火曜日の幻想譚 Ⅳ
393.「帰りたい」
「帰りたい」
つぶやいてからハッと気付く。ここは自分の家。もう安どしていい場所だ。それでも緊張はぬぐえず、どこか周囲に気を配っている。私が恐らく本当に気を抜けるのは、眠っているときだけなのだろう。
そのせいだろうか、まだ火曜日だというのに疲れが取れない。既にクタクタだ。週末までのあと3日、それを私は乗りこえられるのだろうか。正直に言えば自信がない。会社に行って何もしない、それすらも無理そうだ。それなのにさらにその上に仕事が伸し掛かるなんて無理に決まってる。
風呂が沸いた。しかし入るのが面倒だ。ついつい後回しにしてしまう。ダラダラと流れ続ける面白くもないテレビ。傍らで、何か言いたげに時間を示すデジタル時計。テーブルの上には、夕食を食べたあとの皿が油汚れをこれでもかと見せつける。
「帰りたい」
何を言ってるんだ。ここは家なのだ。おまえが帰りたがっている家にいるんだ。今を楽しまなければ、また出社の時間がやって来てしまうぞ。
無理やりそう言い聞かせ、食器を洗って風呂に入る。時間を気にしているからか、湯船につかるのは10秒ほど。そうしてやるべきことを終え、時計を見てみるともう寝る時間。
「…………」
少しでも体力を回復しなければ。もう少しいろいろしたいことがあったが、仕方なく電気を消して布団に潜り込む。だが、目を閉じて思い返すのは今までのつらいことばかり。
「帰りたい」
帰りたいのはこの家じゃない、胎内なのかもしれないな。閉じたまぶたの奥でそう思ったが、水に溶けていく砂糖のように、薄れていく意識の中であっという間にかき消えてしまった。