火曜日の幻想譚 Ⅳ
403.かまきり和尚
昔々、ある小さな村に、すっかり廃れてしまった寺がありました。その寺は昔、この地に流れ着いた僧が建てたものでしたが、今はもう継ぐ者もなく、すっかり荒れ果てているようです。
あるとき、その廃寺の近くを一匹のかまきりがのそのそ歩いてきました。そのかまきりは、浮かない顔で言うのです。
「おなかが空くから仕方なく、ちょうちょさんたちを食べているけど、いつも申し訳ないなあ」
かまきりが憂いに満ちた目を上げると、そこにはぼろぼろになった寺の姿があります。それを見た彼は、一念発起して言いました。
「よし、今まで食べたものたちを供養するため、お寺に住むことにしよう」
その日から、かまきりの涙ぐましい努力が始まりました。お寺を修繕し、荒れ果てた地を整え、仏様をみがき、お経を覚える。どれもこれもとても大変な作業でした。
だって、考えてみてご覧なさい。かまきりの手には、いっつもかまがくっついているのです。そんな手では、石ころをどけるのも、障子を貼るのも、雑巾がけも、木魚のバチや数珠を持つのも難しいに決まっています。せいぜい楽なのは、草刈りぐらいのものでした。
けれども、その程度ではかまきりはあきらめません。粘り強く辛抱強く、もどかしい手つきで石をどかし、障子を貼り、雑巾やバチなどをつかむ練習をしていったのです。
しばらくして。
かまきりの努力が功を奏したのか、廃寺は見違えるようにきれいになりました。そこで、かまきりは毎日毎日、けさを着てお経を唱えています。
「おい、あそこの寺にけさを着たかまきりが住み着いたらしいぞ」
村の人間たちがようやく彼に気付き、やじ馬として詰めかけます。人間のうわさを聞いた虫たちも、世にも珍しい経を読むかまきりを一目見ようとやってくるようになりました。
お寺の周囲は人と虫でごった返し、えらい騒ぎです。
そうしてやってくるものの中には、人も虫も問わず、悩みを抱えているものもいました。
「かまきりの和尚、さぞかし苦労をされたんだろう。彼ならきっと悩みを解決してくれるに違いない」
こうして少しずつ、和尚に悩みを打ち明けるものも出てきました。かまきり和尚はちゃんと話を聞き、誠実な回答をすることに努めたのです。その、ちゃんと話を聞き回答してくれる姿勢に、虫も人間も共感しました。そこで人間たちは、まだまだ不得手な和尚に代わって障子貼りや雑巾がけを買ってでます。虫たちも鳴き声で音楽祭を開いたりして、和尚をねぎらったりしたのです。
しかし、そんな彼らの蜜月も長く続くことはありませんでした。ある時から、こんなうわさが広まるようになったのです。
「和尚はいまだに虫を食べているぞ、でなければかまきりがこんなに長く生きられるはずがない」
和尚を気に入らないものが流したのでしょう。ですがこのうわさを聞いて、みんな和尚に対して怒りを覚えてしまいました。特に虫たちの怒りはすさまじく、
「和尚だなんてお高く止まっていても、やっぱり俺たちを食べるかまきりなんじゃないか」
と口々にみんな、騒ぎ出したのです。
和尚への怒号に寺が包まれる中、かまきり和尚はとある虫の悩みを聞いていました。それは、産卵寸前のかまきりのメスでした。
「交尾の最中、オスに逃げられて、このままでは栄養が不足して、この子達は死んでしまいます」
「……ふむ。そうか。ならば……」
和尚は少し呼吸を置くと、意を決したように言いました。
「私を食べなさい。私も何も食べてはいないが、それでも食べぬよりはましだろう」
しばらく時がたって、メスかまきりが厳かに障子を開けます。そこには、首のない和尚の姿がありました。
「和尚は、オスに逃げられた私に自分を食べるよう言いました。
私は今、その言葉の通り和尚のはらわたを食いちぎりました。
そうしたらどうでしょう。和尚の体は、わらよりも軽かった!
和尚は、本当に何も食べてはいなかったんです! 虫を食べずに、生きていたんです!」
このメスかまきりの言葉に、寺を囲んでいた人や虫は己を恥じ、下を向きました。
その後、和尚は寺の近くの墓に手厚く葬られました。その立派なお墓の前には、何も食べなかったかまきり和尚のため、食べものはもちろん、花などのお供え物が置かれることはありません。
その代わり、彼の冥福を祈るため、人も虫も、今でも、墓前を訪れて手を合わせているそうです。