火曜日の幻想譚 Ⅳ
451.飢きん乞い
関ケ原の合戦が終わった後、いくつかの大名が転封を余儀なくされた。
転封とは、治める地を変更させられること。今の世で言うなら、知事が担当の県を変わるようなものだろう。それでも、大名側はまだその転封をいやいやとはいえ、了承したのだからまだいい。その地に暮らす農民のほうはどうだ。お殿様が勝手に変わってしまうのだ。納得が行かない者も多数存在していただろう。けれど、大半は、その思いを無理やり押さえつけられてしまったか、お上に反抗できずに泣き寝入りをしてしまったのだろう。しかし、よくよく調べてみると、いくつか例外も見受けられたようだ。
某藩の某村は、以前この地を治めていた大名家に対する忠誠が高かったため、もともと新しい藩主に対して良い感情を持っていなかった。一方で、新藩主のほうも、今回、大きな減転封を食らっており、腹を立てていた。しかし、徳川とことを構える勇気などあるはずがない。そうなると、当然、その刃は自分より弱きものへと向けられる。すなわち、治めている地に対して重い税を課したのだ。
村々は当然のごとく怒った。特に上記の村の怒りは凄まじかった。ただでさえ新藩主が気に食わないのに、かてて加えてこの仕打ち。さて、どうするべきかと、主だった者で何日も協議を重ねる。反乱を起こして新藩主を打倒しようともくろむ者。大人しく年貢を納めようと言い出す者。意見は大きくこの二つに分かれたが、前者の意見は容易に承服し難かった。こんなちっぽけな村の人数で反乱を起こしても、すぐさま鎮圧されるだけだ。一矢を報いるどころか、その一矢にすらなり得そうにない。
他の村と連携すればあるいは、という意見も出たが、よその村は次々と、藩主へ恭順の意を示し始める。反抗したいのは山々だが、しょせん農民と武士では身分が違う。他の村は、現実を見つめ始め、諦めて年貢を納める方向で調整し始めたのだ。
この村にもそんな諦観がひしひしと漂い始めた頃、一人の男が小声でそっと案を出した。
翌日から、この村に奇妙な歌がはやりだした。まるで地獄の底から聞こえてくるような、不気味なメロディ。見回りの者が何事かと聞くと、飢きんを乞うているのだと言う。不思議に思い理由を問うと、飢きんが起これば、年貢を納めなくていいからという返事。仮に飢きんが起きたとしても、年貢を納めなくても良いと決まってはいないと説くと、それならば村の者、皆で飢えて死ぬまで、とピシャリとはねのけてしまった。
見回りの者も、表立って反抗してこない上に、その奇妙な歌が本当に飢きんを乞うているのか分からない。念のため報告をしたが、問題ないだろうということで、そのままうっちゃられてしまった。
しかしこの飢きんの唄、意外なところで効力を発揮した。藩主のおばがこの地で暮らしていたのだ。このおば、昼夜を分かたず聞こえてくるこの呪いのような歌にすっかり参ってしまい、ノイローゼになってしまった。このおばに頭が上がらない藩主は、こっぴどく叱られた後、仕方なく重税を撤回したそうだ。
その奇妙な飢きん乞いの歌は、残念ながら現在には伝わっていない。もっとも、伝わっていても乞われるのが飢きんでは、使い道がないだろうと思われるが。