火曜日の幻想譚 Ⅳ
444.初航海
小学生の頃、校区外というのはちょっとした秘境だった。
いや、本当はそんなことはなかったのかもしれない。だが、少なくとも僕にとってはそうだった。校区外へ出向く時は、親の許可を得てからという決まりがあり、それをきちんと守っていたからだった。
その一方、僕の友人たちは、そんなのお構いなしにどんどんと校区外へ飛び出していた。あっちで買い物をしてきたんだとか、こっちで遊んできたよとか、翌日、そんな報告をいろいろと聞かされたものだった。
もちろん、そういった場所は、親と同伴なら僕も訪れたことがあった。だけど、友人とだけで行ったことはない。行くメンバーが違うだけで、冷静に考えれば何も変わりはしない。けれど、僕の胸はときめく。友人たちの過ごした場所が、どこか素晴らしい桃源郷のように思えて仕方がなかった。
当然、僕は母にねだる。友だちと一緒にあんなところやこんなところに行きたいと。小学校も高学年になって、狭い校区外でしか遊べない恥ずかしさも手伝って、それこそ必死に懇願した。最初は渋っていた母も、友人といっしょに遊びに行けないと、いじめられるかもしれないという僕の言葉で、少々顔つきが変わる。小さい頃から僕は気が小さかったので、母は、いじめられないかどうかを何より心配していたのだ。
その後、いくつかの条件を出されはしたが、母は校区外へ行く許可を出してくれた。学校としては、校区を出るたびに許可を取るような形式を想定してたようだが、そこはあえて無視した。どうせ、他の家は親の許可すらも取っていないに違いない。それよりは一度でも言質を取っているほうがましだろう。そんな気持ちだったし、それよりも何よりも、許可が下りたこと、それ自体に舞い上がっていた。さあ、これから友だちと楽しいところに行ける。こっちへ行ってやろうか、あっちへ行ってやろうか。その気分は、ちょうどRPGで船だの飛行船だのを手に入れて、一気に行く場所が広がったときのような心境だった。
数日後、早速、僕は友人たちと約束を取り付けて、自転車で隣の市のデパートのような場所に行くことにした。別に買い物があるわけでもなく、特別な目的も存在しない。なんとなく遊びに行くという、ただ、それだけ。
それだけでも、僕は楽しみで仕方がなかった。前にも記したように、そこには何度も行ったことがある。デパートのどこに何のお店があるかまで分かっている。それでも、そこにはキラキラ光る何かがあると、行く前までは信じ込んでいた。
着いてみて、ようやく何も目新しいものがないことに気付く。友人たちは適当にアイスなどを買い、それを食べながら普段どおりのトークをする。買い食いというやつだ。僕もアイスを買ってその輪に混ざる。つまらなくはないが、そこは楽園とは程遠い場所だった。
強いてあげれば、ゲームセンターに初めて入ってゲームをしたことは、なかなか刺激的な体験だったかもしれない。家にゲーム機があるのに外でやる意味がないと言われたり、怖い中高生がいると脅かされたりして、それまで母に禁止されていたのだ。でも、なけなしの100円の重みを感じながらするゲームは想像以上のプレッシャーだということがよく分かったし、家庭用では出ていないゲームを好きになってしまったこともあって、ゲーセンに通うことはその後も、しばらく続いた。
それから、長い月日が流れた。
つい先日、ネットニュースでかつて僕らが訪れたこの場所が、更地になったということを知った。そのニュースには証拠のように何もなくなった画像が数枚貼られ、高層マンションが建つ予定だという言葉で記事は結ばれていた。
僕はもう引っ越して県外にいるし、いまさら実際に跡地を見にいこうとは思わない。それに、恐らくは人口減少の結果だろうから、こうなるのも致し方がないと心の何処かで思ってすらいる。
ただ、今でも各地に残ってはいるものの、すっかり下火になったゲームセンターという文化と、あの思い出の場所がまっさらな地になっている画像を見て、自分の時代は、もう終わったんだなあという事実を突きつけられた感があった。
だが、当時のあの言葉にできないようなワクワク感は、今でも僕の胸のうちに眠っている。それだけは、終生、忘れることはないと信じたい。