火曜日の幻想譚 Ⅳ
407.豆腐屋の箱
私が子どもの頃、家の近所に豆腐屋が来ていた。
その豆腐屋は軽トラでやってきて道路の一角を占領し、豆腐や油揚げなどを売っていた。売り主はそこそこ若いあんちゃんで、その甘いマスクと気さくさで、主な購買層である主婦の心をわしづかみにしようという魂胆のようだった。
実際のところ、豆腐も油揚げも厚揚げもしっかりと作っていた上に安かったし、その上、スーパーの出来合いのものよりはるかに新鮮だったので、あんちゃんの顔に関係なく口コミで近所にうわさは広まり、十分、繁盛していたようだった。
幼少期の私は、母に手を引かれて買い物に行くのが常だった。スーパーに行けばお菓子やおもちゃをねだられるので、母としては恐らく連れて行きたくなかったかもしれないが、小さい頃の私はとにかく寂しがり屋で、一人でいるとすぐに泣き出すような手のかかる子だったらしく、仕方なくスーパーに連れていくのが日課だったらしい。
スーパーに行けば、当然、母は豆腐の値段に苦い顔をする。母としては、やはり1円でも安くておいしいものにありつきたい、当然、そう思う。そこで母は、横でわけも分からずながめている私に向かって、
「あそこのお豆腐屋さんで買おうね」
と言い聞かせる。私はもう少しお出かけできることに気を良くして、母の手をギュッと強く握った。
帰り道をちょっと外れて、件の豆腐屋さんに寄る。豆腐屋のあんちゃんは、私にも構ってくれるので、幼いながらも私は好もしく思っていた。
「絹ごし、二つ」
あんちゃんは母の注文にこたえ、素早く水を張ったスチロール内の豆腐を取り出して袋に入れる。その時の私は、目の前に置かれている、しっかりふたを閉じられた発泡スチロールに目が行っていた。お豆腐の箱が二つ (今、思えば絹と木綿だろう)あって、油揚げがあって、厚揚げがあって、じゃあ、この箱はなんだろう。純粋に疑問に思った私は思わず手を伸ばし、その箱を開けてみた。
「コラッ!」
その瞬間、母とあんちゃんの両方にものすごい勢いで怒られる。母はともかく、豆腐屋さんにも怒られた私はショックで泣き出し、母は私の非礼をわびた後、会計を済ましてそそくさと立ち去った。
だが、私は怒られながらも箱の中身を見てしまっていた。といっても、中には奇妙な小さい魚がいっぱいいるだけだったが。
その後、あの魚がどじょうということ、そして、豆腐とどじょうを使った地獄鍋という料理があることを私は知った。なんでも、生きたままのどじょうを豆腐と一緒に火にかけ、熱さのあまり豆腐に潜り込ませるらしい。どじょうにとっては地獄の沙汰なので、地獄鍋というわけだ。もしかしたら、あのあんちゃんも、仕事の終わりにこの地獄鍋で飲んでいたんだろうか。
なお、あのあんちゃんは、私が小学生になった頃を境に来なくなってしまった。そして、このどじょう鍋、実際にやろうとすると、豆腐にどじょうが潜り込まないので、都市伝説じゃないかとうわさされているそうだ。