火曜日の幻想譚 Ⅳ
374.喉
喉から先に生まれたようなやつってのは本当にいるもんだ。
俺の近所の男、長井もそうだった。小さいときからこいつはよくしゃべる。生まれたときからしゃべくっていたんじゃないかと思うが、遊びに行った折にこいつの母さんに聞いてみたところ、そんなことはなかったようだ。
とはいえ、本当にこいつはよくしゃべった。よく弁が立つという言い方をするが、こいつはそれほど自己主張が強いわけでもない。むしろ、どこか公平を重んじるタイプだったように思う。そんなやつがしゃべりまくるとどうなるか。相手に有利なことまでしゃべってしまう。相手はそこを逆手に取ってさらに追撃を加えていく。ガキ大将にも、先生にも、上司にも、取引先にも (われわれは社会人になってからも付き合いを継続していた)同じような手口でやられ、彼は残念ながらそのよく回る口を持っていながら、社会的に成功することはかなわなかった。
彼が家でごろごろするようになったころ、一度遊びに行ったことがあった。俺は、自分に都合の悪いことは話さなければよかったのにと、彼の悪癖を責めた。しかし、彼はきょとんとした顔で、全ての情報を出して客観的な判断を仰がなければ、お客さんのためにも上司のためにもならないだろうという旨の発言を言い放つ。言ってることは正しいのだが、そんな理想を掲げてちゃ飯は食えねえ。立派な口は持っていても、いわゆる社会ではやっていけないやつだった。
それでも、いや、この発言があったからだろう。俺は彼を信用に値する男だと思い、うちの庭掃除番を任すことにした。小さい商店を営んでいたわが家は、先年、主が俺になり体制を一新しようとしていたのだった。
長井の仕事は簡単だった。庭掃除という名目で近所の人々と話をするだけ。話しちゃいけないひとも、禁止をした話題もない。うちの店の批判だって、話によっては許可した。ただ、陽気でよくしゃべる街のおじさんになってもらえればそれでよかった。なんせあいつはよくしゃべる。その上、物事を公平に見るということは、概ね正しい情報をやりとりできる。うちのマスコット兼評判収集役におあつらえ向きだというわけだ。
効果はてきめんだった。まずは話し好きのおばちゃんが食いつく。次に、おばちゃんが連れている子どもたちが食いつく。40を過ぎた見てくれの悪いおじさんに、子どもたちが群がっていくさまは見ていて痛快だった。最終的には若い女性のファンまでいたってんだから、おかしなもんだ。しかし、そこから得た情報を利用して、うちの店はたちまち売上を伸ばし、店舗も三つまで増やした。どこぞのでかい大企業にはかなわないが、地方都市のチェーン店としては上出来の部類だろう。
だが、そこから先はケチがついちまった。あいつ、体を壊してね。数年前に亡くなっちまったんだ。ぜいたくとまではいかないが、ちゃんとうまいもんが食える程度の賃金はやってたんだがな……。
そんな一生をかけてよくしゃべった男の骨上げのときだった。一つだけ、やけにでかい骨がそこにあったんだ。
「これ、喉の骨ですね。こんなに大きいのは珍しいですよ」
職員の言葉が俺たちの涙を誘う。そりゃあ、喉から生まれてきたような男だ。喉だけ焼け残っても何ら不思議じゃあない。
本当、あいつは喉だけで一生を生きた男だった。今でもいろいろと感謝しているよ。