ネコと少年とお局と
「まったくかなりの出費よ」
凜子はそう言いながらもネコグッズ一式を買ってマンションの部屋に持ち帰った。
そんなこんなであっという間に一週間がたった。
最初はメアリーの食事の時間を忘れてしまったり、トイレの排泄物の後片付けに手間取ったりもしたが、徐々にメアリーとの共同生活にも慣れてきた。ペットショップの店員の話によれば、そもそも犬と違ってネコはトレイのしつけをあまりしなくても自然とできるようになるらしいとのことだった。それに散歩もいかなくていいし犬と違ってほっといても大丈夫なので大分楽だと思った。仕事で忙しい凜子にとってはそれはありがたかった。週末に時々骨折の通院に行かなければいけないのが多少面倒だったが、それもだんだんと慣れてきた。
そして凜子とメアリーの不思議な共同生活も気づけば2ヶ月たっていて、メアリーの骨折も大分よくなりギブスも外されほとんど普通に歩けるようにまで回復していた。
「あんた大分元気になったね・・・よかったじゃん。」
凜子はメアリーにそう言うと
「にゃー」
と返事が返ってきた。「そうだよ」とか「ありがとう」とでも言っているのだろうか?
最初はどうなることかと思ったが、これでやっとメアリーから解放されると思った。
「元気になったんだからもうあんた一人で平気よね?」
凜子はそうつぶやくように言った。
しかし、いざメアリーをマンションから追い出すとなるといったいどうすればいいのか分からなくなった。最初はただの小汚い野良猫だと思っていたが、2ヶ月も一緒に住んでいるとさすがに感慨深いものもあって空地にぽいと捨ててしまうわけにもいかなくなった。
「どうしたもんか・・・」
凜子はほとほと困り果ててしまった。
そんな中また一週間ほど立ち、週末の土曜日に昼食を食べに駅前のレストランに凜子は行った。軽くイタリアンやフレンチの軽食を食べられるこじんまりとした個人経営のレストランだった。そこで凜子はフランスパンとクラムチャウダーを頼んで食べた。食べ終わった後にコーヒーを一杯頼んで自宅に帰ることにした。そして自宅へ帰る途中にマンションの近くの住宅街でふと電信柱や壁などに奇妙な絵のポスターが貼ってあることに気が付いた。最初はへんてこりんな絵だったのでそれが何なのか分からなかったが、どうやら黒いネコのようだった。
「ネコをさがしています」
と絵の下に字が書かれていた。
「大きさは中くらいでくろいネコでみみはたってます。男の子です。」
と書かれていた。
平仮名が多い上に字も汚く子供が書いたような感じだった。その絵も汚くクレヨンか色鉛筆などで描かれているようだった。その絵のネコをよくじっと見るとメアリーに見えなくもなかった。凜子はひょっとしたらと思った。
「これってメアリーのことかい?」
どうやらその黒猫を探したらうちまで届けてほしいとのことでそのアパートの住所が一番下に書かれていた。子供が書いたのか住所が平仮名で書かれていて読みづらかったが何とか解読できた。
「小和田町の三丁目か・・・」
すぐ隣の近所だった。
「そっかこれだ・・・」
凜子はやっと飼い主が見つかったと思った。この偶然に感謝するべきだと思い、そしてそのことに大いに喜んだ。
しかし、今日は会社の仕事を自宅でやる予定で忙しかったのでそのアパートへは明日行くことにした。
夕飯を食べた後にダイニングテーブルでノートPCを広げながら凜子は仕事をしていると、てくてくと床を歩くメアリーが視界に入ってきた。
「あんたもこれで飼い主のところへようやく帰れるね。」
そう言ってもメアリーはまったく無反応だった。
「なんだ、嬉しくないのかい?」
メアリーはまたもや無反応だった。
「あーそーかい。可愛げがないねー。人がせっかく見つけてやったのに。」
メアリーはとぼとぼとリビングの方へ歩いていったかと思ったらソファーの横に置いてある皿に入った水を飲みに行った。
「まったく」
凜子はそう言いながらまたノートPCに向かって仕事を始めた。四半期ごとの決算の時期なので経理部は大いに忙しく週末も仕事を自宅に持ち帰っているのだった。
明日メアリーを飼い主の家まで届ける。やっとネコの面倒から解放されて自由になれる。しかし、凜子は嬉しいはずだったのになぜだか悲しいような寂しいようなそんな感情が自分の心の中に芽生えていることに気がついた。しかし、凜子はプライドが高いのでそんなことは絶対に認めたくなかった。そして、その感情を心の奥底に押し込めて気づかない振りをした。
翌日の日曜日、凜子はメアリーを籠に乗せて抱きかかえながらその飼い主のいるアパートへと向かって行った。近所なのでそう遠くはないはずだった。ポスターに書いてあった住所を書き写したメモを見ながらアパートの場所を丁寧に探しまわった。少し探したがやがて見つかった。
そこは軽く築20年以上は立っていそうな古い感じのボロアパートだった。そこの204号室とのことだった。どうやら飼い主は野上さんという人らしかった。
エレベーターもなかったのでメアリーを抱きかかえながら階段を上っていき204号室の前まで凜子はたどり着いた。
「ここか」
籠から飛び出して落ちないようにメアリーを手で押さえながら慎重に階段を上ったので凜子は少し冷や汗をかいてしまっていた。
「えっと・・・野上佳代子・・・ここだ」
ぴーんぽーん
凜子はブザーを鳴らした。
しばらくしても誰も出てこないのでもう一度鳴らしてみた。
「はーい」
どうやら子供の声のようだった。
ガチャっとドアは開いた。
そこには小学生くらいの小さな男の子が立っていた。
「こんにちは」
凜子は挨拶した。
「こんにちは」
男の子も挨拶をしてきた。
「はじめまして、わたし林凜子っていうものなんですけどね・・・この猫オタクのじゃないかと思って・・・ごめんなさいね、突然お邪魔しちゃって。あやしいもんじゃないんですよ。おたくがポスター貼ってたでしょ?黒猫を探してるって。」
そう言いながら凜子は籠の中にいるメアリーを少年に見せた。
「あ、ミルク!」
少年はメアリーを抱きかかえるようにしてそう言った。
「にゃー」
久しぶりにご主人と会えてメアリーは大いに喜んでいるようだった。
「そのネコ、ミルクっていうの?」
「そうだよ、僕が名前つけたの」
どうやら先約ですでに名前がついているようだった。メアリーという名前は一時お預けになるかもしれないと凜子は思った。
「ありがとうおばちゃん!」
おばちゃんという呼ばれ方は気に障ったがお礼をちゃんと言ってきたので小さい割には律儀な子だと思った。
「でも、どこにいたの?」
少年はそう聞いてきた。
「まあ・・・話すと長くなるんだけどさ・・・まあわたしんちの前にいたんだよ。ケガしてたからほってけなくてさ・・・」
凜子は何となくそう説明した。
「ふーん」
少年は不思議そうにそう言った。
「でもさ、このミルクっていうのかい?何で捨てられてたのさ?」
「うーん、お母さんがね・・・捨てたの」
「お母さんが?」
「うん」
何やら事情が込み入っているようだった。
「ミルクはね・・・僕が勝手に拾ってきたから・・・だからお母さんはずっと反対してたの。このアパートはネコ飼えないんだって。」