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端数報告6

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床屋で「今日はどのようになさいますか」と訊かれたら


 
「あなたもお客を待っているんですか?」と私は訊いた。「この長椅子も床屋の椅子のような形にするべきですよ。自由連想をさせるときには、床屋が客に石鹸の泡を塗るときみたいに患者をうしろに倒せるじゃないですか、そうして五十分たったら、また椅子を起こして、鏡を渡してやる、そうすりゃ患者は、自我を剃ったあとはどんな顔つきになっているか見られるというものだ」
 彼は何も言わなかった。彼を侮辱している自分が恥ずかしかったが、やめられなかった。「そうすりゃあんたの患者は、治療のたんびにやってきてこう言えばいい、『わたしの悩みの先っぽをちょっと刈りこんでくれ』とか、『上位自我はあまり短く刈りこまないでくれ』とかね、それからエッグ(玉子)シャンプーをしてもらってもいい――エゴ(自我)シャンプーですよ。ハッハ! 言いまちがいに気がつきましたか、先生? 書きとめておいてくださいよ。自我シャンプーと言うつもりで玉子シャンプーしてくださいなんて言っちゃった。エッグ……エゴ……似てるじゃないですか? 罪をきれいに洗いおとしてもらいたいってことかな? 再生? 洗礼の象徴? それともぼくらは、短く剃りすぎちゃったんですか? イディオット(白痴)にはイドがありますかね?」
 彼の反応を待ったが、彼はただ椅子の上で身じろぎしただけだ。
「起きてますか?」私は訊いた。
「聴いているよ、チャーリイ」
「聴いているだけ? 怒らないんですか?」
 
アフェリエイト:アルジャーノンに花束を
 
『アルジャーノンに花束を』の主人公、チャーリイ・ゴードンの父親のマット・ゴードンは理髪師だ。もっとも、チャーリイの記憶の中の父はセールスマンだったが、『セールスマンの死』という映画を見て自分も死ぬと思い、死にたくないから理髪師になる。
 
のだけど、作者のD・キイスは床屋が【最も死の危険が高い職業】と呼ばれる日が来るとは思わなかっただろう。しかしそんな世の中が来た。コロナの禍により理髪師は、マンガの『エリア88』か、『装甲騎兵ボトムズ』の〈アッセンブルEX-10〉の傭兵のようにバタバタ死ぬであろうと人に言われた。〈禍〉が2年も過ぎる頃にはおそらく生きている者はほとんどいなくなってるだろうと言われた。
  
言われたけれど、現実はどうか。おれは前回、1980年代バブル経済の話をした。経済学者は当時に全員、
「これは永遠のものだ」
と謳い、破綻で終わるのを予想した者はひとりもいなかったという。銀行員や証券マンもみな信じ、
「これは絶対に儲かります。決して損はさせません」
と客を説いてまわったという。お金が2倍4倍8倍、16倍に32倍となるシステムで、上限はなく無限の富を手に入れるのと同じこと。欠陥がなく完璧なのを大蔵省の専門家が認めているのは経済新聞をお読みの方ならもちろん知ってらっしゃいますよね?
 
てなこと言うので日本じゅう、誰も彼もが投機に走っていたように言われる。言われるけれどそれはマスコミが作った嘘で、大々多数は堅実な『めぞん一刻』の世界に住んでた。〈百円均一〉の店がまずはあちこちの屋外でスペースを借りて始められ、そこで買った3個100円の石鹸が薄くなったら新しいのに貼り付けて使う。ああ小市民。もちろんおれもそのような五代裕作のひとりだった。
 
というような話をした。テレビが財テクの話をしても何がなんだかわからない。わかるフリをする気もない。言ってることがどうもおかしい気もしていたが、自分にはどうせ関係ないことだと考えてスルーしていた。それが破綻して終わった後で、全部嘘だったと初めて知るが、それすら未だに実はサッパリわかっていない。
 
それでいいと思っている。おれはマスコミの言うことなんか、信じはしない。まず疑う。特に早口でギャンギャンとわめきたてたらそいつの言葉は必ず嘘だという考えで生きてきたし、それが間違いだったことなどただの一度もなかったと言える。
 
もちろん、政治家や官僚や学者が言うことも信じない。早口でギャンギャンわめく人間は、自我が肥大したエゴイストだ。権力とそれを濫用する機会を与えたら、何をやらかすかまったく知れない。
 
そこらのマッポに、
「眼に付いた者、誰でも構わずバンを掛けろ」
と命じたら、そのうち5人にひとりくらいは市民の財布の中身を抜く。自分に従う者以外、敵とみなして攻撃を始める。実は恐怖に支配されやすい人間であり、だから他人を恐怖で支配しようとする。
 
『ターミネーター』の設定では、〈スカイネット〉は1997年、自我に目覚めて人類を【抹殺すべき対象】とみなすことになっていた。
 
そんな話も何回かしてきた。けれど今回で最後にして、このブログはまたしばらく休もうかと考えている。グリ森事件と『罪の声』についてもまだまだ書きたいことはたくさんあるが、しかし急ぐことでもないし、またそのうちでいいんじゃないか、とね。今はそう考えている。盗んで自分が書いたことにしようと考えている人達には悪いけど、でもそんなもん、おれの方では「悪い」となんか全然思ってないわけだからさ。
 
もちろん、遂に厚労省が、分母よりも大きな数を級数的に言い出したからだ。今日は1万の艦船を確認。今日は1万2千隻。今日は1万5千隻。そして今日は2万隻……感染と艦船。似てるじゃないですか? ねえ。しかしそんなにたくさん、どう確認したと言うのか。何人検査したうちの何パーセントだと言うのか。
 
その説明がないのはなぜか。去年の秋から年末にかけて、東京で都民を検査する数は一日に6千だった。そうだったのをおれは知ってる。それを増やせると思えんし、増やすことに意味もまたない。
 
おれはそう考える。【日に6千】と決めたらそれを変えないで、
「今日は東京で1千隻の艦船を確認。都民のうち6人にひとり、200万が感染している計算になります!」
とか、
「今日は東京で2千隻の艦船を確認。都民のうち3人にひとり、400万が感染している計算になります!」
とか、
「今日は東京で3千隻の艦船を確認。半分です。都民のうちふたりにひとりが妖精という計算になってしまいました!」
と言って最後には、
「今日は東京で6千隻の艦船を確認。6千人を検査してその全員が妖精でした。都民のうちコロナに感染してない者は、ゼロに近いと考えるしかなくなったということです……」
というのが正しいやり方なのだ。この理屈がわからんやつは、よほどのバカと言うしかない。
 
しかし〈コロナの専門家〉とされる者らは、何千人もいながらその全員が、おれの眼で見て完全にイカレたことを言っている。マスコミが「今日は東京で1万を確認」とか「1万2千を確認」と言えば、対して、
「都全体で50万が感染している可能性があります」
とか、
「最大で80万にもなっている可能性が……」
なんていう調子。対して番組のホスト役が、
「さささ最大ではちじゅーまんですってええええ!」
という具合だが、実のところ「今日は東京で200を確認」とか「300を確認」と言ってた頃にも専門家はどいつもが、
「都全体で50万が感染している可能性があります」
とか、
「最大で80万にもなっている可能性が……」
作品名:端数報告6 作家名:島田信之