ミソジニー
「そう・・・運命。私は小さい頃はいじめられていて、男性不信になっていった。誰も好きになれずに、このまま一生こうなんだって思ったこともあった。正直、ずっとこんな日々が続くのかと思ってこの世に絶望するなんてこともあった。自分のような不幸な人なんて他にいないと思ったことさえある。でも・・・それは間違っていた。あなたと出会って、私と同じように苦しんでいる人がいることを知った。あなたからは、私と同じ悲しさを感じたの。そしてそう思ったら、私はいてもたってもいられなくなって、どうしてもあなたの力になってあげたくなった。そしてあなたのことをもっと知りたくなった。そして・・・段々とあなたのことを知って・・・そして、好きになっていった。初めて人を本気で好きになれて・・・それで分かった。人を愛するとこんなにも世界が変わってみえるようになるんだって。この世は素晴らしいって思えるようになった。この世に絶望するよりも希望。過去よりも未来。あなたと出会えてそう本気で思えるようになった」
「先生・・・」
俺はただ先生の方を見てずっと話を聞いていた。
「だからね・・・私は蒼太君と出会えて本当によかった。心からそう思う。短い人生だったけど、人を本気で好きになれた。こんな人生だからたとえたったの35年でも全く悔いはない。だからね、蒼太君も自分を責めないでほしい。最後まで悔いを残さず残りの人生を送ってほしい」
先生はそう言うと次第に姿が薄れていった。
「先生?」
だんだんと先生が幽霊のように透き通って見えるようになった。
何だこれは?幻覚なんだろうか?
俺は先生の幻覚を見ているのか?
「幻覚なんかじゃないは・・・言ったでしょ。私は霊となって天から一時的に降りてきてるって。あなたにメッセージを残すために」
先生はまだそんな謎めいた不思議なことを言っている。
「でもね・・・もうそろそろ行かないといけない時間だから」
「え・・・先生いっちゃうの?」
「うん・・・残念だけど、私はこの世にはもういないから。またあの世に戻らないといけないの。」
「そうなんだ・・・」
俺はがっかりした。
「そんなに悲しい顔をしないで・・・私があの世にいってもいつもあなたのそばにいる。私はいつもあなたの心の中にいるから。いつも一緒だから」
いつも俺の心の中にいる?
「そう・・・だから悲しまないで。この世は絶望なんかじゃない。私は35年の人生でそう思えた。だから、蒼太君もこの先ずっと希望を持って生きていってほしい。前を向いて明るく生きてほしい。生きていることがこんなにも素晴らしいって思えるようになってほしい。どうか後ろを振り返って後悔するだけの惨めな人生だけは送らないでほしい。この世を恨んだりなんかしないでほしい」
「先生・・・」
「だから・・・私はずっとあなたの味方で見守っています」
先生はそう言った後に
「もう行かないといけない時間だから・・・じゃあ・・・さよなら。元気でね・・・蒼太君」
と突然別れの挨拶をしてきた。
「先生・・・待って行かないで」
先生の姿がどんどんぼんやり薄れていった。
「じゃあね、蒼太君」
「待って」
俺が先生の体に触れようとしたら先生はそのままふっと姿を消した。
「先生・・・先生?」
俺は体ごと顔をぐるりと回して先生のいなくなった後の教室を見まわした。
だけどもうそこには先生の姿はなかった。
教室を出て廊下を見渡してみたが、誰もいなかった。
もうみんな下校していてあたりは静まりかえっていた。
もう先生の姿はどこにもなかった。
窓の外を眺めたらとっくに空は夕焼けに染まっていた。先生と長い間話していたからだろうか?すでに冬の季節が到来しつつあり外が暗くなるのが早いのかもしれない。
窓の外からグランドを眺めたが、サッカー部が部活動を終えて後片付けをして帰宅しようとしていいた。
俺はふとさっきの先生のメッセージについて考えた。
俺は一度は先生の死で絶望にひれ伏した。
何もかも空虚になり、生きている意味すら感じなくなった。先生が死んだことで自分を責めたりもした。
でも、先生はそんなことは望んでないんだ。そう思った。もう自分をこれ以上責める必要はないんだ。そう思ったら途端に肩の力が抜けた。俺は大人の先生から見れば、まだまだ子供だ。どうしようもないくらい未熟な高校生のガキだ。でも、青臭いガキでもガキなりに先生の言葉を励みにこれからも何とか希望を持って生きていけるのかなって思った。
もう後ろを向いて生きてくのはやめよう。先生がそう言ったんだ。
「過去よりも未来。絶望よりも希望」
そう・・・それこそが生きるということ。
過去に縛られて生きることは絶望にひれ伏すということなのかもしれない。
きっと先生は天国からそのようなメッセージを伝えるために、わざわざ俺に会いに来てくれたんだろう。
どこまでも優しくて世話好きな先生なんだろう。
天国でも俺とのシンパシーをきっと感じてくれているに違いない。
先生との思い出の始まりはまさにシンパシーとの出会いそのものだった。
俺はそう思った。
そう言えば放課後、初めてここでモップで床拭きの掃除をしていたら先生が突然入ってきて驚いたことがあったっけ。
「竹井君・・・たまにこういうことってない?自分でも何だか分からないけど・・・うまく説明できないけど、その人のことが気になるっていうか。恋愛とも友情とも家族関係とも違う。けど、何だかよくわからないけどその人のことが気になって気になって・・・頭から離れないっていうか。しいていうなら・・・そうね・・・その人が・・・自分と同じ何かを持ってるみたいな。うまく説明できないんだけどね・・・」
あの時先生は、さっきと同じ椅子に座ってそんなようなことを言っていた。
そんなことを思いだしていたら急に心が軽くなり穏やかな気分になった。
俺はまたモップの入ったバケツを手に取って水を新しく入れ替えるために教室を出た。
先生は俺の心の中にいる。
そう思いながら。