火曜日の幻想譚 Ⅳ
391.落書き
僕のクラスに、戸越さんという女子がいます。
彼女はとても勉強ができ、運動も得意で背も高くスラッとしている才媛です。強いて欠点を挙げれば、無口で愛想があまり良くないところですが、そこもまた魅力的に映るようで、仲良くなりたいと思う女子や、ひそかに憧れている男子も多いようです。要するに、デキるけどちょっと近寄りがたい人、それが、戸越さんなのです。
ある日の放課後。その日の日直だった僕と戸越さんは、学級日誌を書くために教室に残っていました。日直の二人は、日誌に所感を書くという決まりがあったのです。それを書き終えて、職員室にいる担任の先生に渡して、ようやく日直の仕事から開放されるのです。
「でーきた」
先に日誌を手にしていた僕は、適当な文章でさっさと記入を済ませます。そして、戸越さんに日誌を渡すべく席を立ち、前の席に座る彼女に背後から歩み寄りました。
「…………」
書き終えるのが早かったせいか、戸越さんは僕に気付かずに何か書いています。そこで、ふといたずらごころが芽生えた僕は、そっと肩越しに彼女をのぞき込んだのです。
「…………?」
そこには、国語の教科書が開かれていました。そのページには、有名な俳人である正岡子規が真横を向いています。戸越さんは、そのツルツルの頭にふさふさの髪を描き足していたのです。
「……戸越さん?」
僕は思わず呼びかけてしまいます。背後の僕の存在を悟った彼女は、教科書を手で隠してはっと振り向きました。手にしたもので瞬時に用件を理解した彼女は、顔を真っ赤にして日誌を奪い取り、そそくさと感想を書き始めます。
「……見た?」
数秒の沈黙の後、戸越さんはこちらを見ずに小声で僕に問いかけました。
「うん。落書きも上手なんだね。さすが戸越さ」
戸越さんは僕が言い終わらないうちに、余計なことを言うなとばかりに席を立ち、書き終えた日誌を手に早足で教室を出ていきます。僕もあわててあとを追いかけます。
廊下を走りかねない勢いで歩く彼女を、僕は必死で追いかけました。時折見える横顔は、さっきよりもさらに紅潮していて、もはや熟れきったりんごのようです。そんな優等生の意外な一面を目の当たりにした僕は、一気に彼女にひき込まれていくのを自覚しながら、戸越さんと職員室の扉をくぐったのでした。