Straight ahead
オマケというのは、顧客から辿れる交友関係や個人情報のことで、源が足を持って逆さづりにすると、顧客の口からぽろぽろとこぼれ落ちてくる。それを自前のデータベースに蓄積して分析するのは、愛華の得意分野。源はうなずくと、夜七時になったことを確認して、立ち上がった。
「了解、ほないきますわ」
二人が皿を片付けようとすると、愛華は慌てたように立ち上がり、止めた。
「いいからマジで。ありがと」
食事会で並ぶ食事の内訳は、半分以上が源と綿野から提供されたものだ。その方が品数が増えて、花梨も色々な物が食べられるようになる。
「ゲンゲン、綿ちゃん、またねー」
花梨が手を振りながら言い、手を振り返した源と綿野は外へ出て、アパートの外階段を下りた。愛華は常に金欠だ。不思議なことだが、贅沢もしていないし、人にはできないことをやってのける技術もあるのに、信頼ばかりが集まって金は素通りしている。源は排水溝の蓋を跨ぐように停めたジムニーの鍵を開けると、アパートを振り返った。砂利敷きの駐車場の利用者はまばらで、端に停められた黒の三菱ミニカが、愛華の車。全体的に閑散としたボロ物件で、森島家は角の三〇一号室。見た目は昭和でも、部屋には場違いに巨大なタワー型のパソコンが置かれていて、その隣にはハードディスクのマンションのような機械が並んでいる。
「忘れもんか?」
綿野が言いながら、返答を気にしない様子で助手席に乗り込んだ。源は首を小さく横に振ると、運転席に乗り込んだ。お互いの役割は決まっていて、大柄な源が力部門と運転で、ピッキングができる綿野は技部門とナビ。源は、エンジンをかけるのと同時にヘッドライトを点けた。続けざまにサイドブレーキを下ろしてシフトレバーを一速に入れ、ベルトに手を回しながらクラッチをつないだ。その忙しない様子に、綿野は笑った。
「気い短いの、うつってますやん」
愛華は、外見で得をしている部分がある。愛嬌たっぷりの表情に、さっぱりした性格。こうやって、友好的な態度を保つ人間と接しているときは、全てがプラスに働く。しかし、悪い虫がつくときは、どこが顏か分からなくなるぐらいの量が群がってくる。それを損とすれば、プラスマイナスゼロ。ただ、森島家には様々な人間が出入りするから、花梨は『ママいる?』と聞かれたら、即座に『いない』と答えるように教育されている。それを入れると、ややマイナスかもしれない。
片側二車線の県道に合流すると、源は一気にスピードを上げた。綿野がわざとらしくドアグリップを掴み、口角を上げて笑った。水に浮かんでふらついていただけの人生。大学まで出たが、そのまま普通の人生を歩んでいる姿がどうしても想像できなかった。
二人の共通の恩人は、そろそろ還暦が近い高崎五朗で、ゴローさんと呼ばれている。二人が育った通称『南団地』の調停役で、資材センターのスタッフである二人と森島の間を取り持ったのも、高崎だった。地元密着型であちこちに顔が利き、商店街の外れでベビーカステラの屋台を出している。とにかく面倒見が良く、どんなことでも大雑把ながら構わずにいられない性格。綿野は昔のことを思い出しながら、スマートフォンにナビを表示してスタンドに立てた。子供の頃、正月は家にいても何も起きなかった。源家も同じだったらしく、お年玉というのは、ほとんど都市伝説的なイベントだった。そういう子供は他にも数人いて、高崎が住む団地の真下に集まる。当時、高崎は三十歳で、まだベビーカステラ屋ではなかったが、近所では名の知れた悪の名士だった。地域の用心棒であり、尾ひれのついた噂をそれこそ百は持っている。そんな高崎が言葉遊びのように始めたのが『落とし玉』だった。正月になると、高崎が住む二階の部屋の窓から、封筒や段ボールに入れられた何かが子供めがけて落ちてくるのだ。もちろん後に残るのは、弱肉強食の世界。そこにいたひときわ体の大きい子供が源だと知ったのは、休憩室で初対面のような再会を果たしたときだった。
「英語、熱心にやっとったな。でも、そのせいで日本語の滑舌悪くなってないか」
綿野が言うと、源はうなずいた。花梨は若干、流れるような話し方をする。母親譲りで早口なのは確かだが、発音がはっきりとしない。このままいけば愛華そっくりに育つのだろうが、愛華の通称は『パニック森島』で、それぐらいに気が短く、行動に移すまでが速い。それで何を言っているのか分からなかったら、相手は途方に暮れるだろう。源は自分の問題であるように神妙な顔をした後、呟いた。
「タコって、英語でなんて言うねん」
「オクトパスじゃ」
綿野は前を見たまま言った。源は笑った。綿野は、誰とでも張り合う。口癖は『ただのハゲと思うなよ』だが、それを証明しても『ただのハゲ』のすぐ上の地位しか得られないだけでなく、ニット帽で隠されていて気付かなかった人間にまで、頭のコンディションが知れ渡ることになる。常に上を向いて、自分より恵まれた立場にいる人間に牙をむき続ける男。源はスマートフォンのナビに従い、バイパスに合流した。気が利くし、ピッキングの技術もある。おまけに耳がすこぶるいい。しかし、偏屈なプライドの高さが全てをプラマイゼロにしている。だから、本人には悪いが、愛華との間では『やっかみ侍』というあだ名で通っている。
一時間ほど走ってバイパスから降り、住宅街に入った源は月極駐車場の端に停まっているEクラスを見て、ナンバープレートを確認した。
「こいつな」
綿野もダブルチェックをするようにナンバープレートを確認し、うなずきながら言った。
「これは金持っとんで。ソフトな通り魔って何すんの?」
「分からん。ソフトな通り魔らしいことかな」
源が頭に手をやりながら言うと、笑った。綿野は釣られて笑いながらも、現実的な選択肢について考えた。ここでいきなり襲うと、人目につく。もっと静かな場所で捕まえて、高崎の知り合いが経営していた沢倉運送の物流基地に連れて行く方がいい。敷地の中には三階建ての立派なコンクリートの建物があり、人を怖がらせるにはうってつけだ。正面の銘板は外されているが、電気は通っているし、ロゴの跡が地縛霊のように残り続けている。
「サワクラ行くんか?」
綿野が言うと、源は首を横に振った。
「いや、今日はやらんで。週末やし。ちょっと一杯付き合えや」
そう言うと、源は住宅街から抜け出して、高速道路のランプに向けてジムニーを走らせた。
作品名:Straight ahead 作家名:オオサカタロウ