詩集 season~アンソロジー~紡ぎ詩Ⅶ
思えば末っ子が喉の痛み、発熱を訴え、地元のコロナ相談受診窓口に相談の上、
指定医療機関を受診したのが16日。
忘れもしない日曜日でした。
それから、家族全員が濃厚接触者ということで二日後にPCR検査。
夫と次女が陽性との電話が翌日にあり、頭が真っ白になりました。
せめてもの幸いは、高齢の母が陰性であったことです。
母、それに私と社会人の長女も陰性でした。
さあ、それからが大変でした。
陰性者三人にせよ、いつ陽性になり発症するか知れません。
また、その時点で感染していなくても、いつ感染してもおかしくない。
家族六人の中、半数が陽性であれば、自分たちが常に感染の危険性にさらされているー
ことは意識せざるを得ませんでした。
たとえ陰性であっても、接触者と認定されれば、行動制限が伴います。
そんな中、急きょ、感染した家族は別室に移って貰い、必要最低限のみ
室外に出てくること、
また、三度の食事も部屋まで運ぶ。
食べ終えたら食器を部屋の外に出しておいて貰って、それを取りに行き洗うわけですが、
食器用洗剤で丁寧に洗い、熱湯で更に丁寧にすすぎ、
出たゴミは別の袋に分けて入れます。
しかし部屋からトイレなどに移動の際、どうしても触れたドアノブなどには触れなければなりません。
保健所からの注意書きによれば、いちいち消毒の必要があるらしいですが、
到底そこまできできませんでした。
なので、部屋の外に出るときはマスクとビニール手袋の装備でした。
ただ、夫などは割と危機感がなく、、、
室外をノーマスクでフラフラと歩き回っている。
怖すぎて近寄れません。
スマホで電話して、
ー言いにくいんだけど、保健所からも言われたでしょ。なるべく用がないのに部屋の外に
出て歩き回らないで。あと、マスクもしてないよね。きちんとマスクをしてね。
と伝えました。
神経質なようですが、これ以上、家族から感染者が増えれば、その度に大変さが
増してゆきます。
自分でできる限り、家庭内感染は避ける努力はしなければなりませんでした。
そんな中では、どうしても緊張とストレス、疲れがたまります。
自分自身がいつ発症、感染するか判らない不安と、かかってしまった家族の世話、対応、
なかなかヘビーな体験でした。
幸か不幸か普段は勤務して自宅にいない長女も陰性で、自宅待機になってしまい、
この娘がとても助けてくれました。
私自身も外に出られないストレスもあったのでしょう、
閉じこもり生活数日目には、些細なことで長女と衝突してしまいました。
こういうときは普段は隠れている問題がともすれば浮き彫りになるものだなと
今回でつくづく感じました。
基本的には良い子だけど、どこか手に負えない娘だと幼い頃から思ってきて、
下の三人の弟妹たちと違い、扱いにくい子だと私が感じてきた、、、
そういう普段の想いがつい出てしまい、娘のいつもながらの物言いにムッとしてしまいました。
何でも無いときであれば、この子は元々、こういう利かん気な性格の子だからと
親の方が引くのだけれど、今回ばかりはどうにも抑えがききませんでした。
娘の可愛げのない態度にカッとして、ずっと堪っていたものが一挙に爆発したようでした。
しかし、こういう言い方は適切ではないかもしれません。
私自身も長引く隔離生活や家族の世話でとても憔悴していたのは確かです。
だから、娘のせいばかりではけしてありません。
閉じこもりが始まって何日かして、私はついに娘のひと言に大爆発、
普段から心に抱えていた娘への鬱憤をすべてぶちまけてしまいました。
おとなげない態度であったと反省しています。
まさに売り言葉に買い言葉で、娘とは2日ほどは顔を見れば口論になりました。
娘が私の悪口を交際中の男性や友達にぶちまけていたし知れるや、
私はもう堪えに堪えていたものが切れて、親友に電話していました。
ーらび子さん、泣いてるの?
親友は愕き、心配して、一時間ほど私の話を聞いてくれました。
その二日後、心配してまた親友から電話してきてくれるほど、そのときの私は
取り乱し、絶望していたそうです。
コロナ、本当に怖い、あらゆる意味で怖ろしい病気です。
ー普段は対立していても、大変なときこそ家族は助け合わないと。
親友は言いました。その通りです。
よく「コロナ離婚」とか聞きますが、我が家は夫婦の危機ではなく「親子断絶の危機」
に直面してしまいました。
しかしながら、また別の面もありました。
口論を繰り返した二日の後、娘とじっくりと向き合う時間もありました。
その時、私は娘が物心ついたときから抱えてきた娘への想い、
母として思うこと、望むこと、またこれからの長い人生を歩いてゆく上でのアドバイスを
自分なりの言葉で娘に伝えることができました。
ーこの子は下の子たちとは性格が違うから。
ずっと避け、見て見ないふりをしてきた長女の性格について初めて母として
はっきりと言及した瞬間でした。
結果的には、それで良かったのだと思います。
娘と話し、私は娘がある意味では、とても不器用な子なのだと知りました。
大学も卒業して社会人として勤務して二年、仕事も立派にこなしている、
外側だけを見ればもう「一人前」だけど、中身は保育園で問題ばかり起こしていた
三歳のときの幼い娘がまだ残っているのだな、、、と感じました。
話の終わりに、私は娘に言いました。
ー長い人生には色んなこと、色んな人と出逢うと思う。きっと今までのあなたのやり方では
通用しない場面もあるでしょう。もし、そういう壁にぶつかった時、今日の私の言葉を
思い出して欲しい。
そして、私自身も母親でありながら、取り乱し感情的になったことを謝罪しました。
娘はこう言いました。
ーママが言ったことは、自分には難しすぎて出来るかどうか判らない。でも、心の中には
とめておいて、できるだけ、そういう風にしてゆきたいと思う。
大変なときだからこそ、一致団結ができれば一番良いのですが、
人間ですから、そうとばかりもゆきません。
特に精神面、身体面すべてにおいて摩耗し、疲れが日々たまってゆく中では
自分を保つことはつくづく難しいと知りました。
指定医療機関を受診したのが16日。
忘れもしない日曜日でした。
それから、家族全員が濃厚接触者ということで二日後にPCR検査。
夫と次女が陽性との電話が翌日にあり、頭が真っ白になりました。
せめてもの幸いは、高齢の母が陰性であったことです。
母、それに私と社会人の長女も陰性でした。
さあ、それからが大変でした。
陰性者三人にせよ、いつ陽性になり発症するか知れません。
また、その時点で感染していなくても、いつ感染してもおかしくない。
家族六人の中、半数が陽性であれば、自分たちが常に感染の危険性にさらされているー
ことは意識せざるを得ませんでした。
たとえ陰性であっても、接触者と認定されれば、行動制限が伴います。
そんな中、急きょ、感染した家族は別室に移って貰い、必要最低限のみ
室外に出てくること、
また、三度の食事も部屋まで運ぶ。
食べ終えたら食器を部屋の外に出しておいて貰って、それを取りに行き洗うわけですが、
食器用洗剤で丁寧に洗い、熱湯で更に丁寧にすすぎ、
出たゴミは別の袋に分けて入れます。
しかし部屋からトイレなどに移動の際、どうしても触れたドアノブなどには触れなければなりません。
保健所からの注意書きによれば、いちいち消毒の必要があるらしいですが、
到底そこまできできませんでした。
なので、部屋の外に出るときはマスクとビニール手袋の装備でした。
ただ、夫などは割と危機感がなく、、、
室外をノーマスクでフラフラと歩き回っている。
怖すぎて近寄れません。
スマホで電話して、
ー言いにくいんだけど、保健所からも言われたでしょ。なるべく用がないのに部屋の外に
出て歩き回らないで。あと、マスクもしてないよね。きちんとマスクをしてね。
と伝えました。
神経質なようですが、これ以上、家族から感染者が増えれば、その度に大変さが
増してゆきます。
自分でできる限り、家庭内感染は避ける努力はしなければなりませんでした。
そんな中では、どうしても緊張とストレス、疲れがたまります。
自分自身がいつ発症、感染するか判らない不安と、かかってしまった家族の世話、対応、
なかなかヘビーな体験でした。
幸か不幸か普段は勤務して自宅にいない長女も陰性で、自宅待機になってしまい、
この娘がとても助けてくれました。
私自身も外に出られないストレスもあったのでしょう、
閉じこもり生活数日目には、些細なことで長女と衝突してしまいました。
こういうときは普段は隠れている問題がともすれば浮き彫りになるものだなと
今回でつくづく感じました。
基本的には良い子だけど、どこか手に負えない娘だと幼い頃から思ってきて、
下の三人の弟妹たちと違い、扱いにくい子だと私が感じてきた、、、
そういう普段の想いがつい出てしまい、娘のいつもながらの物言いにムッとしてしまいました。
何でも無いときであれば、この子は元々、こういう利かん気な性格の子だからと
親の方が引くのだけれど、今回ばかりはどうにも抑えがききませんでした。
娘の可愛げのない態度にカッとして、ずっと堪っていたものが一挙に爆発したようでした。
しかし、こういう言い方は適切ではないかもしれません。
私自身も長引く隔離生活や家族の世話でとても憔悴していたのは確かです。
だから、娘のせいばかりではけしてありません。
閉じこもりが始まって何日かして、私はついに娘のひと言に大爆発、
普段から心に抱えていた娘への鬱憤をすべてぶちまけてしまいました。
おとなげない態度であったと反省しています。
まさに売り言葉に買い言葉で、娘とは2日ほどは顔を見れば口論になりました。
娘が私の悪口を交際中の男性や友達にぶちまけていたし知れるや、
私はもう堪えに堪えていたものが切れて、親友に電話していました。
ーらび子さん、泣いてるの?
親友は愕き、心配して、一時間ほど私の話を聞いてくれました。
その二日後、心配してまた親友から電話してきてくれるほど、そのときの私は
取り乱し、絶望していたそうです。
コロナ、本当に怖い、あらゆる意味で怖ろしい病気です。
ー普段は対立していても、大変なときこそ家族は助け合わないと。
親友は言いました。その通りです。
よく「コロナ離婚」とか聞きますが、我が家は夫婦の危機ではなく「親子断絶の危機」
に直面してしまいました。
しかしながら、また別の面もありました。
口論を繰り返した二日の後、娘とじっくりと向き合う時間もありました。
その時、私は娘が物心ついたときから抱えてきた娘への想い、
母として思うこと、望むこと、またこれからの長い人生を歩いてゆく上でのアドバイスを
自分なりの言葉で娘に伝えることができました。
ーこの子は下の子たちとは性格が違うから。
ずっと避け、見て見ないふりをしてきた長女の性格について初めて母として
はっきりと言及した瞬間でした。
結果的には、それで良かったのだと思います。
娘と話し、私は娘がある意味では、とても不器用な子なのだと知りました。
大学も卒業して社会人として勤務して二年、仕事も立派にこなしている、
外側だけを見ればもう「一人前」だけど、中身は保育園で問題ばかり起こしていた
三歳のときの幼い娘がまだ残っているのだな、、、と感じました。
話の終わりに、私は娘に言いました。
ー長い人生には色んなこと、色んな人と出逢うと思う。きっと今までのあなたのやり方では
通用しない場面もあるでしょう。もし、そういう壁にぶつかった時、今日の私の言葉を
思い出して欲しい。
そして、私自身も母親でありながら、取り乱し感情的になったことを謝罪しました。
娘はこう言いました。
ーママが言ったことは、自分には難しすぎて出来るかどうか判らない。でも、心の中には
とめておいて、できるだけ、そういう風にしてゆきたいと思う。
大変なときだからこそ、一致団結ができれば一番良いのですが、
人間ですから、そうとばかりもゆきません。
特に精神面、身体面すべてにおいて摩耗し、疲れが日々たまってゆく中では
自分を保つことはつくづく難しいと知りました。
作品名:詩集 season~アンソロジー~紡ぎ詩Ⅶ 作家名:東 めぐみ