詩集 season~アンソロジー~紡ぎ詩Ⅶ
ー私はここにいますよ。
叫ばなくても
ただ存在するだけで
自分をしっかりと表現し
周囲を和ませ癒せる花
驚くべきことに
家の中まで流れてくる香りながら
花はまだ数輪咲き初めたばかりだ
何という強烈な存在感だろう
あんなに可憐な見た目なのに
まるで
守ってあげたくなる可愛い少女が
内に毅然とした強さを持っているようだ
大気が日毎に澄み渡り
気温が下がってくる この季節
清澄な秋の清々しい朝
香る一輪の黄金色の花
今日という始まりを告げる太陽の光に
照らされ
ひときわ耀く初秋
あんなに可憐な見た目なのに
まるで
守ってあげたくなる可愛い少女が
内に毅然とした強さを持っているようだ
大気が日毎に澄み渡り
気温が下がってくる この季節
清澄な秋の清々しい朝
香る一輪の黄金色の花
今日という始まりを告げる太陽の光に
照らされ
ひときわ耀く初秋
秋の虫の音が静かな潮騒のように押し寄せ
庭は深まりゆく秋の気配
☆「日陰の花」
小さな御堂の裏にもっと小さな花を見つけた
純白の爪先ほどの可愛い花が咲いている
花よりもっと小さな実もついていた
一体 何の花なのか
雑草には違いないだろうけれど
雪のような小粒の花は日陰で健気にひらいている
この場所は真昼間でも御堂の屋根が陰を作っているから
陽当たり良好とはいえないだろう
過酷な環境で
それでもすっとく天を向いて咲く花は
さながら逆境でも
頭こうべを揚げて前だけを見つめる少女のように
凜として佇む
日陰でも花は咲かせられる
たまにでも
誰かが目に留めてくれることがあるかもしれない
力一杯咲く花
心の中でエールを送りながら
そっと背を向ける
小さな花が点してくれた
私の心の中の灯りとともに
☆「誰かを追い抜く一歩より夢へ踏み出す一歩が大事」
私の大好きな言葉の一つです。
「だれかを追い抜く一歩より夢へ踏み出す一歩が大事」。
もうかなり昔、文具店で見つけて、とても心に響いた言葉でしたので、即買いしました。
正直、あまりにも長い歳月が経過しているので、忘れているときも多いー笑
でも、ブログネタを見て久しぶりに思い出したんですね。
若い頃の私、自称「投稿時代」は色んな文学賞、新人賞にやたらと応募しまくっていました。
当時はまだ小説サイトなんて無くて、誰かに自作小説を読んで貰うためには、
出版社の公募の賞を取って、書籍化を目指すしかなかった。
そして、長らく在会した同人誌が終刊となり、新たな活動の場を求めてネット小説に移行して以来、「たくさんの人の読んで貰う」夢は叶いました。
今は賞を取らなくても、ネット小説サイトに作品をあげれば、誰か読んでくれる人はいます。
逆に、無理に賞を取らなくても、ネットサイトで人気が出れば、そこから書籍化という道も今は当たり前になりました。
逆を言えば、マイナーなサイトで賞を取って何とか書籍化にこぎ着けたとしても、後が続かないことの方が圧倒的に多いのが現実です。
私が知っているサイトでは、今までコンテストで受賞した人たちが何人も書籍を出していますが、、、
その中の一人として「二作目」を出した人はいません。
けして嫉んで言っているのではなく、それが厳しい現実だと認識しているのです。
結局、「想い出・出版」になるくらいなら、書籍化に何の意味があるのか、、
という考えもよぎります。
つまりは、もう「受賞=作家デビュー」という時代ではなくなったということでしょうね。
それはともかく、、、
20年以上どころか30年に渡って応募を続けてきた「市民文芸」でも岡山県文学選奨」でも、それぞれ成果を出すことができました。
また、一昨年は大手のアルファポリスで奨励賞も頂くこともできました。
けして、多くで認められたわけではないけれど、自分なりに「認めて頂く」という点についてはもう十分に努力が実ったのかなと思います。
今後の目標としては、やはり先ほどもご紹介した「誰かと競争するのではなく、【夢】へ向かうこと」こそが大切なのかなと思います。
それは即ち、「健康で小説を書き続けること」ですね。
私の究極の目標は、まさにそれです。
20代で本格的に小説を書こうと志した時、道のはるか彼方には白い霧が立ちこめていて、「目標」なんてものは見えませんでした。
正直、自分自身でさえ、その「夢」であり「目標」が何なのか判っていなかった。
長く険しい道をひたすら前へ向いて歩き続ける道程で、あるときは「受賞」が夢だったり目標だったりすることもありました。
しかし、道もかなり歩いてきた今、目標は「受賞」とか他から認めて貰うことではなく、「小説を真摯に書き続けること」こそが目標であったと気付きました。
今の自分には、自分がこれから行こうとしている「目的地」がほぼ見えています。
行く手を閉ざしていた深い霧は晴れて、ひとすじの道が延びています。
私は「書き手」として、職人のような気持ちで、その道を歩き続けます。
道を歩き続けることこそが、私の夢であり目標であり願いなのです。
そこに、他の方は関係ありません。
そんな「今の自分」が自分で好きです、ただの自己満かもしれなないけど、、、
☆「冬の庭」
ただ一人 真冬の庭に佇む
眼を閉じて 両手を水平に持ち上げて
心を極限まで研ぎ澄ませる
私の周囲を包み込む清澄な大気と極限まで同化できるように
もう一人の私は
深く深く意識の水底まで潜ってゆく
たぶん人は それを深層心理と呼ぶのだろう
こころがどんどん透明になり
余計なものが洗い流されてゆく
まるで降り積もった澱が静謐な空気に洗い流されるように
ピィー
どこからか 鳥の鳴き声が響き渡り
パサバサッ
翼を忙しなく はためかせる音が
しんとした庭のしじまを切り裂いた
私はゆっくりと眼を開き
前方を凝視(みつ)める
数歩手前には
鮮やかな常緑樹が冬だというのに葉を茂らせているだけ
よくよく見れば
樹には無数の小さな蕾がついている
あと数日もすれば
次々に真紅の花を咲かせることだろう
空高く鳥がまた啼いた
私は一人 真冬の庭に佇む
ほんの少しだけ軽やかになった心を抱えながら
☆「雑草と私~あるがままに生きる~」
まず、一言これだけは最初に言っておきたいのだが、手書きで文章を書こうと思ったのは、随分と久しぶりである。そもそものきっかけは、ハンドメイドサイトで見つけた美しい便箋であった。何でも、草花を顕微鏡で見た様をそのままデザインとして使っているそうだ。丁度、次に書く予定の作品で小道具としてデルフィニウムの花を使うので、デルフィニウムをあしらったデザインのペーパーを探していたところ、これがヒットした。
今、私はその美しい模様の散りばめられた便箋に、実に久しぶりにペン書きでエッセイを綴っている。何というか、不思議な世界観だ。なかなか誰もが発想しないアイデアであり、そのどこか万華鏡を彷彿とさせる美しい映像にも心惹かれたけれども、殊に共感したのは、デルフィニウムよりむしろ「新宿の雑草」とネーミングされたデザインであった。
作品名:詩集 season~アンソロジー~紡ぎ詩Ⅶ 作家名:東 めぐみ