Straight ahead
幸樹が大振りの拳を振り、それを避けた源は腹を狙って拳を繰り出したが、幸樹はそれを難なく受け止めると、左手で源のベルトを掴み、タックルするように体当たりをした。踏ん張りが効かなくなった源は、畳まれたテーブルの上に叩きつけられたが、追い打ちをかけるように飛んできた右手を避けた。テーブルの金具にぶつかって幸樹の指の骨が折れたとき、源はがら空きになった側から抜け出そうとしたが、幸樹の左腕が別個の意思を持った生き物のように動いて源の体を捕まえた。源はテーブルで背中を支えると、右足でがら空きになった幸樹の横腹を力任せに蹴った。足で体重を支え切れずに転がった幸樹が体を起こしたところへ馬乗りになると、源はその顔に拳をめり込ませた。鼻の骨が折れて血が噴き出し、二発目が左目の真下の骨を折った。三発目を打つために腕を引いたとき、幸樹は源の体を掴むと、布団をどけるように横へ投げ飛ばした。壁に頭を打ち付けて口の中に鉄の味が広がったとき、源はようやく、力では勝てないことを悟った。それを足に伝えるよりも前に、幸樹がその体を捕まえて、崩れたテーブルの上へ投げ飛ばした。曲がったテーブルの脚が頭の骨にぶつかり、意識が明後日の方向へ飛びかけた源は、仰向けに倒れた。幸樹はうまく瞬きができない左目に一度触れると、部屋の反対側までよろけながら歩いた。源は、体だけが気を失ったように思い通りに動かせず、目で幸樹の後姿を追った。散弾銃を持ってくるつもりだ。そのことに気づいた源は、奥歯の破片を吐き出しながら体を横向きに転がせた。体が機能を取り戻したように軋み、激痛が走った。もう一発左目に食らわせたら、見えなくなるはずだ。頭が理詰めの仮説を出し、視界が少しだけ開けたとき、自分が閉めたはずのドアの鍵が微かに動いたように見えて、源は目を見開いた。
「やめろ……」
血で溢れ返った口を通して、声が漏れた。シリンダーロックが、探りを入れるように動いている。平衡感覚を失ったままの幸樹が散弾銃を右手に歩いてくるのを見て、源は言った。
「撃て」
幸樹は顔の半分が麻痺したように、ぎこちなく笑った。源はようやく体を起こして、自分の顔を指差した。シリンダーロックが回りかけている。
「撃てや、もたもたすんな」
鍵全体が勢いよく回りきって音を立てたとき、幸樹がドアに顔を向けた。自分から視線が逸れた瞬間に、源は全身の力を足に注いで立ち上がりながら、叫んだ。
「来るな!」
源が全身の体重を乗せて体当たりする寸前、幸樹はドアを蹴り開けた綿野に向けて散弾銃の引き金を引いた。銃声が部屋の中に響き渡り、右胸に散弾が命中した綿野は前のめりに倒れた。幸樹を仰向けに倒して馬乗りになった源は、振りかぶった拳を起き上がろうとする幸樹の左目に叩き下ろした。眼球が新たな居場所を見つけたように中へ落ち込んで血が溢れ出し、源は幸樹の手から散弾銃を引き剥がすと、こん棒のように振りかぶって、顔に叩き下ろした。二回目で頭の骨が目の骨を中心に陥没する感触が伝わり、三回目でその足から力が抜けたことに気づいた源は、体を離した。幸樹の頭の左半分は、空気が抜けたようになっていた。
源は這うように、仰向けに転がった綿野の元まで近寄ると、言った。
「なんで来たんや」
綿野は浅く息をしながら、首を傾げた。この記憶はおそらく、一方通行だろう。源は覚えていない。とにかく、綿野家にとっては酷い年だった。喧嘩は絶えず、そんな家に帰りたくなくて、雪かきを続けていた。年が変わって正月になり、ゴローさんにご飯のお礼を言うために南団地へ行った。段ボール箱と封筒が落ちてきたのは、そのときだ。近くで遊んでいた何人かが気づき、駆け寄ってきた。落とし玉の記憶。大人の手から離れた後は、弱肉強食の世界だった。ひときわ体が大きかった源は、手当たり次第に他の子供を殴り倒した。それは、落とし玉を取るためではなかった。子供たちが、綿野の手に落ちてきた封筒を取り上げたからだ。封筒は当然のように、手元に返ってきた。仕事場で偶然再会するまで、周りから『ゲン』と呼ばれていた大柄な子供が誰だったのかということを、綿野はずっと考えていた。
「理由とか、なんでもええやろ……」
そう言うと、綿野は頭を床に預けて目を閉じた。源は、折れていびつになった歯を食いしばり、顔をしかめた。やがて綿野の呼吸は止まり、その手がだらりと開いた。源は肩に手が置かれたとき、感触で愛華だと気づいて顔を上げた。目の前で起きたことが受け止められないように、呆然とした表情で愛華は言った。
「ゲンゲン、怪我……」
源はうなずくと立ち上がり、全身の骨が悲鳴を上げるままに壁へ寄り掛かった。
「歯が欠けただけや」
愛華は首を横に振り、源の顔に無事な場所が残っているか確認しようと手を伸ばしたが、源が突然その手を掴んで脇に押しのけ、前へ一歩出た。愛華は体ごと入口を振り返り、悲鳴を上げた。散弾銃を拾い上げた果歩が先台を引いて弾を装填すると、言った。
「殺したな……」
源が言葉を発するより前に、愛華がその体を避けるように前へ歩み出て、言った。
「果歩ちゃん、ごめんね。ご両親、うちのダンナからお金借りてたって」
果歩が銃口を向けようとしたとき、源が反射的に愛華の体を押し戻そうとしたが、愛華はその腕を押し返した。
「関係のない人なんて、おらんのやと思う。私は好きで、あいつと付き合ってたから」
「なんて言ってたん?」
果歩は涙をこらえるように顔をしかめながら、言った。愛華が答えられないでいると、付け加えた。
「うちの親のこと。死んで貸し倒れになったとき、ダンナはなんて言ってたん?」
「人のやることは、よう分からんって」
愛華は昨日のことのように、言った。果歩は愛華の目を見て、柿本が本当にそう言ったということを確信した。七年も前のことを、今でも覚えているなんて。罪悪感がそうさせたということに気づき、果歩は目を伏せた。
「なんで覚えてるん。そんなこと、忘れてたらよかったのに」
そう言うと、果歩は散弾銃の銃口を自分に向けた。源と愛華が同時に飛び出して果歩の手を掴み、散弾銃の銃口が逸れたとき、愛華の指が引き金に引っ掛かり、源の目の前で銃口が火を噴いた。
―――
沢倉運送が事件現場になって、一週間が過ぎた。果歩の目の前で暴発した散弾銃の弾は、天井に大きな穴を空けた。今、目の前には、あのとき銃口から細く上がっていた白い煙のように、緩やかに湯気を上げる鍋。その中にはカレーが満たされている。愛華は、鼓膜が破れて聴力をほとんど失った左耳を庇うように、頭に手をやった。人生の中で知らずに嘲笑したり、踏みつけてきたもの。その中の誰かが、必死で追いかけてきていて、ついに捕まった。そんな中での唯一の善行は、果歩の命を救えたということ。それで終わってはいけないと思い、運営していた掲示板は、一昨日の夜に閉鎖した。目的を持つ人間と、解決する手段を持つ人間。その間を取り持つ場だったが、そんなことをしても新たな鎖を生むだけだ。
「ママ、タコって英語でなんやっけ?」
左側から花梨が話しかけ、答えるのが遅れた愛華に代わって、右に立つ源が言った。
「オクトパスや」
作品名:Straight ahead 作家名:オオサカタロウ