端数報告6
アフェリエイト:戦後ニッポン犯罪史
こんな話を疑うことなく信じて、
画像:毒の事件簿142-143ページ
アフェリエイト:毒の事件簿
こんなことを平気で書く。「七三一部隊の者なら本当に千人も殺したのだろう。だからこう書いて大丈夫だ」と考えるのだ。そして話を付け足していく。セーチョーが昔に書いた話とだんだん変わっていく。
《そして、遂に、それが旧陸軍研究所において製造されていたアセトンシアンヒドリンに極めて類似することが分ったであろう》
《断定は何もない。ただ、大層よく似ていた、と云うことは出来る》
というもんだったのが、
『再鑑定で「これはアセトンシアンヒドリンだ」と確かに判定されたのです。○○大学には七三一部隊が作った毒の試料があったために――』
などと書き換えられる。青酸ニトリールにしても、アセトンシアンヒドリンにしても、それがどういうものなのかちゃんと調べてみることもせずに。
ほんとに遅効性なのか、飲んで何分で効くものなのか調べてみることもせずに。胃酸に触れてシアン化水素のガスを出すと言うのなら、フラスコに胃酸を入れて毒を垂らしてみるくらいのことは専門家ならできてよさそうなものだが明らかにやってない。やった事例を探してもない。【暗殺用の特殊なもの】という話を信じて本当に学者であっても手に入れられないのか確かめもしない。【『甲斐手記』というものになんだかそう書いてあるらしい】という話だけを頼りにする。
『甲斐手記』とはどういうものか知りもしないで頼りにしている。おれはちょっとだけ知ってるのだが、
画像:甲斐手記1
画像:甲斐手記2
画像:疑惑表紙
こういうもんである。何が書いてあるかそもそも読めない。こういうただのメモ書きを綴じたのが12冊もあるんだそうで、アセトンシアンヒドリンの話が第五巻にあるらしいのがこの記述から窺えるけど、何が書いてあるんだろうな。
『にっぽん!歴史鑑定』ではブ男が、
「最初ですね、捜査が始まった3ヵ月ぐらい経った1948年の4月に、捜査員が(登戸の研究員を)訪れまして、そのときに『帝銀事件で使われた毒はアセトンシアンヒドリンである。青酸カリでは有り得ない』というふうにおっしゃっているんです。ところが、平沢さんが逮捕された後なんですけれども、9月に捜査本部にやって来てですね、『誰にでも手に入る青酸カリである』。こういう鑑定書を提出する」
画像:登戸の研究員
と言う。そういう話を作ってるだけだ。こいつが言う〈9月に提出された鑑定書〉なんてどこにもあるわけがない。
鑑定するには鑑定しなきゃいけないわけだが、毒は残ってないんだから。この話ではその研究員が再鑑定したうえに再々鑑定したってことになってるわけだね。しかしまったくの嘘だ。このようにして、矛盾した話が積み上げられていく。
画像:油と毒のビン
でもってやっぱりこんな画を見せ、
「毒薬よりも比重の軽い油のようなものを若干入れていたんじゃないかと思われます」
とお決まりの話をする。犯人は自分は上の油を飲んで店の者には下の毒を飲ませたってやつだが、おれは前に書いたように、これに頷くもんはバカだと言わせてもらうね。
ブ男はここで『若干』と言う。だから若干て何ミリなんだよ。ピペットの先が少しでも先に行き過ぎたらどうする。ドレッシングでもビンを振ったら酢と油がしばらくのあいだ混ざるだろうが。油の中に水の玉ができちゃったりするだろうが。
あるいは、液を吸い取る力がちょっとでも強過ぎたら、それでオダブツとわからんのか。セーチョーの『小説』には、
画像:小説帝銀事件72-73ページ素人のまぐれ当たり
アフェリエイト:小説帝銀事件
こうあって、当時の学者は皆この事件を「素人のまぐれ当たり」と言ったらしいのが窺える。こんなおっそろしいこととても自分にはできない。やるのは素人。だからまぐれ当たりだと――どうも記述から察するに、警察が「上の油を飲んだんじゃないのか」と言うのに対して笑って、
「いやそんなこと、ワタシだったら絶対イヤです」
と言ったというのがやはり本当のところじゃないかと思えるのだが、だから学者は口を揃えて「素人のまぐれ当たり」と言うことになってた。
それが事件発生直後のこの年2月。学者は言った。これをやるのは素人でしょう。どうしてもカネを必要とするトーシロが、しくじったらどうなるか考えずにやったこと。一度運よく捕まらずに済むともう自分はプロだと思い、次は成功、そして決して捕まらないものと考える。
万引なんかみんなそうでしょ、と。平塚八兵衛ならそう考える――知らんけどね。だから例の通帳詐欺だ。3回やって3回とも失敗するまで自分がいかに危ない橋を渡っているか気づかない。つまり平沢のようなやつだけ、そんなことをやりそうと言える。
だから学者は「素人のまぐれ当たり」と言った。だがこの意見が気に食わず、最初からGHQの陰謀なのだとしたい者らが日本中あちらこちらの軍関係者を訪ねまわる。甲斐文助は捜査一課だが、オーケンの本に書かれる捜査二課の成智英雄は津田沼研究所というのからまるきり別の話を聞き出す。別の刑事は別のところから別の話を。別の刑事は別のところから別の話を。
それが3月や4月頃だ。刑事達はみな考える。ここだ、この○○研究所から消えた人間の中にホシが――と。オーケンは『のほほん人間革命』の文庫版あとがきに、
《遠藤さんの指摘する人物とは、また別の者を真犯人と主張している人も複数いるようです》
と書いている。そりゃあそういうことになるわさ。アセトンシアノヒドリンやニトリルがなんなのか知らずに製造に関わっていた、あるいは、
「飛行機の風防窓を造るための薬品だったと聞いています」
と言うだけの人間に、
「嘘だ、こういうことなんだろ。あんたも何百も殺してたんだろ」
と作った話を言わせていった。そんなやつが何人もいる。そしてそいつらの誰にとっても、犯人が平沢であっては困る。
だから9月に新聞記者にあることないこと垂れ流す。占い師の話もやはり、甲斐や成智の仕業かもしれんな。別の事件であった話を引っ張ってきて居木井にくっつけ、
「名刺の裏に一筆をね」
なんて読売の加藤譲、いや遠藤美佐雄に言った。
のだったりするかもしれない。自分がたどる○○研究所の線を追い続けるためにだ。しかし、もしおれが帝銀の手で銀行をタタくとしたら、ものの本に、
画像:毒学教室青酸化合物
こう書いたのがあるんだが、〈亜硝酸ナトリウム〉というのが青酸の解毒剤になるらしいのがわかるだろうか。どうも本来は染色に使う薬品らしいが、おれだったらこれを使うね。
もしだよ、もし。イヤだけれども、もしやらなきゃいけなかったら、そいつを先に飲んでおく。この情報を信頼するわけではないしこれ自体が毒じゃねえのかという疑いも強く感じるのだが。