ネコと少年とお局と
「来週の土曜日は行けるんだけどね・・・それじゃダメなの?」
「うん・・・お母さんが連れてってくれるんだけど、今度の土曜日じゃないとダメだって。お仕事あるから。」
「そっか・・・お母さんが連れてってくれるんだ。そのミルクの飼い主ってどこに住んでんのさ?」
「ぎふってところだって」
「岐阜か・・・そりゃまた遠くに行ったもんね・・・」
「ねーおばちゃん来られないの?」
「うーんその日はどうしても仕事があって無理なの。ごめん」
「えー」
「ごめん」
凜子がそう謝ると
「おばちゃんミルクが可哀想じゃないの?」
と清太は聞いてきた。
「そりゃ可哀想さ。でも仕事なんだから仕方ないでしょ」
「えー」
と清太は納得してないようだった。
「ごめんね・・・私は近いうちに自分一人でお見舞いいくからさ・・・場所教えてくれる?」
「わかった・・・」
清太は鞄から何やらメモを取りだした。そこにはその岐阜県の飼い主さんの自宅の住所とミルクが入院している動物病院の住所が書いてあった。おそらく清太のお母さんがあらかじめメモに住所を書いて、万が一凜子の予定が合わなかったときのために渡すように言っておいたのだろう、と思った。
「このメモおばちゃんにあげる」
「え・・・くれるの?」
「うん」
「そう・・・ありがと」
「絶対お見舞い行ってよ」
「うん・・・絶対いく」
「約束だよ?指切りげんまん」
「分かった。約束する」
そう言って二人は指切りげんまんをした。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます。指切った」
そう言ったあと二人は指を離した。
それから何週間かたった。相変わらず使えない部下をしかりつけるだけの濛々とした日々だった。あれから清太はその岐阜にいる飼い主さんとやらに会えたのだろうか?ちゃんとミルクのお見舞いにいけたのだろうか?そんなことふと思ったりもした。
でも凜子は相変わらず仕事が多忙でなかなか岐阜まで足を運ぶ気にはなれなかった。そして仕事に熱中している間に段々とお見舞いのことを考えるのが億劫になってきた。何で自分が一人でわざわざお見舞いに行かなければいけないのだろうと思った。清太と一緒に行くのならまだしも何の責任もない自分がなぜ?
そんなこと考えたりもした。
そもそもその後、清太からは何の連絡もなかったので一体ミルクの容態はどうだったのかすら凜子は知らなかった。清太に一度週末に電話をして聞いてみようかとふと思ったりもしたが、逆にもしミルクに万が一のことがあったら?と思ったら聞くに聞けなかった。
そしてそんな風にああでもないこうでもないと考えていたらあっという間にまた2ヶ月たってしまった。
そしてある日の日曜日、気づいたら岐阜へと向かう新幹線のホームに立っていた。
「来てしまった・・・」
名古屋行ののぞみ15号がホームにやって来たので凜子は切符に書いてあった指定席へと座った。
しばらくすると新幹線は発車した。
新幹線に乗るのは実に久しぶりだった。凜子は経理部の課長代理をしているが内勤が多いし営業などとは違い滅多に出張などなかった。休みの日に一人で旅行をすることも若い頃はたくさんあったが、最近では一人旅も虚しさしか感じなくなり新幹線にのってまでわざわざ遠出をすることもほとんどなかった。
窓から眺める新幹線の光景はやけに懐かしかった。
「ミルク元気かな?」
凜子はふと心の中でそうつぶやいた。
そして名古屋で東海道本線へと乗り換えて岐阜へと向かった。岐阜駅に降り立つと、凜子は背伸びをした。
「あーやっと着いたか」
岐阜駅は意外と栄えていて東京の駅とさしてにぎやかさは変わらなかった。凜子は岐阜へは旅行に来たことがなかったのでその繁盛ぶりに少し驚いた。
そして駅前でタクシーを拾ってミルクの飼い主の元へと向かった。
その飼い主は駅からかなりはずれた郊外に住んでいた。周りは農家が多くかなり田舎のような雰囲気の場所だった。木造の家だらけでその飼い主の家も木造だった。
「こんばんは」
凜子は呼び鈴を鳴らした。
しばらくすると家の人が出てきた。
50代か60代くらいの年齢の男性だった。
「こんばんは」
凜子は軽く会釈した後に
「こんばんは、はじめまして。わたくし林凜子と申しまして、野上清太くんの知り合いでネコのミルクのお見舞いに伺いました。」
そう挨拶をした。
しばらく家主さんは黙って凜子を不思議そうに見ていたが
「ああ・・・野上清太くんのね・・・何だ誰かと思ったから。」
そう納得したように言った。
「ええ・・・野上清太くんとはミルクを通して知り合いになった仲でして・・・以前はミルクを預かってたときもありまして。」
凜子は何となくそう説明した。
「そうですか・・・それはそれは・・・ってことははるばる東京からいらしたんですよね?ありがとうございます。えっと・・・ミルクですがね・・・まあ、私は官兵衛って呼んでたんですが・・・」
家主さんはやや深刻な面持ちでそう言った。そしてどうやら知らない間にミルクはまた別の名前が付けられていたようだった。
「ミルクは今病院で治療してるのですか?」
凜子は単刀直入に聞いてみた。
「え・・・とまあ・・・それは・・・」
家主さんはバツが悪そうな顔をして黙ってしまった。
「ミルクに何かあったんですか?」
凜子はさらに聞いてみた。
「・・・亡くなりました。ついこの間」
「え・・・?」
凜子は突然家主から出てきたその言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。
「亡くなったって癌でですか?」
「ええ・・・つい5日前ですかね。」
凜子は突然頭に何か大きな衝撃をくらったかのような感情に襲われた。
「そうなん・・・ですか・・・」
「ええ・・・わざわざ東京からお見えになったのに申し訳ないですが・・・」
凜子はその場でだんまりしてしまった。家主さんはそのことを察したのか
「気を落とさないでくださいね・・・・」
と元気づけるように凜子にそう言った。
「私も大のネコ好きだからお気持ちはよく分かりますよ。ネコが好きだからこうやってネコのブリーダーをしたりネコの里親みたいな仕事をしてるんですよ。」
清太の話がよく分からなかったのでそのあたりの事情を凜子はあまり知らされていなかったが、どうやらこの飼い主さんはペットショップなどにネコを販売するブリーダーや、長時間家を空けてネコの世話をできない人のために一時的に自宅でネコを預かる商売をしたり、ネコの世話ができなくなった人や捨て猫のために里親などをやっているようだった。
「清太くんのお母さんとは直接の知り合いではないんですがね・・・共通の知り合いがいてたまたま頼まれたんですよ。でも、こんなすぐ癌になってしまうなんて思いもしなかったですよ。動物は人間と違って我慢強いですし症状があまりよく分からないですからね・・・よく観察してないと分からないんですよ。」
家主さんがそう説明してくれたので凜子は事情をだいたい理解した。でもあまりのショックでもはや言葉が出てこなかった。
「あがって・・・いかれます?お茶でもお出ししますから。」
家主さんは親切な人のようで、せっかく凜子がはるばる東京から来たのだから家に上がってくださいと誘ってくれたが、凜子は丁重にお断りして
「ありがとうございます」