火曜日の幻想譚 Ⅳ
408.卵からのエール
卵をやっているとね、ときどき思うことがあるんだ。
僕らは、ゆでられたり、ご飯にかけられたり、チャーハンになったり、チキンライスの上に乗ったり、パンに挟まれたり、そばやうどんにお月さまのまねをして入り込んだり、中途半端にゆでられてラーメンに入ったり、パスタのカルボナーラの中に入り込んだり、卵焼きになったり、目玉焼きになったり、炒め者に入り込んだり、茶わんで蒸されたり、天ぷらの衣になったり、お菓子になったり、まだまだ他にいくらでも選択肢が広がってる。
でも、これってさ、僕らは自由に決められないんだよ。
全ては手に取ってくれた人次第。そこで滑って床に落ちちゃうことだってある。極々まれに、手にすら取ってくれないことだってある。でも、それだって僕らの意志じゃない。反体制を気取ることや、引きこもることだって、僕らは人任せなんだよ。
でもね、未来について悩む君がうらやましい、なんて思ってはいないよ。誰かに委ねてしまうほうが楽だって考え方もあるからね。むしろ、今の君たちのほうが、僕らをうらやましく思っているかもしれない。誰かの敷いたレールの上を進むのは、傍目からだと楽に見えるからね。
だから、他人に任せるという選択肢も入れた上で、君は、君の信じた道を進んでほしいと思ってる。僕たちは自分では道を決められないけれど、どういう形であれ誰かにおいしく食べられたい、そう願っているから、君も、君の思う道を進んで、自分の思うように生きてほしいなって、そう思うんだ。
それと、もう一つ、言っておきたいことがある。
料理というものは、悲しいけれども基本的に戻すことはできない。ゆでられた卵は生には戻らないし、カレーはオムライスにはならない。基本的に不可逆で修正が効かない作業なんだ。
でも、君たちは失敗してもやり直しがきく。不幸にも選んだ道が閉ざされたり、挫折したりすることもあるだろう。でも、君たちは、諦めるたびにまた殻付きの卵に戻れる。再び新しいことにチャレンジできる。それが何年後でも、何十年後でも、例え死ぬ前だとしても決して遅くない。このことは何があっても絶対に忘れないでほしい。
さあ、明日はすぐそこだ。輝かしい未来に向けて、お互い、頑張ろう!