火曜日の幻想譚 Ⅳ
477.死に方のレール
「……カラスのように死にてぇなぁ」
カラスのように、というのはあれだ。誰にも見られずに、一人だけで朽ちていく、あんなような死に方。実際、私はカラスじゃないので、彼らが本当にそんな最期を遂げているのかは知らない。しかし、自分の人生の終えんは、そういう形がふさわしいんじゃないかと思ってしまう。
配偶者や子ども、孫に涙ながらに見守られて、医師や看護師がそっと最後の処置を施す。そんなのは、どうすっ転んでも性に合いそうにない。まあ、家族がいないんだから、性以前の問題なんだけど。
多分だけど、行旅死亡人やいわゆる孤独死した人の中には、自ら望んで1人、人生の果てを迎えようとした人間が、相当数いるんじゃないかと思う。それを念頭に入れた上での自殺というケースも、かなりの数にのぼるんじゃないだろうか。
でも、そういった人々すら、無縁仏として処理するお坊さんや、その他諸々の手続きをする役所の人がいる。そういう意味では、生き方だけでなく、死に方すらレールがあるんだなあと思う。
と、思ったら、最近はカラスの死骸を見つけたら、手数料さえ払えば、市のほうで焼却をしてくれるそうだ。ただし、遺骨は返ってこないということらしい。
どうやら人間だけじゃなく、カラスすら死に方が決まっているようだ。それは決して、悪いことじゃない。悪いことじゃないと思うのだが、どこか複雑な気分を隠しきれない。