詩集 season~アンソロジー~紡ぎ詩Ⅶ
雑草であるからには、やはり顕微鏡に映り込んだ世界は、一面鮮やかなグリーンに染まっている。眺めていると、心の中に溜まった澱が洗い流されてゆくようであった。何とも清々しい気分だ。更に心惹かれたのは理由がある。これを作ったクリエイターは、それぞれのデザインに花言葉を冠しているのだが、デルフィニウムは本来の〝あなたを幸せにします〟という花言葉が添えられていて、〝新宿の雑草〟には〝Let it be(あるがままに)〟と付いているのだ。
もちろん、雑草だから、花言葉なんて存在しないはずだ。クリエイター自身もオリジナルの花言葉だと語っている。既に何度かお話ししているように、私は昨年、未曽有の大病を経験した。これまでの人生において大病をしたことはあれども、すべては直接、生命には関係なかった。しかし、去年の夏は一歩間違えば、それこそ地獄を見ることになっていた。いや、正直に言えば、大きな手術をするというだけで、私にとっては十分に〝地獄〟に等しい体験ではあったのだけれど、やはり、あれは本当の意味での地獄とは言えまい。私は本当に運が良かった。これについては、心の底から、ありがたいことだと感謝の念を忘れたことはない。
だからこそ、回復してからは、以前とは大きく考え方・物の見方も変わった。以前の自分は心のどこかで〝認めて貰う〟ことを目的に小説を書いていたように思う。しかし、今は認めて貰うのではなく、〝人生を楽しみ、生きていることに感謝する〟ために、小説を書いているような気がする。
とはいえ、健康を取り戻せば自ずとまた欲も出てくる。欲が出れば、そこに新たに葛藤も生まれる。人間というのは、つくづく煩悩多き生きものである。誠に貪欲で罪深い。
欲を持つと苦しくなる。ささやかなことに感謝するという大切なことを忘れ果て、身近にある小さな幸せを見逃し、遠くにある光り輝く石に心を奪われがちになってしまう。
そんな時、ふと出会ったのが、この不思議な世界観を持つ便箋であり、〝花言葉〟であった。都会の雑踏の片隅でひっそりと息づく小さな生命ー雑草の姿は、まさに〝あるがまま〟だ。自分を誇大にひけらかすこともなく、ただ無心に、己れに与えられた場所で咲いている。その佇まいとクリエイターの名付けた〝あるがままに〟という花言葉は、これ以上ないほどに見事にマッチしている。
ずっと以前、私は〝花はどこでも咲かせられる〟という持論を披露し、自分が与えられた今の場所で精一杯咲くことの大切さを訴えた。けれども、雑草は花でさえない(或いは花も付けているのかもしれないが)。そういう存在であったとしても、いや、あるからこそ、〝己れ〟というものを全身で受け止め頭(こうべ)を上げて今の場所にすっくと立っている。何とも素晴らしいーなどと陳腐な一言で片付けるには勿体なさすぎる。
たとえ人生に何が起こったとしても、〝あるがままに〟受け容れられる人は、きっと最強だ。今更ではあるが、私は大きな試練を経たにも拘わらず、依然として〝あるがままに〟の境地には程遠い。強いて言えば、一歩くらいは近づいたといえるかもしれない、そんなところだ。全く情けない限りではあるが。
だが、少なくとも、そのような心持ちもこの世の中には存在することだけは忘れたくないと思う。今回はデルフィニウムの便箋と〝新宿の雑草〟のクリアファイルを購入した。この摩訶不思議かつ美しいデザインを眺めては、心の淀みを洗い流し、生きてゆく上で最も大切なことを思い出したいものだ。
美しきものは心を癒やし潤す効果があるというが、まさにその好例なのかもしれない。
☆卒業〜2024春 大樹(HIROKI)
【連作詩集『今日、東京の片隅で①』】
誰も居ない教室
昨日までは先生や友達の声が溢れていたのに
僕はたったひとりぼっち
教室の片隅に座る
窓際の一番後ろ
それが僕の指定席
真冬でもポカポカとした日差しの午後
先生の漢文を読む声が次第に遠ざかり
僕は束の間の微睡みに浸る
暑熱の厳しい夏には
下敷きをうちわ代わりに扇ぎながら
外国人教師が
まるで意味不明のネイティブイングリッシュを喋るのを聞いた
あんなこともあった
こんなこともあった
卒業式の翌日
僕は
自分が確かにこの場所に属していたことを
確かめたくて
ここに来た
しんと静まり返った三年生の教室が並ぶ廊下
かつて多くの友達たちが あちこちにたむろして
歓声を上げていた
ありがとう
僕を育んでくれた教室
三年間の多感な時代を過ごした学舎
あと1ヶ月後には
ここもまた新しい三年生の歓声で賑やかになるのだろう
そろそろ行かなければならない
僕は立ち上がり
一年間 使った机を撫でる
椅子の立てる音が誰もいない教師に
やけに大きく響いた
窓の外のグランドでは
野球部のメンバーがランニングしている
入り口まで歩いたところで
僕はもう一度
ゆっくりと教室を眺めた
深く深く頭を下げる
四月
僕は18年間 住み慣れたこの町を離れて
東京へと進学する
また
この場所に帰ってくることがあるのだろうか
期待より不安が大きい旅立ちの春
僕は今度こそ後ろを振り向かずに
後ろ手で教室のドアを閉めた
誰も居ない廊下を
前だけを見つめて歩き出す
☆ 卒業〜2024春 日菜乃~ 【連作詩集『今日、東京の片隅で②』】
澄んだ春の日差しが
真っ直ぐプラットフォームに差し込んでいる
腕時計を見ると
列車が来るまであと数分
私は読みかけの文庫本を閉じ
視線を上向ける
今日 私は生まれてから18年を過ごした
ふるさとを発つ
小さな駅舎をいだくように立つ緑の山々
春の盛りにうすくれないに色づく
山肌に所々白っぽく見えるのはビニールハウス
ふるさとの町は イチゴ栽培に従事する農家が多い
夏には緑濃い山の麓の神社で
夏祭りが行われて
子供たちは浴衣で歓声を上げながら
甘い綿菓子を頬張った
秋には実りを迎えた黄金の田んぼがひろがり
駅舎の周囲をピンク色の秋桜が彩る
厳しい寒さに見舞われる冬
小さな町は銀雪に包まれ
嫁ぐ日の花嫁のように化粧を施される
ありがとう
私を慈しんでくれた町
また必ず ここに戻ってきます
東京で夢を叶えて
生まれ故郷に
ピィーツ
列車の走る音が静寂を切り裂いた
あれは 私の運命を告げる音
私を未来へと運ぶ列車がホームに滑り込んでくる
もう一度 見上げた駅舎の向こうには
桜色に染まった山が
優しく私を見送ってくれる
私は微笑み
列車へと乗り込んだ
邂逅~2024初夏 大樹と日菜乃~ 【連作詩集『今日、東京の片隅で③』】
まだ早い夏の朝
僕はバイト先に急ぐ
またがるのは東京に来てからフリマで購入した中古の自転車だ
僕が暮らすのは
「東京」とは信じられないような緑の多い小さな町
一見 僕が生まれ育った地方の田舎町と何ら変わらない
でも 僕は この町の東京らしくないところが気に入っている
昭和の雰囲気満載の築50年のアパートで下宿し
「本物の東京」ー都会のど真ん中の大学に通う日々
ーおはようございます。
古びた小さなコンビニの自動ドアから入る
いつものように景気の良い声が上がった
ーおはよう。今日も気張って頼むよ。
作品名:詩集 season~アンソロジー~紡ぎ詩Ⅶ 作家名:東 めぐみ