そいつは映画『第三の男』の〈第三の男〉みたいなやつなんだろうと考えた。
そういう時代だったんだろう。それが〈戦後〉ってものなんだろう。話自体があの映画に似てると言えば似てるじゃないか。