火曜日の幻想譚 Ⅳ
367.無口の理由
うちの父はとにかく無口だった。
本当にしゃべらない。娘である私ですらも、口を利いた場面をめったに見たことがないくらい寡黙。母に聞いたところによると、私が生まれたときですら、父は小さくうなずいただけだった、ここからもその実力の程がうかがえるだろう。
そんな体たらくで仕事は大丈夫なのだろうか、疑問に思って母に聞いたことがあったが、会社ではそつなくやっているらしい。管理職としてコミュニケーションは最重要だと思うのだが、上司にも部下にも受けはいいそうだ。
以外に思う反面、ではなぜ家ではそんなにかたくなにしゃべらないのだろうか、そんな疑問が浮かび上がってくる。それを母にぶつけてみると、母は一言、「そういう人なのよ」といって朗らかに笑った。
「そういう人」か。当時はそれに納得し、引き下がった私だったが、黙りこくっている父を見ているうちに、再び疑問がわきあがってくる。共働きとは言え、父はやはり一家の大黒柱だ。もっと意見を言ったっていいはずだ。それに娘という立場としても、ほとんど何も言われないのは悲しいではないか。
私は一度、思春期の頃に、上記の論を引っ提げて父に戦を挑んだことがあった。有り体に言えば、「てめえ、言いてえことあんだろ、何か言えよ」というわけである。容赦のない言葉をぶつける私に、父は困惑した表情をするが、それでも何も言わなかった。ただただ寂しそうにうつむいて、浴びせかけられる憎まれ口を、それこそサンドバッグのように受け止めていただけだった。
翌日。気まずい朝食の席で、父は一言だけ「すまなかった」とだけ謝った。だが、父の口から出た言葉はその一言だけ。それ以上は何も語られない。私はそれこそ昨晩以上に激高したが、どうせ何を言ってもこいつはしゃべらない、もう相手にしないほうが良いと考え、さっさとかばんをつかんで学校へと行ってしまった。
それから長い年月がたち、私は結婚して子を授かり、父は世を去った。
人の親になり子育てに没頭している今、あらためて考えると、父がなぜ必要以上にしゃべらなかったのかがよく分かる。恐らくだが、父は人の気持ちがよく分かってしまうのだ。例えば、二人の人が言い争いをしているとき、その両方の言い分がよく分かってしまう。世の中のどんな事件も、どんなできごとも、どんな事柄も、被害者と加害者、当事者と傍観者、裏で糸を引いている者と踊らされている者、それぞれの立場に立って考えてしまっていたのだろう。
だから、きっと父は私が戦を挑んだときに、このようなことを考えたはずだ。娘の私の気持ちもよく分かる。だが、母さんの教育方針もある。担任の先生の考えもあるだろう。もちろん父である私の考えもあるが、それらの、いやそれ以上に多くの人間の言い分が交錯する中で、自分が言えることはあまりにも少なすぎる、と。そんな父が考えに考えて発した最大限の言葉が、翌日の謝罪だったのだろうと思う。会社での父は、このような言葉のセレクトを必死に行っていたのだろう。疲れ果ててしまい、家ではそのような判断をなるべくしたくないという理由も、父を無口にさせていた要因の一つではないかと思う。
この考えに気付いた後、わたしも同じような道をたどった。父の考えはよく分かる。だが、やはりあの場面では何かを言うべきだったと思う。しかし……。自分の言い分、あの時の母の心情、いろいろなものが矢継ぎ早にやって来て、気が付くと疲れ果てて答えの出せない自分がそこにいる。
そんな疲れ果てた頭で私は一言、父に「すまなかった」とつぶやく。だが、父の場合とは違い、もうこの世に父はいないのだ。