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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Straight ahead

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 後ろから暖簾を押しのけるように入ってきた源を見て、立松は今日の売り上げをはじき出したように笑みを浮かべた。
「おー、こんばんは」
 立ち飲みで、L字型のカウンターには十人ほどが肩を並べられる。客は端に陣取るひとりだけで、源は頭を下げながら言った。
「ゴローさん、こんばんはです」
 綿野も同じように頭を下げると、高崎は返事の代わりに青りんごサワーのジョッキを掲げた。姿勢が良く、その目つきは鋭い。南団地を長年見てきた中で蓄積された毒気は今も、抜ける気配がない。口癖や人の記憶に残るような仕草もなく、いつも作業服のようなベージュのスラックスを履いていて、季節ごとに上半身に重ね着する服の枚数が変わるだけ。生き方はシンプルそのもので、趣味も少ない。源が車の話をしても、綿野が音楽の話をしても、一応は耳を傾けるが実際にはうわの空だ。しかし、それが例えば、近所で当て逃げをした車だったり、今は手に入らないレコードとなると、その目の色は変わる。
「ゲン、またちょっとでかなったか?」
 高崎が言うと、源は猫背になりながら頭を下げた。
「横方向も、今年からスタートしてます」
 何も注文していないのにモルツの中瓶とグラスが二つ置かれ、源と綿野はお互いのグラスに中身を注いで、手短に乾杯すると飲み干した。一品を次々に注文したところで、源の手元でスマートフォンが光った。綿野が呆れたように笑うと、メニューの黒板に向かって言った。
「仕事の話かいな」
 源は首を傾げながら、愛華からのメッセージを開いた。
『元ダンナにまた名前使われてしまいまさひ』
 ましたを正しく打てないぐらいに、混乱している。これでこそ、パニック森島だ。源は綿野にメッセージを見せた。綿野はニット帽が定位置にあることを確認するように頭を一度押さえると、大げさにため息をついた。
「ほんまにもー、マジかよ。柿本、図々しいにも程があるで」
 源が自分のグラスにビールを足していると、追加でメッセージが届いた。綿野が首を伸ばし、源は愛華からのメッセージを開いた。『訂正、ました』とだけ書かれていて、覗き込んだ綿野は笑った。
「意外に冷静やな」
「どないした」
 会話に割り込んできた、ざらついた声。高崎が青りんごサワーの残りを飲み干して、その余韻に顔をしかめながら言った。源と綿野は苦笑いを浮かべながら、高崎の方を向いた。少しだけ距離を置く立松を除いた三人の視線が交差し、話題を共有するための土台が生まれたところで、源が言った。
「いや、愛華さんの前のダンナがね、名前勝手に使って商売してるみたいで。しかも、初めてやないんですよ」
 高崎はお代わりの青りんごサワーを立松から受け取ると、チーカマの封を切りながら笑った。
「柿本か。あいつはどうしょうもないからな。ゲン、いっぺんしばいたれや」
「力入りすぎて、殺してまいそうですわ」
 源が言うと、立松がようやく会話に滑り込む隙を得たように、愛想笑いを返した。綿野がビールを飲み干して、目の前へ蒸し鶏のサラダが置かれたとき、高崎は言った。
「自分らが、ギリギリ話の通じる最後の年代かもしれんな」
 柿本は三十四歳だから、二歳しか離れていない。源はうなずきながら、自分と柿本を決定的に分ける何かを探そうと、少しだけ頭の回転を速めた。綿野がそれを察したように、言った。
「柿本が行方不明とかなったら、どうするよ。愛華の心に空席がございますになるんちゃうの」
 源は顔をしかめると、綿野を小突いた。
「何を言うとんねん」
「何事もタイミングやぞ」
 高崎がだめ押しをするように言い、源は思わず笑った。
「ゴローさんまで、なんの話ですか」
 高崎なら、柿本を『行方不明』にできるだろう。その特長は、面倒見の良さだけではない。もちろん、刷毛でウィスキーを塗ったベビーカステラは美味しいが、高崎に話しかけたきり誰も姿を見かけなくなった人間は、源が知るだけでも数人いる。会話が分断され、源はほとんど空いたモルツの中瓶を押しのけながら、愛華に返信した。
『続くようなら、教えて。奥歯ガタガタいわすから』
 待ち構えていたように、画面に愛華からの返信が追加された。
『歯、悪いの?』
 この噛み合わなさ。源は返信を諦めてスマートフォンをポケットにしまうと、揚げシューマイと鳥肝の甘辛煮を注文し、綿野に言った。
「マジでしばくかもしれんわ」
「いちいち言わんでええから。吉報だけを、お待ちしていますから」
 綿野が呆れたように言うと、源は小皿に醤油を垂らしながら笑った。
「聞いてくれや」
「お似合いやと思うで、南団地の光やお前は」
 綿野が茶化すように言うと、高崎が笑顔で青りんごサワーのジョッキを掲げた。
「そのまんま、大人になりよって」
 今から三十年近く前。高崎は、源や綿野の今の年齢よりもさらに若く、三十歳になったばかりだった。地元からほとんどの顔見知りが出て行った中、自分だけがそうしなかった。仕事はとにかく忙しかったが、特に金回りが良かったわけではない。人の問題に首を突っ込むのは性分で、自分ならこうするだろうということを相手に代わって実践していると、年々、迷惑がられるよりも感謝される頻度の方が高くなっていった。ただそれだけのことだ。
 当時、団地の駐車場に停めていた赤色のファミリアは、ボンネットのあちこちに穴が空けられたインタープレイと呼ばれるモデルで、知り合いから譲ってもらったものだった。ボンネットの上で暖を取っていた猫に餌をやったり可愛がっている内に、子供が集まるようになり、いつの間にか車の周りがたまり場になった。大人だけでなく子供の相手までする羽目になったのは、この頃からだ。そこに集まる子供達は、猫が目当てだったわけではない。猫がいてもいなくても、ファミリアの周りをうろついていた。放課後だけでなく、夏休みになっても、冬休みになっても、何人かは必ずいた。
 ファミリアがささやかな集会場になった年、大晦日の夜に買い物から帰ってきて、ひとりでファミリアのボンネットから雪をどけている子供に、話しかけた。確か、こんなことを言ったと思う。
『ありがと、助かるわ。家、帰りや』
『無理』
 その子供は短く言い、ボランティアのようにファミリアから雪をどけ続けた。家に帰らないで済むように、用事を作っている。そのことに気づいて、とりあえず雪かきはやめさせた。独身男が提供できた限界の料理は、伸びきったうどんとスパイクのように固い衣の冷食コロッケだったが、それでも子供はよく食べた。お年玉を渡したいと思ったのは、その時だ。目を見て配るのは気恥ずかしいから、ちょうどいい高さにある二階の窓から、少額の現金が入った封筒や、おもちゃが入った小さなダンボ―ル箱を落とすことを思いついた。試しにやってみると好評なようで、直接子供たちの姿を見ることはなかったが、何かを落とすたびに、一階からは歓声が上がっていた。そして、その習慣は四年ほど続いた。
 思いつくきっかけになった、ボンネット専門雪かきボランティアの子供は、随分頭が薄くなったが、とりあえず生き延びている。高崎は、綿野に言った。
「あんま焚きつけたら、ゲンはほんまにやりよるぞ」
「今のとこ、この世に柿本がいて良かったなとか、思ったことないんですよね」
作品名:Straight ahead 作家名:オオサカタロウ