火曜日の幻想譚 Ⅳ
405.悪事
悪いことがしてみたい、彼はそう考えた。
わりと品行方正に彼は生きてきたつもりだ。記憶の限りでは、これといって悪さをしたことはない。法に触れることはもちろん、世間で後ろ指をさされるようなことなどもした記憶はない。
でも、物事っていうのは一度やってみないと分からないものも多い。人生を棒に振るほどのことはともかく、多少は悪事の味というものを知っておいてもいいんじゃないか、彼はそう考えたのだ。
と、いうわけだが、ほどほどの悪いことというのは、なかなか思いつくものではない。そこで、彼は夕食の際に、妻と娘に相談してみることにした。
「……と、いうわけなんだけど、なんか手頃な悪いことってないかな?」
「…………」
「…………」
妻からも娘からも返事がない。やはり悪いことなど、そう思いつきはしないか。彼はみそ汁を口に含みながら思考を再開する。手頃な悪いこと、手頃な悪いこと……。
そんな父を横目に、妻と娘は口をもぐもぐさせながら心で思っていた。
(妻のあたしからすれば、普段から悪いことしかしてないわよ、あんた)
(正直、いるだけで十分害悪だし。さっきの言い方も、なんかうざいんですけど)
夕食の時間を包み込む微妙な空気。彼はそれに気付かず、黙々と食事を口に運びながら、手頃な悪いことを考え続けていた。