ネコと少年とお局と
そんなこんなで今はこの池上香だけが唯一の女性の同期なのだが、仲良くもないし会うこともほとんどない。専業主婦になった派の人たちには結婚式には当然呼ばれたし、結婚後も子供が生まれたばかりくらいの頃は何度か会ったりもしたが、彼女らは結婚生活中心で生きていて話題は子供のことばかりで次第に話が合わなくなり疎遠になっていった。転職した派の人たちも凜子は会いたくなかった。何度か会いましょうと誘われたこともあったが、断った。内心嫉妬していたからだ。デザイナーにしろウェディングプラナーにしろ女性が大いに活躍できる仕事で、凜子はそれが羨ましかった。自分にはそういうやりたいことや夢もなかったし、そういう夢を実現させて楽しい人生を送っている彼女らとは到底会う気になどなれなかった。彼女らが転職したばかりの30代前半の頃に一度だけウェディングプラナーになった同期とは会ったが、何やら結婚式の司会進行係の手配をしたりだとか新郎新婦などスピーチをする人たちの順番を決めたりだとか、その他は披露宴中のイベントの計画をしたり式場で流すBGMや音響の選定などやることは多岐にわたるらしく、いきいきとそんな話を聞かされて凜子は憂鬱になった記憶があり、それ以来その同期とは会っていない。
男性の同期もいたしたまに飲みに行くこともあったが、彼らも開発やら営業やらで花形の仕事をしていて最低でも課長ですでに部長に昇進しているものもいた。全員というわけではなかったが大半は家族がいて立派な大黒柱の父親をやっていた。だから男の同期ともあまり話も合わなかったし飲み会に出ても気まずいだけだった。
凜子は孤独だった。社内でも打ち解けられる友など一人もいなかった。そして、経理の課長代理の仕事も億劫で仕方なかった。この渋谷ホールディングスでは開発や営業が花形のメインの仕事なので、経理とはとにかく仕事のできない人間の掃き溜めみたいな場所になっていた。そのためダメ社員の典型みたいな男がたくさんいた。言われたことしかやらないやつ、言われた指示通りにすら仕事ができないやつ、ケアレスミスを連発するやつ、失敗を誤魔化して報告しないやつ。とにかく仕事ができなくてやる気のないダメ男ばかりが集まってきていた。なので、凜子は毎日そんな社員の指導管理をさせられるのはほとほと疲れて辟易していた。この会社は大手ではなかったしそこまで高学歴の優秀な男性社員は入社してこなかったが、それでもいくらなんでもひどすぎるという社員ばかり経理に集まってきていた。そもそもやる気があれば学歴など関係ないのに最初から自分はダメ男なんだと言わんばかりに覇気のない男たちばかりだった。SEになりたくてこの会社に入社したのにダメ社員のレッテルを貼られて出世コースから外された男たちのゴミ捨て場みたいになっていた。凜子も大した学歴ではなかったが、性格がとにかく負けず嫌いで仕事はとにかく何事に対しても真剣だった。だからこそ、経理部にいるダメ男社員たちに腹がたって仕方がなかった。男社会の会社で女の自分がこれだけ頑張っているのになぜこいつらはこんなにもやる気がないのか?と・・・
とにかく渋谷ホールディングスは男社会なので、こういう掃き溜めのような場所には
女性が管理職を押し付けられた。家族のために日々出世コースに進むべく頑張っている男たちにとっては、どうしようもないダメ社員の面倒を見るなんて余裕はないしそんな雑用はみな御免だからだ。
しかも凜子の上司にあたる経理課長は自分に指示をしたり報告を求めるだけで実際の指揮監督はほぼ自分に押し付けてくる始末で仕事のストレスは莫大で凜子の我慢は限界に達していた。部長もいたが役員も兼任していて多忙な人だったのでほとんどデスクにいなかったし、自分の愚痴など聞いてくれそうにもなかった。
そんな事情もあるのなら、なぜさっさと女性が活躍しやすい職場に転職しなかったのか?と誰もが疑問に思うかもしれないが、凜子はわがままできつい性格のため女性からもあまり好かれなかった。そもそも昔から女友達も少なかった。つまりは人生こうなったのは自分のせいでもあり全て自業自得なのだが、しかし、だからといって凜子はプライドが高いのでそれを絶対に認めたくなかった。そして、そんなこんなで渋谷ホールディングスに長年身を置きながらも、自分の会社のあまりの男社会ぶりにいよいよ我慢の限界に達してきていたということなのだった。
「まったく」
上層部への報告会議へ出席した後に喫煙所で凜子は一服した。
「まったく上層部はほんと男ばっかね。」
そう吐き捨てるように言いながら凜子は大きく大胆に煙草の煙を喫煙所中に巻き散らかすかのようにしておおげさにふーっと吐き出した。
凜子はデスクへ戻ると仕事をいち早く片付けて使えない部下たちに一通り指示を出した後にその日はさっさと定時過ぎに帰ることにした。
「あー今日も疲れた」
凜子はオヤジのように疲れた首と肩をゴキゴキと音を鳴らしてまわしながら電車に乗り南青山あたりの行きつけのバーへ立ち寄ることにした。
「久しぶり凜子」
「久しぶり佳奈」
凜子が一人でさびしくカウンター席でジンリッキーを飲み干そうとしていたら佳奈と呼ばれる女がそう挨拶しながら隣に座った。
「私もそれ飲むわジントニック?」
「ジンリッキー」
「そうなの?了解、じゃあ私も。あの、ジンリッキーお願いします。」
バーテンダーに佳奈はそう言った後、鞄からピアニシモのタバコを取り出した。
佳奈は凜子と大学時代の同級生で唯一といっていいくらいの友達だった。凜子は学生時代から友達が少なかったが、それでも大学を卒業してしばらくは何人かの友達と付き合っていた。でも、元々凜子は正直なところ大学時代からの友達とは無理に合わせて仕方なく付き合っていた。それが本音だった。そのため、社会人になってから彼女らとは業界も仕事内容も違うし話題も合わなくなったりしてきて無理に合わせるのが次第に億劫になっていった。中にはもちろん結婚したりする人もいたが彼女らとも話題が次第に合わなくなった。それに向こうにしても、わがままできつい性格の凜子ともこれ以上付き合いきれなくなったという理由もあったのだろう。そんな中で佳奈とはなぜか不思議と唯一性格が合い心の許せる友達だった。わがままできつい性格の凜子に唯一合わせられる友だったともいえる。佳奈も凜子と同じで40過ぎても仕事を頑張ってるキャリアウーマンで「結婚なんかとんでもない」とか言いながら仲良く二人で飲んでいた仲だった。しかし、そんな唯一の友が昨年突然結婚の報告をしてきたときにはさすがの凜子も裏切られたような気分になりショックを隠しきれなかった。
「半年ぶりに連絡してきたと思ったら相変わらず飲んでるんだね。」
「そうよ、前はあんたもよく一緒に飲んでたじゃないの」
「そりゃそうだけど。私結婚した身だからあんまり遅くまで飲んでられないんだよね。昔みたいに。旦那9時前には帰ってきちゃうし。」
「さっそくのろけですか?」
凜子はとっさにそう言い返したくなったのでそう言ってみた。