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火曜日の幻想譚 Ⅳ

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369.ペースメーカー



 5、6年くらい前、駅近くのバス停でバスを待っていた時の話だ。

 僕はそのとき、ベンチに座ってスマホで調べ物をしていた。これから会社に戻って打ち合わせをするのだが、そのときにどうしてもある商品の概要を把握しておかなければならなかったのだ。
 できればバスが来るまでに、ある程度目星をつけておきたい、そんな状況。そんなときに僕の隣に座った者がいた。その者はゆっくりとこちらを向いて僕の持っているものを目に入れ、突然、僕に声を掛けてきたのだ。

「それは、スマホですか?」

僕は戸惑った。だが、取りあえず「ええ」とだけ答える。奇っ怪な人だが、今はそれどころじゃない。調べ物を完遂させねば。そう思った次の瞬間、再び僕の耳に隣人の声が聞こえてきた。

「私、ペースメーカーしてるので、電源切ってもらっていいですか」

 この言葉を受け、僕は考え込んだ。電源を切ろうか切らないかを考えたのではない。確か、最近のペースメーカーはスマホと15cmほど、距離を確保できればいいはずじゃなかったか。この隣人と僕の間には、間違いなく15cmの間がある。それにいい歳した男性同士だ。15cm未満まで近づく気もありゃしない。
 それに、そもそも最初に並んでいたのは僕のほうだ。自分が2番手に並んで、1番手にスマホの使用を差し止めるのは、何かおかしい気がしないだろうか。何が悪いのかうまく説明できないが、何か違う気がする。

 だがしかし、「嫌です」と素直に言えるだろうか。言えそうにない。まず、僕のペースメーカーの知識はいわゆるどこかで聞きかじったうろ覚えというやつだ。それを振りかざして、実際に使っている専門家にとやかく言われるのは面倒だ。それに、ここで無理に反抗して誤作動し、この方に死なれるのが一番怖い。あっという間に殺人犯の出来上がりじゃないか。

 ここまでのことを瞬時に計算し、僕は大人しく曖昧に笑ってスマホの電源を切る。隣人は、手持ち無沙汰になった僕に、数年前に心臓を患ったことを話し出す。そのうちに、バスがやってきた。

 結局、僕はバスの中でも気まずくてスマホの電源を入れられないまま、調べ物を調べきれずに上司に叱られた。隣人にも上司にも曖昧な笑顔でやり過ごさざるを得なかった散々な1日だった。

 もうあれから5、6年がたつ。あれから何回もあのバス停でバスを待っているが、彼に出くわしたことはない。彼は今でもペースメーカーをしていることを周囲に告げて、スマホの電源を切らせて、周囲のペースを乱しているのだろうか。


作品名:火曜日の幻想譚 Ⅳ 作家名:六色塔