火曜日の幻想譚 Ⅳ
401.見る目
少し前、突然、厳格な父が妙なことを言い出した。
子育ても一段落し、蓄えもそこそこできた、俺はこれから大好きなお笑いをやっていくぞ。そんなことを言い出したのだ。
とち狂ったか。それが最初に浮かんだ感想だった。だが、母は全く動じず、むしろ頑張れとエールを送っている。兄も姉も応援こそしないが、別にいいんじゃないかなんてスタンスだ。
先にも書いたが、父はとにかく厳格だ。常日頃ムスッとしていて、全くといっていいほどしゃべらない。基本的に意見は、あうんの呼吸で気持ちを察する母の口から出てくるくらいの無口。そして、私たち子供のやることは、まず否定から入る。最初から好きにさせてもらったことなんて記憶にありゃしない。
そんなキャラの父がお笑いなんてできるのだろうか。それに、なぜお笑いに興味を持ったのだろう。父がお笑い番組を興味深く見ていた記憶なんかない。笑ったのを見たことだってないのだ。
そんな私の心配をよそに、父はお笑い養成所に通った後、驚くことにすぐさま大手事務所への加入を果たした。それだけでも驚いたのに、あれよあれよとテレビ出演を果たし、あっという間に売れっ子になってしまった。
「昔から、才能、あると思っていたのよね」
大爆笑を取る父をテレビで見ながら、母は目を細める。兄も姉も多くは語らないが、父のセンスは認めていたらしい。この人たちは、本当に私と同じ人を見ていたのだろうか、そんな不安にかられてしまう。
今日も父は、私が子供のころから見ていたベテラン芸人の前でボケをかまして、お茶の間の笑いをかっさらっている。その光景は娘の私に言わせればとてもシュールだ。そして学校へ行くと、級友から父のことを根掘り葉掘り聞かれる。けれど、私はそれらの質問に曖昧な笑いでごまかすしかない。
家にいる父はあんなんじゃないと言っていいものだろうか。もしかしたら、営業妨害になるんじゃないだろうか。そう考えると、怖くて本当の事が言い出せないのだ。