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端数報告6

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カウントダウンを行っていて東京の感染者数が2万人になったときに〈波〉を起こす。そういう法則を持つものなのだと専門家どもに思い込ませて連日やいやい言わせておけば、コロナは日本語を理解して日本のテレビを見てるに違いないのだからいくらなんでもそれくらいはわかるだろう。嘘でも「今日は2万人」と言ったときに〈次の段階〉に進化するに違いないぞ。
 
と思ったがそうならなかった。なぜだ。日本語がわからんのか。そんなはずがないんだがなあ。と思いつつ「今日は3万」「今日は4万」と増やしていったらいくらなんでも一般人に嘘に気づかれてしまうだろう。床屋なんかで、

「お客さん、今年になってコロナの検査を受けましたか? 誰に訊いても『受けてない』って言うんですがね、ちょっとおかしいと思いませんか」

なんて言われることになったらそれでもうおしまいだ。バレたときに言い逃れができないことをやってしまっているんだからな。くそう。止むを得ん。減らすか。その代わり累計で勝負だ。専門家どもに東京の累計感染者が100万人になったときに〈波〉が来る法則があるものと思い込ませてやいやい言わそう。今度こそドカンと殺すに違いないぞ。
 
と思ったがやっぱりそうならなかった。なぜなんだあ、と今頃厚労省では、役人どもが泣きながら頭を抱えて言ってると思うが、だからおれに言わせれば、【感染の拡大によって〈波〉が来る】なんていうのがそもそもバカげているのである。専門家が言うことでないし、これを言うやつは専門家でない。マスコミや政治家はそういう方向へ話を持っていこうとするが、それに否を言うことが本来の専門家の務めだった。そのはずだった。だが実際は、どいつもこいつもカイル・リースになりたがる者らの神輿に担がれてジョン・コナーになってしまった。
 
   画像:山本太郎
 
こいつのように。こいつはシルバーマン博士であって、決してジョン・コナーじゃない。しかし自分をカイル・リースだと思い込むバカにはそれがわからない。ウイルスは自我を持たないし、人類を【抹殺すべき対象】とすることもない。戦略を練って東京で〈波〉を起こそうとしたりしない。
 
〈ジェニシス〉だとか〈リージョン〉とかになりもしない。そういうことを考えるのは頭の悪いやつなのであり、おもしろい話なんか作れないのだ。
 
『ターミネーター』の設定はもともといいかげんなので、無理に続編を作っても矛盾が露わになるだけである。一作目は尾崎豊の『I LOVE YOU』の歌詞のようなものだった。男と女が逃れ逃れてどこかの部屋にたどり着き、それからまたふたりは、という具合に話が展開する。見る者はそこに釘付けにされてしまうし、シュワッチェネルガーの形をしたロボットの不気味さともあいまって一瞬たりとも画面から眼を離せない気持ちにされる。安手のB級映画なことが逆にプラスに働いて、作品の力になってさえいる。神が宿ったフィルムであり、冷戦のレーガン政権時代の産物であり、続編が超えることのできないものだ。
 
小手先でどうにかできると思うやつを集めるのが間違っている。『2』にしてもおれは見ながら、未来を変えてしまったらカイル・リースが来る理由がなくなって、ジョンは生まれなくなるのじゃないのか。これはタイム・パラドックスだ。だとか思わずいられなかったが、まあまあどうせいいかげんなものなんだから言ったところでしょうがない。
 
そうも思った。『T2』『3』のジョン・コナーと、『アルジャーノンに花束を』のチャーリイ・ゴードンにはひとつ共通点がある。母親の過大な期待を受けて育ったということで、これはふたりの共通の不幸だ。
 
それも何しろ、
 
画像:サラ・コナー
アフェリエイト:ターミネーター:ニュー・フェイト
 
こんなような頭のイカレた母親の期待を受けて育ってしまった。男の子は大なり小なり母親の期待を受けるものである。しかしこれはあんまりである。チャーリイ・ゴードンの母親は、息子はいつか大学に行って専門家になって、世間へ出て名をあげるだろうと言っていたという。みんな笑ったがでもそう言ってやった、と。
 
コロナウイルスの専門家は、来年には誰も彼もがうすのろと言われる。家族に自殺された者や、大きな損害を蒙った者、差別や迫害を受けた者らに石を投げられツバを吐きかけられるのだけど、もういいかげん嘘に無理が来ていることに全然気づいてないのだから「いい気味」としか言いようがない。このおっさんも、
 
   画像:山本太郎
 
母親に言われて育ったのであろうか。おまえはジョン・コナーになるの。大学に行って専門家になって、人類を滅亡の危機から救う者になるのと。そうしてチャーリイ・ゴードンのように、それを真に受けたのだろうか。チャーリイ・ゴードンと同じようにバカだから、コロナの話が何から何までおかしいことにぜんぜん気づかないのだろうか。
 
だろうな。おれもご多分に漏れずと言うか、母親の期待を受けて育った。そしてジョン・コナーのように、そこから逃げ出したクチである。大学には行かなかった。もし行ってたら検事にでもなり、そこらの痴漢でもネチネチと問い詰めてたのしむ人間になっているかもしれないと思うことがないでもない。『T3』はどうも評判悪いようだが、おれは割と好きな映画だ。あの話のジョン・コナーはおれを見ているようであり、話自体は面白かったし出来は決して悪いものではないと思う。
 
少なくとも『新機動』や『ニュー・フェイト』よりは数段上だ。ヒロインのクレア・ディーンズもいい。話の半ば、彼女を救けて未来からの刺客ロボットと〈審判の日〉の話を彼女が受け入れるあたりまでは特に悪いところはなく、わかりやすくてアクションもダレず、よくまとまっているとさえ思う。
 
そう思うけど、いかんのは、ジョン・コナーが最後まで活躍せずに終わることだ。ヘタレのまんま指導者だの希望だのという話になってしまう。ジョンが主人公なのに主人公になっていない。
 
それではダメだ。どうすればいいか。直すとしたら、たとえばだな、『スピード』に倣うべきだとおれは思う。あのバス映画は1時間20分のところでこう、
 
画像:スピード1時間20分目
アフェリエイト:スピード
 
主人公ジャックの相棒のハリーが死に、悪役から、
「お前はこれで頼りのブレーンを失った」
と言われて絶望し、
「もうダメだ」
と口走る。しかしそこでヒロインの励ましを得て立ち直り、乗客を救う行動に出る。
 
画像:スピードわかったぞ
 
これだ。これでこそ主人公。『スピード』を真の傑作にしているポイントがこれである。『T3』はこのやり方に倣うべきだ。頼りのキャラのシュワルツェネッガー型ロボットを1時間20分のところで死なせ、「もうダメだ」とジョンに言わせる。そこでヒロインのケイトに、
「しっかりして! あなたは救世主なんでしょう!」
「違う! おれはそんなんじゃない!」
「〈彼〉はあなたを護るために犠牲になったのよ!」
「そうプログラムされてたからだ!」
なんてこと言うのだが、指導力を発揮してケイトの父の部下の者達を救い出す。
 
作品名:端数報告6 作家名:島田信之