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端数報告6

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思い出せない。おれが当時に高校生で『めぞん一刻』を見たってことは、斉藤由貴と何かを約束したってことだが、それが何かの記憶がない。向こうが勝手に「約束よ」と言っただけで、受けた憶えはないように思う。けれどもしかし、そう応えて「約束が違う」と返されたらどうすればいいか。
 
わからない。非情に困った問題だ。何しろ相手が斉藤由貴だし、歌は聴いているんだから、「知らない」では済まないだろう。でもやっぱりわからないので、「わからない」と言うしかない。あれは何を「約束よ」と言っていたのか。
 
「運命なんかない。未来は自分の手で作るものだ」
 
なんてことを言ってたのかな。そのようでもあったけど、80年代ってそういう時代だったかなあ。グリ森事件の犯人達もまた手紙に書いたという。
 
《わしらの人生 くらかった
 くやしさばかり おおかった
 わしらがわるく なったのも
 みんな世の中 わるいんや
 こんなわしらに だれがした
 あすはわしらの 天下やで》
 
と。そして同じく、《やくそく、やくそく》と書いてきて、グリコ社長・江崎勝久氏の記者会見で加藤譲が氏に詰めより、
「犯人が約束を果たしていないと言っているが、何を要求されているのか」
と問い詰めて勝久氏が、
「何を意味するのかそれすらわからない」
と応えることになっていた。
 
グリ森事件はマスコミに歪められた事件だった。しかしそれは『罪の声』ではなかったことになっている。扇情的な報道などなく、市民が事件をおもしろがったことにマスコミの責任はないと。新聞は社会の木鐸で、報道が子供の命を救ったことに変えられている。犯人達が無差別に子供を殺す気でいたことは確実で、だからマスコミが伝えなければ、多くの子が死んでいた可能性があったことにしている。
 
そしてそう言った次の瞬間、そうではない可能性がまったくなかったことにしている。だが嘘だ。おれが見る本当の話はマスコミの方が〈53年テープ〉やら、アメリカの〈タイノレール事件〉といったネタを拾い集めて関連があるかのように見せかけ、
 
「犯人達は青酸菓子をバラ撒く可能性がある。『可能性がある』というのはつまり、そうではない可能性がまったくないということだ」
 
と叫び立てた。それを〈約束〉にされてしまった。お前達は〈53年テープ〉の主なんだろう。青酸菓子をバラ撒く約束だったろう。サアやれ、なぜやらんのだ、約束が違うぞ、約束が違うぞ――とミスグリ加藤譲や、ぐっさん吉山利嗣が書くから〈彼ら〉はその通り手紙に書くしかなくなった。そして次には本当に店に置くしかなくなった。
 
《どくいり きけん たべたら 死ぬで》
と書いた紙を貼り付けて、セロハン包装を破れているのが見てわかるような形でだ。しかしそれもNHK『未解決事件』や『罪の声』は事実を作り変え、毒入りなのは目で見てもわからなかったことにしてしまう。
 
今の人間が知らないのをいいことにだ。そして当時の人間は、間違った眼で事件を見たから話をおもしろがったことにしてしまう。子供が死ぬ可能性がありました。それはつまりそうではない可能性がまったくないということです。やつらは声を使った子供の未来を奪っている。それどころかうちひとりくらい殺している可能性がある。それはつまりそうではない可能性がまったくないということです。ということにして、そのために都合の悪い話はごまかし、作り変える。『罪の声』はそのようにして書かれた本だ。しかしおれが見る事実は違う。
 
毒入り菓子のバラ撒きもまた、マスコミの扇情報道が先にある。〈彼ら〉に毒を撒くしかないようにさせたのがマスコミであり、真犯人はマスコミなのだ。確かにまず〈彼ら〉が先に《やくそく》と、斉藤由貴のように書いた。「そんな約束知らない」と勝久氏が言う約束だ。〈彼ら〉が勝手に《やくそく》と書いてるだけの約束だから、言われた者は戸惑うばかり。
 
森永にも、
《2億だす やくそく したな かならず とるで》
なんて書いて送っているがその割にはターミネーターのようにどこまでも追いかけてくる感じはせず、それどころか、
《江崎グリコ ゆるしたる》
とか、
《森永 ゆるしたろ》
なんて書いてやめてしまう。それであるため「株価操作だ」なんて言うバカが出て来もするわけであり、そういうやつに、
「じゃあ丸大はなんのために」
と訊いても答にならないことを返してくるだけだとわかるが、おれが見るとこ、あの事件の犯人一味は斉藤由貴と同じだ。こっちは〈彼ら〉を知らないのに、「おはよう」とか「約束よ」とか「1億円」とか呼びかけてくる。いちばん最初は「10億プラス金塊」で、逃げると、
《ようもやくそく やぶって にげおったな》
と言いながら追いかけてきて、しかし「6千万円」と言う。
 
まあ迷惑な連中だったことは確かだ。コロナも最初は10億かそれ以上が死ぬように言い、それが〈やつら〉の目的であり目標のように言いながら、すぐ6千万人になった。〈スペイン風邪〉の死者が4か5千万。せめてそれより多くの死者が出てくれないと専門家の立場がないから6千万だ。しかし〈波〉とやらいうのが来てもたいして人が死ぬわけでなく、〈ナントヤラ株〉というのが出ても別に死人が出るわけでも、高熱を出して倒れる者がいるというわけですらない。
 
だから感染者がいる可能性があることを、感染者がいる可能性があるということにする。この2年間にひとつでも、テレビが言うコロナの話で消防署の方から来たような話でないものがあったか。今や日本で死ぬ数と言えば一日にひとりいるかいないか。テレビが例年の死者数と比較したことが一度でもあるか。
 
それなしには〈日にひとり〉が多いのか少ないのかわからんだろう。テレビは平成の30年の間に肺炎で死んだ人間が、ただのひとりもいないことにしている。もちろん、世界でただのひとりも、いなかったということにしている。この100年の間にひとりも――という話をここに再三書いてきた。感染しても死にも倒れもしないのならもうコロナは無毒無害に近いウイルスになってるってことだろ。平均寿命40歳の国で60歳の人間を殺せるくらいの力しかもう持ってないってことだ。そうなったのがふたたび猛毒を出すなんてまず有り得んし、出したとしても多寡が知れてる。それが正しい見方であり、ただそれだけが正しい見方だ。
 
とね。再三書いてきた。おれだって飽き飽きしてるけど、こんなことを続けていれば本当に世界の経済が破綻して、『北斗の拳』みたいな未来がやってくることになるぞ。そうなっても別に子供がピラミッドを造るための奴隷にされたりはしないと思うが。
 
でもどうかな。その時は小栗旬がピラミッドを造ろうとして、星野源が小栗のために子供をムチで打ちそうな気もする。そんな未来がやってこなけりゃいいんだけどね。それではまた。
 
作品名:端数報告6 作家名:島田信之