詩集 season~アンソロジー~紡ぎ詩Ⅶ
コロナ禍になって以来、「コロナ離婚」だと叫ばれるようになった理由の一端が
身にしみたような気がします。
そんな中で、最初にコロナ感染した三女の十日間の行動制限があと30分ほとで
解除されます。
若さって良いですね。解熱剤を一度飲んだだけで熱は下がり、とうとう十日間
一度も医療機関を受診することなく、薬も一切飲まず、自力でコロナを乗り越えました。
ただ、いまだに咳や痰、息苦しさなどの諸症状でしんどいみたいです。
本当に自分が治っているのか、外に出ても他人に感染させないのか?
16歳の女の子は不安でしかないようです。
また「コロナ差別」という言葉もあるように、治癒して登校した時、
クラスメートの視線が怖いとも話しています。
私の印象では、コロナの後遺症よりは、自分が周囲に受け入れて貰えるのかという
不安の方がより深刻なような気もします。
ただ、コロナはただの風邪ではなく、まだまだ未知の病気です。
これから先、母である私自身、本当に娘の今の症状が消えてなくなるのか?
心配でならないのです。
今回、コロナの怖ろしさと自分の弱さをつくづく痛感させられました。
家族三人がかかったのに、自分は幸いにして避けられたーということを
心から感謝して家族のために尽くすべきところ、途中で取り乱してしまい
娘に必要以上にきつい言葉で当たったりしてしまいました。
高齢の母には頼ることはできず、既に成人している娘に甘えてしまったーとは
到底言い訳にはなりません。
昨日の夜、末娘とスマホでー療養期間中は隔離になるので、いつも電話で話していました
話しながら
ーお互いに長い一週間だったねぇ、ママにとっても長かったけど、チャーちゃんには
もっと長かったよね。
と、しみじみと話し合いました。
感染力が破壊的なほど強いオミクロン株が蔓延している今、コロナ感染はけして
他人事ではないのだと思い知らされた出来事でした。
またコロナは一度感染したから次がないという病気ではありません。
またつい大切な家族が、そして今度こそ自分がー
どうなるかは判らないのです。
まだ残り二人の療養期間が残っていますし、行動制限が解除されたとはいえ
体調不十分な末娘の体調も気懸かりです。
それでも、二日後から娘は高校に復学の予定です。
いまだ何だか夢を見ているような気分ではあるのですが、
今一度、自分に活を入れねばと思っている次第です。
今までは感染拡大とはいえども、周囲にかかった人もおらず、どこか遠い出来事でしたが、
家族の半数が感染し、これは紛れもない現実なのだと当たり前ながら知りました。
今まで以上に外に出るのが恐怖ですし、また感染したらと思えば更に恐怖です。
しかし、どれだけ縮こまっていても時間は流れてゆきます。
逆に考えれば、いつどうなるか判らないこそ、今という時間を大切に
精一杯生きることの意味を知りました。
☆秋のアンソロジー「初秋三題」
「十月 」
そんなときもあるさと
自分に言い聞かせ
ふと見上げた空は薄水色
そよぐ風の音
風にかすかに混ざる金木犀の香り
半袖の腕をそうっと撫でて通り過ぎる風は
もう秋の気配
いつもの
わたしの
毎日が過ぎてゆく
水が流れるみたいに
顔見知りの隣人同士が笑顔で挨拶するみたいに
穏やかに
淡々と
「夕暮れ」
真っすぐに延びた自分の影を踏まないように
一歩一歩
道を踏みしめて歩く
視界いっぱいに映り込んだ空は暮れなずみ
今日一日に終わりを告げる
街路樹は紅色のドレスをまとい
もうすぐ訪れる気紛れな夜の王子とダンスを踊る
忙しなく行き交う人々に負けないように
わたしも足を速める
夜の王子が闇色の袖ですっぽりと町を覆い隠してしまう前に
「夏名残」
空気が冷たさを増した朝
地面に張りついた蝉一匹
まるで生きているかのように
変わりない美しい姿をとどめ
うつろいゆく季節の中
孤独に一匹
永遠の眠りにたゆたっている
生命の輝きが失われても
かつての存在感を鮮烈にとどめたままで
ただ無情な刻だけが
彼の傍を猛スピードで流れ去る
新しい季節の訪れを告げる秋の虫たちの声が
潮騒のように押し寄せる中で
彼の周囲だけ刻を止めている
☆「ささやかで特別な一日」
この世に生を受けてから
何度となく今日という日を迎えた
いや この歳になると「迎えられた」と素直に言えるようになる
星の数ほどの人間が暮らすこの地球(ほし)に
その中の日本という国に
人として生まれたことそのものが奇跡のような幸せ
小説を書くという生き甲斐と楽しみを持ち
日々 健やかで大切な家族と寄り添い合って営む日々の暮らしが
何より尊く愛おしいものだと知ったのは
何回目のバースデーだったか
きっと年の差はあれども
今日ー10月9日というこの日を誕生日に持つ人もまた数え切れないほどいるだろう
その中の一人の私は
当たり前だけれど
有名でもなく取り立てて目立つ才能もなく
ただ社会の片隅に埋もれて日々を平凡に生きている
それでも 私は自分の人生という壮大なドラマの主人公であり
水のように流れてゆく人生そのものが一つの物語だと知っている
○○年前の今日
この世に人として生きることを許された
10月9日
私にとっては特別な日
ささやかで ちっぽけな自分にとって生涯最高の一日
☆「金木犀」
秋も日ごとに深まりつつあるこの季節、毎年決まって、どこからか芳香が漂ってくる。部屋を出て吹き抜けの廊下に佇むと、ひんやりした大気に花の匂いが混ざっている。まさに天上に咲く花とは少し言い過ぎかもしれないが、うっとりするような香りである。
この匂いをはっきり意識するようになったのは、いつの頃だったのか。けれども、周囲を見回しても、眼の前の中庭には何の花もない。冬から春先にかけて艶やかな花を見せてくれる寒椿もまだまだ先だ。独特な涼やかな香りを放つ柊の小さな白い花が咲くのもまだ少し先のことになる。
では、この花の香りは一体、何なのか、どこから来るのか。ある時、たまたま外出先で金木犀の側を通りかかった時、まったく同じ香りが周囲に満ちており、「あ、この匂いだ」とピンと来た。
百花といわれるように、花の香りも様々だ。どのような花であれ、その香りであれ、人を酔わせるーつまり魅了するには違いないけれど、香りはきつすぎることもあれば、人によっては好みに合わないこともあるだろう。しかし、秋毎に我が家の庭まで香ってくる花は、恐らく万人受けすると思われる実に素敵な香りなのである。
作品名:詩集 season~アンソロジー~紡ぎ詩Ⅶ 作家名:東 めぐみ