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火曜日の幻想譚 Ⅳ

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417.縁のないこと



 散歩がてら近所を歩いていたら、道路を疾走する男がいた。それを見てハッとする。

 この日は、市内のマラソン大会で、沿道はたくさんの人でごった返していた。俺は特にマラソンには興味がなかったが、それでもやはり目線は選手を追ってしまう。そうやって、とある一人の選手を目に入れたとき、思わぬ事実に直面したのだった。

「……そういえば、俺、はちまきってしたこと、あったっけ?」

 その選手は、額にしっかりとはちまきを締めて疾走していた。それを見て、自分が今まではちまきを締めた記憶がないことに気付いたのだった。

 小中高の体育祭はどうだっただろうか。確か、小学生の頃は紅白帽だった。中学の時は不登校で体育祭に出ていない。はちまきをするチャンスはここだったような気がする。高校はゼッケンだったような気がする。

 試験前や、受験勉強などで締めた記憶もない。勉強自体はちゃんとやっていたし、志望校にはちゃんと合格はしたけれども。

 アイドルの応援なんかで締めることも多いと聞くが、そんなこともしていない。そもそも、ライブに行くほど入れ込んだアイドルなんかいたことがない。

 どうやら人生において、はちまきを締めたことはないようだ。記憶を手繰り寄せる限り、そう結論を出さざるを得なかった。だが、意外に思う一方で、はちまきを締めた経験がない自分に、少しワクワクしていた。
 こんな身近な所に、自分の経験していないものがあるんだな。この気付きに気を良くした俺は、散歩の足をもう少し遠くまで伸ばし、洋品店ではちまきを一本、購入して帰ってきた。

 家に帰り、買ったはちまきをまじまじと見つめる。初めてのはちまき体験だ。その感触や感想をしっかり記録しておきたい。SNSに長文をしたためる準備をして、いざ額にはちまきの真ん中をくっつけようとする。しかしその直前、ピタリとその手が止まった。

「やっぱりはちまきを締めるからには、なにか頑張るものがないとな」

 そう。生半可な気持ちで締めるものじゃない。しっかりこれを頑張るという目標を持ってから締めないと。でも、頑張らなければいけないものって何かあるだろうか。あれこれと考えるが、なかなか思い浮かばない。そうこうしているうちに、買い物に出掛けていた妻と息子が帰ってきた。

「あ、お父さん。はちまき、買っといてくれたんだ」
「あら、本当? なら良かった。また買い物に行かないですむわ」

 話を聞いてみると、今度の体育の授業で息子がはちまきを使うので、今日、買ってくるつもりだったのだが、ついうっかり、買い忘れてしまったとのことだった。

「あなた、話してなかったのに良く分かったわね」
「お父さん、すごいや! 僕、体育も頑張るよ!」

 このはちまきは、いつの間にか息子のものになろうとしている。どうやら俺は、はちまきにはとことん縁がない人生のようだ。

 観念して息子に譲り渡した俺は、はちまきを締めるという経験をせぬまま、人生を終えることを決意した。


作品名:火曜日の幻想譚 Ⅳ 作家名:六色塔