火曜日の幻想譚 Ⅳ
423.閉ざした花の記憶
「春奈さんは、お好きな花はありますか?」
以前、私は笑顔を「梅の花のようだね」と形容されたことがある。初めて会ったその日、うららかな春の日差しの中。かつてそう言ってくれた人は、ひどく緊張しながら、上記の言葉を私にかけてくれた。
春の花といえば桜なのに、なんでよりにもよって梅なんだろう。笑顔に酸味でもあるのだろうか。いや、酸味があるのは実だ。私は変に考え込んでしまい、当時、どうしてもそれが褒め言葉だとは思えなかった。
そんなすれ違いがありながらも、私とその人は会い続けた。その中で、彼が梅という植物をかなり好いていることが分かった。
梅の花の魅力の一つとして、香りというものがあることもそのときに知った。桜もほのかに香るが、梅のほうが香りが明らかに強い。枝を指差しながらそんなことを、あの人は教えてくれたものだった。
桜よりも咲いている期間が長いことも教えてくれた。そして、最大の違いは、枝ぶりと花のつき方だった。
「梅は天に向かって真っすぐ伸びるんです。下に垂れ下がる桜とは違うんですよ」
あの人はそう言って、私を見てニコッと笑いかけた。
私の笑顔が天を向いているかはともかく、実際あの人にはそう見えたのだろう。私もそれに答えるべく、彼と出会った際には、努めて笑うようにしていた。
それから6年。いつの間にか彼はまぶたを閉じ、二度と開きはしなくなった。
はかない彼は、それで良かったのかもしれない。でも、残された私は、老いていく私は、それでも現世を生きていかなければならない。こうして、違う男性と出会いながら。
「春奈さんは、お好きな花はありますか?」
春に生まれた私が、再びこの質問に答えるとしたら。
清純な頃の私なら桜といっただろう。あの人の言葉通りなら梅。でも、その記憶はもう墓へと持っていく。今の私はそのどちらでもない。私は迷いなく答える。
「あんずの花が好きですね」