ネコと少年とお局と
小学校一年生ならジュースの方がいいかと思ったが、最近買い物にいってないので紅茶のティーバッグしか置いてなかった。
「おいしい?」
と凜子は聞いてみたら
「おいしい」
と清太が言ったので凜子は一安心した。
「よかった」
しばらく清太はミルクと遊んで大いに楽しいひとときを過ごしているようだった。その光景をみていると凜子はなぜだか微笑ましくなった。こんなに穏やかな気分になったのは久しぶりだった。
「そういえばさ・・・何でミルクっていうの?」
凜子はとっさに疑問に思ってそう聞いてみた。
「うーんと・・・忘れた」
「忘れたって・・・だって自分で名前つけたんじゃないの?」
「うーんそうだけど・・・」
清太はまた何やら考え込んでいるらしい。ときどき頭の中を整理しだすととこうなる子らしい。
「あ・・・」
何かを思い出したようだった。
「ミルクはね・・・ミルクが大好物なの」
清太はミルクと鼻をこすったりしながらじゃれあいながらそう言った。
「へーミルクが好きなんかい。」
「そうだよ・・・ネコは好きみたい」
「まあ・・・そうかもね。」
確かにネコはミルクを飲むというのは聞いたことがある。しかし、ミルクと聞いてペットショップの店員から教えてもらった話を凜子はとっさに思い出した。
「ミルクっておうちにある牛乳?」
「うん・・・多分」
「それは多分体によくないよ・・・人間の飲む牛乳はよくないんだってさ・・・ネコの体に。」
「え・・・体って?体によくないって何?」
何やら意味が通じてないようだった。どう説明すればいいのか分からなかった。
「まあ・・・お腹とかをこわしちゃうってことだよ」
「ふーん」
清太は納得したようなしてないような表情を見せると、そんなことどうでもいいという感じでまたネコとじゃれあった。
「しばらく遊んでるかい?私は仕事あるから好きなだけ遊んでな・・・」
「うん・・・ありがとおばちゃん」
清太は時々わがままだったり何を考えてるのか分からない不思議なところもあったが、親のしつけがいいのか普段はとても素直でいい子だった。少なくともいじめっ子にはなるようなタイプではなさそうだった。それだけに会社で人生がうまくいかないイライラを部下にぶつけるような自分が少しだけ情けなくなってきた。いくら使えない部下だらけとはいえいささかやりすぎている自分にも実は気が付いていた。しかし、一度そういう印象がついてしまっているともはや歯止めがきかなくなってくるというか、やめようがなくなってしまっていた。それに男社会のIT企業で女の管理職というと少なくとも毅然とした態度をとらないとなめられてしまうという理由もあった。そういうこともありもはや自分はパワハラをする意地悪お局という称号を社内で与えられてしまっているのかもしれなかった。少なくともそういうポジションにいた。
凜子は2時間ほどテーブルでノートPCを開いて仕事をしていると、清太は少し飽きたらしくて
「ねえおばちゃんお腹すいた」
と言ってきた。
時間は3時半を過ぎていてちょうどおやつの時間だった。
と言ってもお菓子などおいてなかった。週末によく食べるバームクーヘンがキッチンに置いてあったが、それは自分の好物だったのであまりあげたくなかった。
「ねーおばちゃん」
清太がさらに要求してきたのでしょうがなくあげることにした。
「はいよ」
仕方なく凜子はキッチンカウンターの上に置いてある篭に入っていたバームクーヘンを一個清太に差し出した。
「ありがとう」
清太はミルクと一時戯れるのをやめて、バームクーヘンをさっそくおいしそうにむしゃぶりつくように食べた。
「そういえばさ・・・土日はお母さんいつもどこに行ってんのさ?お仕事っていってたけどさ・・・」
清太はバームクーヘンに夢中で話を聞いてないようだった。
「ねえ、清太君?聞いてんの?」
「え、なにおばちゃん?」
本当にバームクーヘンに夢中だったようだった。
「だからさ・・・お母さんは土日お仕事なにしてるのって」
凜子は少しイラっとしながらまた聞いた。
「美容師って仕事だよ」
「へー美容師か・・・」
だから土日にいないんだな、と凜子は思った。その代わり平日とかにお休みがあるのだろうか?
「自分でお店やってんの?」
「自分のお店って?よく知らない」
まあ自営業か雇われかなんて小学校一年生にはまだ難しすぎるか、と思った。
でも、土日に親がいなくてちゃんとお留守番をしていて、それで電話番もしっかりしてるのはすごいと思った。親のしつけがしっかりしてるのだろうか?でも、変な人がうちに来たり電話をかけてくるかもしれないのに留守番や電話番をさせて大丈夫なのだろうか?とも思った。しつかがしっかりしているのか放任主義なのかどっちなのかよく分からなかった。
お父さんは清太くんが物心つく前にはもう死んでしまっているらしいのでお母さんは女手一つで頑張って育ててるんだな、と凜子は感心してしまった。自分にはとてもそんなことはできそうになかった。小学校一年生の母親ということは自分よりもずっと年下かもしれなかった。下手したら20代や30代ってこともありうる。そもそも専業主婦になった元同僚はもう中学生や高校生の子供がいるのだった。つくづく自分が情けないと感じた。
「お母さんはいつも土日いないの?寂しくないかい?」
「うん・・・でももう平気。」
清太はへっちゃらという感じでそう言った。別段強がりのようにも見えなかった。平気ということはもう慣れたということなのかな?と凜子は思った。
「そっか偉い偉い」
凜子は清太の頭を少しだけなでてやった。そして本当に偉い子だと思った。普通はこのくらいの年齢だと親が家にあまりいないとさみしくて反発したりするものだと思っていた。でも心のどこかでやっぱり寂しいときがあるから捨て猫を拾ってきたりしたのだろうか?でもそれはあえて聞かないことにした。どの道小さな子供にそんな複雑な感情が理解できるのか凜子にはわからなかった。
「でも・・・お母さんがミルクを捨てたときは悲しかったでしょ、さすがにね?」
凜子はそういう言い方で聞いてみることにした。
「うん・・・お母さんひどい」
「まあ・・・そりゃそうさね。私が君でもそう思うわ。いくらなんでも捨てなくてもね?」
「うん」
「まあ・・・でもペット禁止なら仕方ないさね。世の中あきらめが肝心ってこともあるから」
「あきらめがかんじんって何?」
「まあ、要はどうしようもないってこともあるさってことよ」
「ふーん」
清太は意味が分からないというような表情をした。
「まあ、大人になれば君もわかるよ」
清太はふーんという感じでまだ意味不明という感じだった。
「まあ・・・そろそろ帰んなさい。私もまだ仕事しなきゃいけないしさ」
「えーもう帰るの?」
清太がまたダダをこねだした。時々ダダをこねる子だった。
「来週も土曜日また来ていいから」
「本当?やったー」
そう言うと清太は納得したようで
「バイバイ、ミルク。」
とミルクにさよならをした。
「にゃー」
ミルクも挨拶をした。
「ちょい待ち。道わかんないでしょ?おばちゃんが送ってあげるから」
「ありがとうおばちゃん」
そうしてまた凜子はアパートまで清太を送っていった。