火曜日の幻想譚 Ⅳ
426.開花しなかった才能
思えば、幼稚園のころから、彼にはその兆候があった。
お友だちにおもちゃを取られたとき、どうしてやろうかと考えていたら、やり返した子が先に先生にこっぴどく怒られていた。どうやら、人が見ているときに「や」ってはいけないらしい。それを人生の初期に覚えた彼は、虎視眈々とその機会を狙うことに決めた。
それから数日後、機会が訪れる前におもちゃを取ったお友だちは亡くなった。ボールを追ってダンプの前に飛び出したらしい。彼に殺意を抱かせた男にしては、あっけない死にざまだった。
その後、彼はその本性を隠したまま小学校に上がる。周囲の子どもたちは皆、無防備に彼をからかい、小突き回し、蹴りを入れた。しかし、どれも彼の心の奥底に潜んだ殺意を呼び起こすことはなかった。
暴力を振るいたくなる人間の気持ち、それを彼はよく分かっていた。いや、むしろ人間の本質は暴力であると彼は喝破していた。だが、こいつらはしょせん、人を殺すことまではしない。せいぜいけがを負わせる程度のことしかやる度胸がないのだ。この程度の小物を相手にしては、自分のレベルまで落ちてしまう。そう思い、彼はなすがままに任せていた。
中学に入り、彼はある程度の社交性と計算高さを身に付ける。自分の中の猛獣をうまく飼いならすため、なるべく不快な思いをしないように立ち回り始めた。先生にも、いじめてくるやつにも、学級委員にも、女子にも付け狙われることのないよう、なるべく平均、平凡、中庸を装う。ものごとには深入りせず、なるべく一人でいる。影でなにか言われているかもしれないと考えることはあったが、自分に聞こえていなければ、それはないことと同義だ。こうして彼と彼の周囲の人々は多感な時期を無事、生き抜いた。
高校以降は、基本的に中学のときの考え方の延長だった。十人並みを装い、物事に深入りせず、他人に深入りをさせない。それ故、彼は配偶者を得られなかったし、面倒な事態を避けるために職をいくつか転々とせざるを得なかった。だが、それでもどうにか、傍目から見れば普通の人間として生きることができた。
こうして、並外れた猟奇的センスを持った、世界でも指折りの殺人鬼になれたはずの男は、一人の人間も殺めず72年の生涯を終えた。もちろん、彼のその殺人のセンスや際立った能力を目にしたものは誰もいない。傍目には、寂しく、だが、普通に生きた男の一生にしか見えないだろう。だが、老年のときにふと、彼がこぼした言葉。その言葉は、彼のその殺人センスの一端を十分にうかがわせるものかもしれない。
「70年ほど生きてきたが、犯罪を露見させるやつが多いことにゃ驚いたよ。誰かを殺して見つかるくらいなら、殺したいやつに遭わない人生を送りゃいいのに」