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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Straight ahead

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 綿野が言うと、高崎はチーカマをかじりながら器用に笑った。
「そない言うたんな。今ごろ死んでたりしてみいや、そら気まずいぞ」
 源が納得したようにうなずきながら、綿野の背中をぽんと叩いた。
「お前、自分でやってみいや」
「やったるわ。お前な、ただのハゲや思うなよ」
 綿野が言い、源が『ただのハゲではないだけのハゲ』というセリフを繰り出すか頭の中で迷い始めたとき、暖簾がふわりと揺れた。
「いらっしゃいませーええ?」
 立松は語尾をひょいと上げ、入ってきた客の顔をじっと見つめた。大抵、この時間に入って来る客と言えば、家で酒にありつけなかった小汚い男か、酔いすぎた小奇麗なスーツの男か、万年体をめぐり続けている酒が少し抜けすぎて困っている男。つまり、客はほぼ男だ。黒縁眼鏡をかけた、小柄な若い女。それがひとりでやってくるなんてことは、中々ない。
「こんばんは」
 果歩は、猫背でカウンターにすがりつく源と綿野の背中をちらりと見ると、ひとり分空けて隣に収まった。立松が、客商売の全ての手順を思い出すようにぎこちなくおしぼりを差し出し、言った。
「こんばんは」
「ええっと、ホッピーと島らっきょうをください」
 あちこちの店で何千回と繰り返してきたように淀みなく言うと、果歩は改めて黒板のメニューを見上げた。綿野の食べる蒸し鶏のサラダがメニューにはないことに気づいたとき、目が合った綿野は顔を上げながら言った。
「言うたら作ってくれますよ多分。この鶏のサラダみたいなん、名前なんて言うんでしたっけ?」
「鶏のサラダや」
 立松は笑いながら言うと、果歩が『それもお願いします』と言うのに合わせて、冷蔵庫を開いた。高崎がセブンスターとライターを掴むと、言った。
「ちょっと、一服してくるわ」
 店の外で煙草を吸い始めた高崎の後姿を振り返ると、源も小さく息をついて、綿野に言った。
「おれも一服してくる」
 綿野はうなずいて、ビールを飲み干した。源が出て行くときに開いた扉の隙間から凍るような冷気が滑り込んで、足元にとどまり続けた。立松は揚げシューマイを小皿に並べ終えていたが、カウンターの上には出さなかった。
 高崎がセブンスターの煙を宙に吐き出し、煙草を吸わない源に言った。
「知り合いか?」
「いえ、全然知らん人です」
 居心地がいいチェーンの居酒屋なら、ここに辿り着く前に数軒あったはずだ。タッチパネルもあれば、ひとり用の半個室もある。わざわざL字カウンターしかない手狭な店に来る理由がない。それに、立松はSNSや飲食店のランキングとは無縁の男だから、一見さんが『のんべえ立松』について予習するのは難しい。ただ、この辺で怪しい仕事をやる人間は、立松や高崎に『顔を通す』必要がある。源は煙代わりの白い息を吐き出すと、鮮やかな赤色の灰皿を見下ろしながら続けた。
「相談事ですかね。誰づてなんでしょう」
「お前が知らんのやったら、綿野ちゃうんかいな?」
「いやー、それやったら先になんか言うてくると思いますけどね」
 輪になった煙草の煙のように結論の出ないやりとりをした後、高崎は灰皿に吸い殻をねじ込んだ。
「綿野が惚れん内に戻るか」
「惚れっぽいですからねー」
 顔を見合わせて笑いながら戻ると、綿野との間にひとり分空いていた空間が少しだけ狭くなり、スマートフォンを掲げて何かを綿野に見せている黒縁眼鏡の女の前には、ホッピーと島らっきょう、そして鶏のサラダが並んでいた。高崎が元の居場所に戻り、源が隣に立ったとき、綿野は言った。
「カホやって」
「はい、果歩です」
 果歩は、全員の注目を浴びながらぺこりと頭を下げた。源が会釈代わりに首の筋肉を縮め、高崎がお決まりのワンパターンで青りんごサワーを掲げた。その様子を見ながら、源は笑った。目の前にジョッキがなかったら、どうやって挨拶をするのだろうか。
「ここは、若い人はあまり来んからなあ。びっくりしたわ」
 高崎が言うと、果歩は笑顔で応じた。
「いきなりお邪魔してすみません」
「越してきたん?」
 源が言い、果歩は叱られたように首をすくめた。綿野は、靴の端を軽く蹴った。源の口調は直接的で、切りたての木のようにあちこち尖っている。綿野は言った。
「今のは優しく訳すと、この辺に引っ越してきた人かな、これからよろしくねって意味やで」
「まだ、日は浅いんですけどね。やっと余裕が出てきて」
 果歩が言い、源は特に深追いすることもなく、やや冷めた揚げシューマイを受け取りながらハイボールを注文した。ざわついた空気が少し落ち着いて、立松が客の会話を邪魔しない程度の音量でつけられたテレビを見上げたとき、最後の一個になった鳥肝を口の中へ放り込んだ源の手元で、スマートフォンが鳴った。
「愛華や、出るわ」
 果歩が顔を傾けながら横を向き、目が合った源は追い払うようにしかめ面を作ると、スマートフォンを耳に当てながら外へ出た。冷気から逃げるように少しだけ距離を詰めた果歩に、綿野は言った。
「忙しないおっさんやろ」
「お仕事ですか?」
「せやな」
 綿野は短く呟くと、それ以上話が深く広がらない内に、テレビを見上げた。昔の芸能人が眩しそうにスポットライトを浴びる姿を見ていると、立松が言った。
「えらい、眩しそうにしとんな」
「そら、久々なんでしょう」
 綿野が言い、果歩が笑った。高崎は携帯電話のフラップを開くと、柿本の近くに住む知り合いにメ―ルを送った。『柿本の家の周り、なんか起きてるか?』
 返事は短く『窓から見た感じ、電気は消えてます』とだけ書かれていた。高崎は『車あるか、見てきてくれ』と返し、青りんごサワーを飲み干した。
 源は店の外で、三年振りに再会したような勢いで話す愛華の息継ぎを狙い、ようやく言った。
「ちょい落ち着こや、な?」
「うん、ごめん」
 素直に静かになった愛華は、吸い込み足りなかった空気を補うように深呼吸すると、言った。
「返事ないから、このタイミングで寝るとかないやんって、思ってさ」
「今な、立松来てんねん」
「またー? まっすぐ帰らんなあ、君らは。ゴローさんによろしく言うといてね」
 愛華の高いトーンの声を聞いていると、時々、立松で猫背になりながら酒を囲んでいるのが馬鹿らしくなり、他に優先してやるべきことがあるような気になってくる。その焦りに似た気持ちに名前をつけることはできそうにないが、少なくとも電話の向こうには、元ダンナに名前を使われてしょげている愛華がいる。源は、少し声を抑えて言った。
「ゴローさん元気やで。せや、果歩って知ってる?」
「声ちっちゃ。女優?」
「ちゃうよ、客や。若い女の子。ふらっと入ってきた」
「うへー。立松さんとこに?」
 当然だが、愛華も小汚い男達と飲むのは嫌がる。前に訪れたときは、隣の客に延々とスマートフォンの使い方を教える羽目になっていた。その露骨な反応に笑いながら、源は言った。
「そう。やっかみ侍の頬が緩みっぱなしや。どんどん距離詰められとる」
「それ、着いていったら怖い人出てくるんちゃうん。綿ちゃんガード低いから危ないな」
 愛華の言葉に、本当に店の中が気がかりになった源は、暖簾に手を掛けながら言った。
「戻りますわ。また明日な」
作品名:Straight ahead 作家名:オオサカタロウ