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詩集 season~アンソロジー~紡ぎ詩Ⅶ

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 皆さん、誰の人生にもいつ何が起こるか知れません。限られた時間です、大切に生きましょう。


☆「雨が止んだら~空の果ての虹をつかみ取れ」
雨が降ったら  
傘をさせば良い
傘が無いなら
どこかで雨宿りすれば良い
きっと 無人の廃屋の軒先から見る風景は
いつもとは違って見えるだろう

雨が止んだら
また歩き出せば良い
ゆっくり ゆっくりと
無理なく慌てず 自分だけの速度で
きっと 雨上がりの空には虹がかかり
恵みの雨に濡れた緑の 土の匂いが
鼻をくすぐるだろう
深呼吸して
澄んだ空気を胸いっぱい吸い込んだら
さあ 歩き出そう
いつか あの青空の果てにある虹を  
この手に掴めると信じて

☆「家族のかたち」

ー 一つの家族は時間と共にゆるやかに消滅していくと、そのときの私はまだしらなかった。
つい最近、健康雑誌でこんなフレーズを見かけた
それは とある小さなクリニックの待合で手に取った一冊
途方もなく長い待ち時間の暇つぶしにすぎなかった
なのに何故か いまだにその一文が記憶に刻み込まれて消えない
この文章の筆者は既に高齢に達しており
幼い頃 立て続けに弟妹が生まれた頃の想い出をエッセイにしている
自分 妹 弟 次々に子供を持って賑やかになった大家族も
時の流れとともに いつしか一人巣立ち 二人巣立ちと
家族の形態が変わってしまったと記されている

どうして今 この短いフレーズがこんなにも心を揺さぶるのか
思えば自分自身が筆者と同じように
〝家族がゆるやかに消滅していく〟過渡期に直面しているからかもしれない
長女が嫁入りに備え 結婚退職することになった
娘を嫁に出すーまだまだ遠い先の未来だと思っていた
生まれたばかりの娘を抱きながら
この児のゆく末に幸多かれとほおずりをした日々
何という愛おしく懐かしい日々なのか
記憶の中の子育てのアルバムを紐解けば
たちまち溢れるように流れ出す想い出のひとこまひとこまは
胸がくるしくなるほどの切なく甘く幸せな母としての想いが詰まっている
子供が次々に生まれ
自分の時間もままならない時期には
早く大変な時期が終わることをひたすら願っていた

子育てももう終わりに近づいた今この瞬間
取り戻せるなら あの頃-子供たちが幼い頃にかえりたい
子供に母親として必要とされているまっただ中こそが
親として至福の瞬間なのだと今なら理解できる
まさに 長女が生まれた産院で貰った新米ママ向けの育児日記
あの表紙に書かれていた
ー赤ちゃんに最も必要とされた幸せな時間。
それこそが母として生涯最高のしあわせな時なのだ
ありがとう 娘よ
あなたと過ごした数々の時間が今 無性に愛おしくてならない

ー一つの家族は時間と共にゆるやかに消滅してゆくのを、その時、私はまだ知らなかった。
恐らく誰しもが普段は気づかないことなのだろう
娘が嫁ぐまでの残り少ない日々
子育てのアルバムを一枚一枚 完成に向けて丁寧に埋めてゆきたい
せめて大切なことに気づいた今からでも

☆「【悲願の再入賞】を果たせました☆明日、表彰式に参加しますー初入賞以来、再挑戦の壁は高く七年ぶりに」

皆様、こんにちは。



 夕方から曇り空がひろがり、何だか泣き出しそうな空の当地です。



 寒いですね~(@@;)



 韓国時代劇「赤い袖先」1.2巻を観終わったので、最寄り郵便局の窓口から



 返送してきました。



 感想も書きたいんですけど、今日は、ちょっと別の話題でお話しさせていただこうかと



 思います。



 良かったら、聞いてくださいね。



 私、明日は表彰式に出席します(*^_^*)



 そうなんです、11月の上旬に「岡山市民文芸祭」の選考通知結果を頂いておりまして、



 今回は何と、数年ぶりに入賞を果たすことができました☆



 振り返ってみれば、初めて入賞した(入選)のが平成27年、翌28年に「岡山市長賞」(現代詩部門)、



 更に翌29年にも「岡山市長賞」(随筆部門)、またまた翌30年には悲願であった「岡山県文学選奨」



 で初入賞(準佳作・現代詩部門)と、立て続けに入賞していた数年間も



 遠くなりつつありました。



 ブログでは恥ずかしくて書けませんでしたけど、その間も何とかもう一度と闘志をひそかに燃やしつつ



 毎年、応募を続けていたんです。



 だけど、私にとって再入賞への壁はとてもとても高かった、、、



 中には毎年のように入賞されている方もおられるのは確かです。



 そういう方は当然、安定した実力の持ち主なのだろうと思います。



 ですが、私は一体、あのラッキーサプライズの期間は何だったのか?



 と思いたくなるほど、平成30年の文学選選奨が最後になってしまいました。

 

 それでも、平成27年に初めて入賞したのが何と20代で応募を開始してから



 20年以上経過していたことを思えば、たかだか数年間なんて短いものです。



 それでも、私にとっては長い数年間でした。



 特に、今年の秋は検査で異常が見つかるというサプライズでも、アンラッキーサプライズの方が



 あり(>_<)、正直言うと、もうコンテストの結果どころではなかったのも事実です。



 ですが、ラッキーサプライズは、突然やってきました。



 忘れもしない、やはり郵便局で「うさもっち」を買って帰宅すると、



 郵便物が届いていました。



 そろそろ選考結果が届く頃だと気にはしていました。



 で、ポストの中に事務局からの封書を見つけ、



 ーとうとう今年も来た。



 と覚悟を決めて開封したところ、真っ先に出てきたのが



 ー市民の文芸入賞者様



 の一文でした。



 ーエ、あれ?



 我が眼を疑いました。でも、ちゃんと現実でした。



 現代詩部門、入選と記載されていました。



 初めて入賞した時、もしくは市長賞連覇したときも嬉しかったですけど、



 今回はもしかたら、それ以上だったかもしれません。



 応募開始から21年目にして初めて入選してから、実に七年目、悲願の再入賞でした。



 本当に本当に嬉しいです。



 地味な努力でも続けていれば、実ることもあるんだー。



 七年前にも実感した想いを、今、更に強く感じています。



 明日の表彰式は雨かもしれませんが、張り切って出席してきます。



 コロナ禍で表彰式後の記念撮影や審査員の先生方との作品を語る会もありません。



 また、以前は市長賞受賞者だけでなく、入賞者全員が壇上に上がることができたと記憶していますが、



 感染拡大防止の観点から、壇上に上がれるのは市長賞受賞の方だけです。



 少し残念ですが、表彰式をもうけて下さるだけでも、ありがたいことです。



 これからも、「東めぐみ」は歩き続けます。



 そのための大きな勇気を頂くことができました。

☆「流れ星の欠片を集めて」