Straight ahead
「書いてあるよ。デカブツは源で、ハゲは綿野。どこに住んどるんかは分からんが、二人とも高崎の弟子みたいな存在らしいな」
幸樹はそう言ってメモ帳を手渡そうとしたが、果歩は体を丸めるだけで受け取らなかった。構わず、幸樹は続けた。
「ややこしいのから片付けて、正解やった。こいつらは、もう誰にも相談できんやろ」
被害者のことを忘れるのは自由だし、実際、柿本はフォレスターの写真を見せるまで、何のことか分かっていなかった。ただの強盗だと思っていたのだ。だからこそ、思い出させるだけの意義はあるし、人生の残り時間が突然残り数秒に縮まったことを理解してから、死んでもらう。それが、人生に横槍を入れられたお返しだ。
七年前、果歩はまだ十三歳で、大好きな両親に対するイメージが出来上がっていなかったように思う。十八歳だった自分には、両親の限界が見え始めていた。だからこそ、長男である自分が守らなければならないという自覚が生まれていた。高校を辞めることは、両親が止めた。そこは受け入れた上で、高校を出たらどこで働くかということまで決めていた。それは、父がフォレスターを洗車するのを手伝い、母の作るご飯を食べる免罪符となったが、甘んじている内に、自分の力を証明することなく、その機会は永遠に奪われた。取り返せないものというのは、確かにある。
壊れた部品を外して、新しい部品と入れ替える。調整して、客にお辞儀をして、車の誘導をして。ふと振り返れば、ただ目的もなく生きているだけだった。自分には、果歩のような生きるためのエネルギーはない。ただ物理的な力だけが無軌道に有り余っていて、それは使われる機会を待ち焦がれている。その力に頼ってさえいえば、少なくとも果歩は傍観者でいられるし、直接手を下さないで済む。『殺したいね』という言葉を実現するのは、兄の仕事だ。第一捕まったところで、元々用意されていなかった人生を惜しく思ったりすることもない。
幸樹はメモ帳を段ボール箱に戻すと、ソファに腰かけた。高崎と立松を失った、デカブツとハゲのコンビ。頭はボケ切っているだろう。どうしていいか分からず、途方に暮れているはずだ。
それこそ、七年前に親を失った自分たちのように。
花梨の首元でマフラーを交差させて立ち上がった愛華は、自分のコートの前を留めると、小さな手を引いて部屋を出た。定位置にジムニーが停まっていて、ハザードを焚いている。階段を下りきると、出入口のところで源が待っていた。
「おはよ」
愛華が言い、花梨が挨拶代わりに膝に空手チョップをした。源は大げさに体を曲げると、言った。
「ご挨拶やな、おはよう。ファミレスでええよな」
綿野を一度助手席から降ろし、後席に愛華と花梨を乗せた源は、シートを元に戻しながら言った。
「ファミレス行くで?」
「どこでもええわ」
綿野が言い、助手席に滑り込んだ。源が運転席に乗り込むと、愛華は笑った。
「よろしくお願いします。ゲンゲン、この車長いよね」
バックミラー越しにちらりと笑顔を見せると、源はサイドブレーキを下ろしながらシフトレバーを一速に入れてウィンカーを出し、ジムニーを発進させた。
冬の味覚フェアをやっているチェーンのレストランに入り、四人掛けのボックス席に関係性の見えない大人三人と子供ひとりが収まって注文が終わったところで、愛華が何かを言おうとして、口をつぐんだ。綿野は言った。
「無礼講ちゃいますの」
「いや、大人の話やから。ちょっと」
愛華が花梨の方へ体を寄せると、源は苦笑いを浮かべた。
「打ち合わせってか、昨日あったことの話ちゃうんかい。メシ食いにきただけか?」
「違うよ、でも話したくないねん。この子の前ではあくまで、ゲンゲンとやっかみ侍……」
思わず口走った愛華は目を見開き、失言を隠すように両手で口元を押さえた。綿野は先にやってきたホットコーヒーをひと口飲むと、顔をしかめた。
「なんやねん、やっかみ侍って。消去法的に、おれのことか?」
「無礼講……」
愛華が繕うように言うと、綿野は呆れたように苦笑いを浮かべながらコーヒーカップを置き、ニット帽を脱いだ。地肌と黒髪が入り混じる幾何学模様に花梨が容赦なく笑い、笑顔を返しながら向かい合わせに座る綿野は続けた。
「侍、綿野。馳せ参じ祀った。用件を伺うに候」
花梨の意識が完全に逸れたところで、愛華は向かいに座る源に顔を近づけた。
「昨日、カホって人の話してたやんか。立松さんから、その人のクレカの番号が来てた」
源は、記憶を辿った。綿野に話しかけていた、小柄な若い女。立ち飲みには慣れているようで、ひとり分のスペースに酒と料理を小さく並べて、常連客のように振舞っていた。
「黒縁眼鏡かけとったけど、目の化粧は濃かったな。服はその辺の人って感じ」
「マジかー、参考になる。その辺の人ってなんなん。どんなバッグ持ってた?」
愛華が訊くと、源は眉間にしわを寄せた。
「えーっとな、真ん中にチャックついてて。でも、パタンって蓋が閉じんやつ」
愛華は諦めたように首をだらりと傾けると、口角を上げた。
「テキトーか? 知識の限界か?」
「両方。すまん、ブランドとかは分からん」
「コーチや。ピンクのウィロウバケット」
綿野が横槍を入れた。愛華から鳥のように見開いた目を向けられながら、続けた。
「結構、高いで。金持っとるわ」
帽子を取ることで花梨の気をうまく逸らせた高貴な侍は、いつの間にか普段のやっかみ侍に戻っていた。源がその横顔を見ながら笑うと、スマートフォンで検索した愛華は目を丸くした。
「六万ぐらいする。若いんやろ? やるなあカホちゃん」
「次見かけたら、すぐ分かる。隣におったからな、ようしゃべる人やったわ」
綿野が言うと、源はどうしても接点が見つけられないように宙を仰いだ。
「なんしか、早めに切り上げた。あんまり突っ込んだ話もできんし。やから、あのカホって子がいつまでおったんかも、分からん」
愛華は運ばれてきたクリームソーダを飲みながら、言った。
「ゴローさん関係の人ってことはない? あ、ドリンクバーにしたらよかった」
綿野が手を挙げて店員を呼ぶと、花梨の分のドリンクバーを頼み、一緒に席を立って連れていった。源は改めてリラックスしたように、背もたれに体を預けた。
「それはない。ゴローさんに、真っ先に知り合いか聞かれたから。立松さんもカード番号送ってくるぐらいやから、かなり怪しんでたんやろ」
愛華は納得したように俯くと、小さなスプーンでバニラアイスを掬い取った。源は言った。
「柿本は、ゴローさんらと仕事してたんか? 縁切りしてたんちゃうの?」
「縁切りされてたと思う。顏見せたらしばかれるって、言うてたし」
愛華は細い眉をひょいと上げて、目を逸らせながら言った。源は自分の顔が険しくなっていることに気づいたが、どうしようもできなかった。泣き出す瞬間は見たくない。それが自分の言葉のせいだとなると、尚更。
「色々、ゴローさんの口利きで成り立ってたとこもあるやん。おれと綿野は資材センターの仕事があるけど、大丈夫か?」
「うん」
作品名:Straight ahead 作家名:オオサカタロウ