Straight ahead
二
夜中と朝にサイレンの音で二回起こされた源は、体内時計を無視して二度寝を始めたが、一時間も経たない内に、空腹に耐えきれず体を起こした。資材センターの仕事は土日祝が休みで、裏の仕事と合わせてようやく南団地より綺麗なマンションに住めるぐらいの給料を貰っている。綿野は同じ仕事をしているが背の高いマンションが苦手で、住宅街のさらに奥にある古い民家を借りている。資材センターまでは徒歩五分。娯楽以外は、全てが徒歩圏内の人生。昨日の夜は、中途半端に切り上げて帰ったから胃がほとんど空っぽの状態だった。そのまま眠ったから、空っぽを通り越して、内臓の一部が抉れているように感じる。冷蔵庫からハムの残りと卵を三個取り出した後、源は両手が塞がったまましばらく考え、冷蔵庫に食材を戻して、スマートフォンを充電ケーブルから引き抜きながら綿野にメッセージを送った。
『メシ食った?』
返事の代わりに着信が入り、源は反射的に通話ボタンを押した。
「ゲンゲン、どうしよう……」
誰からの電話か、見るのを忘れていた。愛華だということに気づいた源は、胃の真上をさすりながら、ベッドに戻って腰かけた。
「おやすみ」
「聞いてよ、てかニュース見て」
源は言われるままにテレビをつけた。どのチャンネルもワイドショーの時間帯だったが、ニュースのバナーに切り替えると、地域の速報が大きく表示された。
『事務所で男性が殺害される。強盗か』
『居酒屋で発砲事件。店主が死亡』
『公園で男性が刺殺される』
三つの情報が一気に頭の中へ流れ込み、源は目を見開いた。
「これ全部、昨日の夜に起きたんか?」
「そうみたい……」
愛華はそれ以外の言葉が浮かばない様子で、いつもの三年振りに再会したような言葉数の多さは鳴りを潜めていた。源は言った。
「ちょっと、今から綿野と会うから。後で寄っていいか?」
「みんなで会ったらあかんかな?」
「それでいこか。拾いに行くわ」
電話を切ると、綿野からもメッセージの代わりに着信が入った。源が通話ボタンを押すと、綿野は早口で言った。
「メシとかゆうてる場合か。誰と電話しててん」
「愛華や。ニュース見てるよな? 名前出てへんねんけど、これっておれの思ってる通りかな?」
「立松ゴローと、柿本。全員死んだ」
綿野が言い、鍵を閉めるときの大きな金属音が電話越しに聞こえた。
「とりあえず出た。お前の家まで行くわ。愛華はどないしてんの」
「お前が来たら、拾いに行くことになってる」
源が言うと、綿野は『了解』と言って電話を切った。全員で集合する。それは構わないが。その後、一体どうすればいい?
それを相談できる相手が、もういないのだ。
薬室が空けられた散弾銃は、今川が座っていた椅子に立てかけられている。幸樹が爪を切る音が規則的に部屋の中に響いていて、果歩はいびつな三人組の一員として、スマートフォンでニュースを確認していた。氏名が出たのは、のんべえ立松の店主である立松尚人だけ。柿本と高崎の情報は、まだ出ていない。それでも捜査が始まれば、逃げきれるわけがない。このウィークリーマンションを借りたのは今川だが、簡単に辿り着かれるだろう。果歩は、スマートフォンでカード会社のアプリを開き、クレジットカードの明細を眺めた。昨日の夕方五時ぐらいまで、普通の生活をしてきたのだ。給料日と支払いのバランスを見ながら、夜になったらバーに出勤して、昼は歯科助手をして。幸樹がこの話をしてきたのは、一昨日の夜。土日に休暇なんか取れるわけがないと思って、断られるのを期待して確認したら、両方の勤務先から『君は真面目すぎる、休みなさい』と言われてしまった。
そして最悪なことに、気づいたらこんな部屋に放り込まれて、家にも帰れなくなっている。幸樹と二人なら何も不安はなかったが、仕事でもないのに初対面の第三者はかなりきつい。もちろん、そんな状況に陥っても、対処方はある。スマートフォンの中に広がる無限のショッピングモールに飛び込めばいいのだ。初対面の人間がいる前で癖は出せないから、爪を噛むのを我慢することで、余計に物が欲しくなってしまう。
そもそも、両親が死んだのは、本当に最後の資金繰りが失敗したからなのか。それを乗り越えたとして、今日まで生き延びる力はあったのだろうか。もちろん、自分が買い物中毒なのは、自覚している。それでも支払いに困ることなく上手くやっているのだから、疑う資格ぐらいはあるはずだ。果歩は、トイレから戻ってきた今川の視線から逃れるように、足を持ち上げて体育座りの体勢になると、体を丸めた。幸樹が爪を切り終えて洗面所から戻って来ると、言った。
「一石二鳥やったな」
柿本武は、どうあがいても逃げられない形でリスト入りしていた。誤算だったのは、かつての仕事仲間とは手を切っていて、柿本から先を辿れなかったことだ。本堂家が地獄の底にいたのは、七年前。そこから今までの間に、様々なことが変わったのだろう。
『当時は、誰と仕事をしてた?』
柿本への質問は、そのひとつに絞られた。そして、自分が想像していた巨大な『悪の組織』というのは存在せず、せいぜい数人だということも分かった。当然、かつての仲間と手を切った柿本から答えは得られなかったが、そこに電話がかかってきた。相手は旧姓の森島に戻っているが、元妻の柿本愛華。内容は、仕事で勝手に名前を使われたことに対する抗議。会話を全て聞き取った後、幸樹はひとつの結論に達した。元妻も夫の仕事を知っている。関わっているのであれば、死ぬ側に入ってもらう。
簡単に手出しできない相手だと忠告したのは、今川だった。のんべえ立松の店主と、そこの常連の高崎が、南団地の顔役だからだ。やるべきことは複雑になったが、分業にすることでひと晩で片付いた。
「立松さんは、ぽかーんてしとったわ」
今川が、散弾銃の銃身をペットの背中のように撫でながら言った。果歩は幸樹の方を向いて、言った。
「次は、愛華って人?」
今川が首を横に振り、会話に割り込んだ。
「それだけやないねん。この地域で好き勝手してるゴロツキが二人いてる。高崎の昔からの仲間や。縦にでかいのと、ニット帽被ったのと」
幸樹は、柿本の家から回収した資料を段ボールから取り出しながら、顔を上げた。
「他には?」
「何人か知り合いはおるみたいやが、古い付き合いで残ってんのはこの二人らしいな」
今川が言い、柿本が使っていたメモ帳をぱらぱらとめくった。
「ニット帽の人、隣におったわ。その隣が縦に大きかった」
果歩は、結局名乗ることのなかった『隣のニット帽』の顔を思い出していた。先に名乗ってみたが、自動的に名前が返ってくることはなかった。幸樹は今川からメモ帳を受け取り、開かれたページを眺めた。柿本は飄々としているようで、中々しつこい性格だったらしい。ページのほとんどが、愛華の交友関係。荒れた字だが、隙間なく埋まっていた。
「デカブツとハゲ」
幸樹が呟くと、果歩は記憶をさらに辿るように目線を上げ、うなずいた。
「そう書いてあるん? ニット帽取らんかったもんな。そうなんかもしれん」
作品名:Straight ahead 作家名:オオサカタロウ