火曜日の幻想譚 Ⅳ
402.詠み人知らず
短歌や俳句なんかを漁っていると、「詠み人知らず」という言葉によく出会う。
要するに、これを詠んだ人は分かりません、ということだ。でも、個人的にはこの「詠み人知らず」、すごく格好いいなと思っている。なんというか、おばあさんの荷物を持ってあげて、名も告げずに立ち去る爽やかな人のような気がするのだ。
いや、もちろん現実はそんなに甘くないのは分かってる。名前を名乗らなかったのではなく、低い身分ゆえ、名前を載せてくれなかった人もいただろう。本当は名前があったのに、政敵に疎まれて失脚し、名前を消された大物もいたに違いない。
だとしても「詠み人知らず」は格好いい。歴史に名を残すレベルの作品を作りながらも、名前を出さない。理由はともかく、結果として奥ゆかしさや上品さといったものが、そこはかとなく匂い立ってくる気がするからだ。
だから今、名前を残せなくて無念に思っている人々は、胸を張っていい。極楽でくつろいでいるのか、地獄で責め苦にあっているのか分からないが、誰だか分からないあなた方を、格好いいと思う変わり者が、少なくとも一人、ここに存在しているのだから。
とはいうものの、世の中の作られたものの大半は、作者の名前が分からないものが多い。ざっと、今、周囲を見回しても、作り手が分かっている製品はほとんど見当たらない。せいぜい会社名か、工場名までだ。
多分、みんなで流れ作業で作っているからだろうが、だとしても偉大な製作物には変わりない。数十人、数百人の名を、どこかにずらずら書いたっていいと思う。だが、そうしないところを見ると、どうも作者の名前を残すのは、歌や工芸品などに特有の文化のようだ。だとすれば、名前を残すほうが希少で、世の大半のものは「詠み人知らず」、もとい「作り人知らず」だと言えるのかもしれない。
なら、歴史に名を残した偉人より、名を残さなかった「生き人知らず」のほうが、はるかに格好いいんじゃないか? 「詠み人知らず」にシンパシーを抱く私としては、そう思わざるを得ない。